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【過去】師事できる人がいると良い仕事ができる

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私が社会人になり、初めて会社に入ったとき、上司とは違い師事した先輩がいました。 次の会社でも同じように、師事できる先輩がいたことによって諸々の教育を受けられ、良い仕事ができたと思いますし、成果、評価ともにそれなりに良いものがあったと思います。 時は流れ、年齢も重ねての転職となると、周囲には逆に若手が増えて、能力も即戦力的なものが求められます。 しかし、こうなってくると私は違和感を感じてくることが多くなってきました。 確かに中途採用となると、新卒者より手厚い教育というのはなくなるかと思いますが、即戦力で仕事をするというのと、無教育で誰も師事できない職場に投げ出されるのは、全く異なる状況です。 そのくせ、自分のやり方で仕事をしようとするとそれを否定される始末…このような負のサイクルで精神疾患になる方も多いようです。 上記のような流れになるならば、企業は即戦力としての中途採用をすべきではありません。 最低限の教育やOJTを経て、中途採用者はその発想力や着眼点を発揮できるのですから。 ましてや仕事のやり方まで口を出すのは愚の骨頂です。 中途採用だって会社によって仕事の方法を合わせようと当然ながら努力しているのですから。 そんな考えもあり、サラリーマンからドロップアウトした私ですが、フリーランスとなった今でも、過去の人脈の繋がりから師事をしている方が何人かおります。 人に師事をするって、お互いに良い影響があるような気がするのです。 逆に会社時代の後輩でも数名、繋がりのある者がいますが、このような師事する、師事される関係を築ければと思っています。

【精神疾患】悪夢を見る副作用

精神疾患の治療薬の副作用の中に悪夢を見る副作用のあるものがあります。 文字通り、睡眠中の夢が悪夢となるというものです。 精神疾患の経験者に話を聞くと、この症例を経験した方々が以外と多いことに気づきました。 私自身も少なからず、これは経験のある話です。 既に辞めた会社なのに、その状況で何かに追われるような夢を見たり…というのが私の場合は多かったです。 あとは、なにか重大な時間の遅れが発生したり、重要なものを持ち忘れてしまったり…などの夢を見ることも多かったです。 過去にであった人物が突然のようにフラッシュバックしてくる悪夢もなどもありました。 この夢というのは健常者の方でも睡眠中にたまには見るかと思いますが、薬の副作用による悪夢はなぜか妙に現実味があり、睡眠から覚醒するまでは夢か現実か分からないほどの悪夢が現れるのです。 レム睡眠、ノンレム睡眠とありますが、悪夢が続くというのはこのリズムも崩れるので、当然ながら眠り自体も浅くなりがちとなり、総じて睡眠時間が長くなってしまう方もいらっしゃるそうです。 以上、ワークショップなどで聞いたお話と、私の経験からですが、この悪夢というのは必要悪なのか、また睡眠中に夢を見るというのはなぜなのかを考えさせられる一年、年末となりましたので、書き記しておきたいと思いこの度に至りました。

【精神疾患】何でもない日に何をする?

今年ももう仕事終わりで年末年始の休みに入っている方も多いのではないでしょうか。 私も多分に漏れず、取引先にが休みに入ってきているため、年末モードになってきております。 こういうときに思うのですが、突然何日かの休みモードとなると手持ち無沙汰になり、何をするべきか迷うことがあります。 精神疾患の罹患時には、逆に私は休んでいいのかと自問自答して、全く気持ちが休まらないまま年末年始を過ごしたこともありました。 ですが、このようなときから続けていることで、自信にとって何もない日には極力、散歩をすることを心掛けていたりします。 本当に自宅の近辺から、最寄り駅からひとつ先の駅くらいまで、音楽でも聞きながら、ただただ歩く、それだけで一定ではありますが、体を動かせます。 体を動かすと、当然ながら少なからず疲れも出るもので、夜の寝付きもよくなり、睡眠に良い影響があるかと思っています。 よく一日中寝ていたい、と社会人の中にもそのような人がたまにいいますが、正直よほど体調が悪いとき以外はコレは止めた方がいいです。 何もない日の時間を無駄に消費してしまうことはもちろんのこと、気分も鬱ぎ込んで負のサイクルに陥る可能性があるからです。 私自身も社会人になりたてのときは、何もやることがない日は寝てばかりいた時がありましたが、やはり自宅に隠っていると、よくない考えばかりが浮かび、寝ようと思っても浅い眠りが続くだけで良い思いがありませんでした。 逆に例えば友人と出掛けたときなど、考え込まず友人との話に花を咲かせ、変に集中することがないのでストレスもありません。 今の散歩も同じで、私の場合は音楽を聞くのも集中していますが、頭の中を空にして、ただただ周りの景色を見ながら歩くだけで、何もない日をただの時間の消費から、日を過ごすということに繋がっているのではないか、と思ったりしています。

【日常】オチのある映画とオチのない映画

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私の趣味の範疇で、たまに映画を見ることがあります。 幼少期からの両親の影響もあり、かなりの数の映画を見てきてはいると思っているのですが、昨今はいわゆる明確なオチのない映画が散見されます。  昔の、私が子供の頃や学生時代には明確な起承転結のストーリーがある、普通にオチのある映画の方が圧倒的多数でした。 例えシリーズものだとしても、明確に内容を引っ張るようなものは少なく、必ずその作品内で必ず結びを得て一端の完結をするという作品が普通の流れかと思っていましたし、今でも一定はその流れが正しいと思っています。 しかしながら、明らかに続編を匂わせる終わり方の作品や、これならまだしも結末の意味を観覧者に考察させるような投げ方で終わる、いわゆる結末のオチがない作品が増えてきている気がするのです。 先に述べたように、起承転結の鑑賞に慣れている私からすると、このような閉め方をする作品は何だか歯がゆいというか、もどかしさが残ってしまい、映画好きでも作品を見きった、という感情に至りにくいような気もしています。  作品の作り手側からすれば、かつてないような展開や手法を用いた画期的な作品を作りたいという思いも分からないわけではありません。 私も同じクリエイター魂として、そういった部分は必要かと思いますが、解釈や結末を観客に丸投げするような手法は作品として本当に成り立つものなのかという疑問は残ります。 私は映画というのは作品の伝えたいことやその意味を個々が考えるエンターテイメントであって、結末や展開はある程度は作品内で示さねば意味のないものだと思っています。 結末や展開をみる人個々に任せてしまうと、逆に伝えたい意味が人によって大きく違う作品になってしまうからです。 映画の様々な手法や見せ方の新しいものが出てくることは、一ファンとしては大歓迎です。 要はこれらをうまく表現してほしいと願うばかりなのです。

【日常】クレーンゲームは賽銭箱(闇)

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私はごくたまにゲームセンターやアミューズメント施設に立ち寄り、時間潰しにクレーンゲームをプレイすることがあります。 また、最近ではオンラインのクレーンゲームもあり、そちらも何度かプレイした経験があります。 戦績でいうと、数回で景品をとれる場合もあれば、数千円かかってしまっている場合もありますし…しかし運が良ければ1回で獲得できた時もあります。 私の場合、菓子類や時にはフィギュア等を主にプレイすることがあります多いのですが…ではなぜプレイしてしまうのか、を考えてみると、結構単純でゲームセンターやアミューズメント施設の入り口付近がクレーンゲームで固められていることが多いからです。 ちょっとした待ち合わせ場所にここを選んだ場合、少なからず意識がクレーンゲームに行ってしまい、ついついプレイしてしまう…何てこともあるくらいです。 私の学生時代はゲームセンターというと、その名のとおり、当時はアーケード素体の対戦ゲームなどが花形でした。 当時はクレーンゲームはというと、メダルゲーム等と同様にゲームセンターの奥まったところにあるか、入り口に1台有るくらいでした。 それがいつしか、クレーンゲーム専用のフロアが確立され、最近の1階の入り口に陣取るようになってきたような気がします。 また、今ではクレーンゲーム専門の店舗もあるくらいです。 で、その稼働率と売上について調べてみると、大手のアミューズメント施設では売上の8割超はクレーンゲームという話もあるくらいです。 クレーンゲームの景品は原価が数百円までと決まっているそうです。 アミューズメント施設側は、クレーンゲームに景品の取れやすさ、取れにくさを設定して、人気の景品には厳しい設定を加えていることもあります。 普通の景品にしても、◯◯円くらいで取れるだろう的な設定をしているわけです。 ですので私個人的にはギャンブル的な側面があると言っても過言ではないのかもしれないとも思っています。 ギャンブルと決定的に違うのは、あくまで遊戯という点と、景品表示法の守られた範疇でのものだからです。 ただ人間、どうしてもほしい景品があれば、ついついお金をつぎ込んでしまうもの…だからクレーンゲームは賽銭箱と揶揄されてしまうこともあるわけですが…あくまでクレーンゲームはゲームであって遊び、景品が取れたらラッキーくらいの気

【精神疾患】カフェインは摂取してもよいらしい

精神疾患の治療においては、睡眠のリズムを正すために、睡眠導入剤や睡眠補助薬が用いられることがあります。 私自身も経験がありますが、休職中ならばまだしも、恐らくこれらの薬は働きながらの摂取となると、慣れないうちは眠気と戦うことになってしまうからです。 これらの睡眠薬に頼った生活はいかがなものかと思いますが、正しく睡眠をとれる環境を作る上で、補助となってくれるのは確かです。 上で説明した通り、このリズムが時には狂い、日中に眠気が襲うようであれば、カフェインなどでしのぐと言うのもひとつの手段と医師から聞いたことがあります。 ここの体調や好き嫌いもあるかと思いますが、コーヒーやコーラ、緑茶なども意識的に飲むことにより、一時しのぎにはなります。 私の場合は、コーヒーが苦手でしたので、主に緑茶、ごくたまにコーラを飲んでいた気がします。 睡眠薬を常用している状態が続くと、体内時計のタイミング次第ではありますが、時には薬の作用時間が変わったり、作用が残ったりすることもあるようです。 このようなときに、睡眠作用の物質が体内で増えるように、また覚醒作用の物質を抑えるような作用が起きてきます。 ここにカフェインを服用することで、一時的に睡眠作用の物質をブロックして、覚醒作用の状態を保つ…のようなことをイメージとしての状態ができるようです。 ここで一番注意したのは、睡眠薬を服用しないにもかかわらず、大量のカフェイン飲料を飲まないということです。 このような状態になってしまうと、体内時計のサイクルが再び狂い、睡眠のサイクルも同時に狂い始めてしまうからです。 ですので、今では睡眠のサイクルを崩さず、どうしても起きていなければならないときや、早起きで眠気がとれないとき、また日中にどうしても眠いとき以外は極力カフェイン飲料を飲まないようにもしています。 良い睡眠サイクルは、良い生活サイクルにも直結しますので、少し意識して気を使ってみるのも良いのかもしれません。

【過去】ヨーロッパとのクリスマスの違い

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私の人生を通して、なかなかこの時期に国外にいることがないので、幼少気での話になりますが、ヨーロッパでのクリスマス風景をいくつかご紹介しようかと思います。 まず、欧米での意味合いですが、これはあくまでキリストの生誕祭です。 ですので、教会へ礼拝にいく方も少なからずいます。 もちろん、サンタクロースやプレゼントの風習もありますが、これらは各家庭によるところも大きいです。 よく、自宅を電飾で大々的に飾る人もいれば、質素に家族間でのプレゼント交換だけで済ませる人もいます。 次に食について。 チキンというイメージが日本人の方々にあるかもしれませんが、確かにチキンや七面鳥を各家庭でグリルなどの調理をする方は多いのですが、いわゆるケンタッキーフライドチキンで、という方はかなりの少数派です。 ケンタッキーフライドチキンはファーストフードのひとつという認識ですから。 また、ケーキも大々的なものは少ないと思います。 洋菓子という観点では、クリスマス用の焼き菓子などの菓子類を用意する方は多いのですが、いわゆるクリームたっぷりのケーキは少数派かもしれません。 これらクリスマスの飾りや一部プレゼントの購入手段として、ヨーロッパにはクリスマスマーケットというものがあります。 一部の町や、商店の集まりを挙げてクリスマスの品々を大々的に売り出すマーケットがあるということです。 このクリスマスマーケットでは、逆にクリスマス用品しか売られていないような光景と言っても過言ではないかも知れません。 また、日本ではこのあとにすぐ元旦がやって来ますが、欧米では日本ほどの厳かさがないので、クリスマスの方が大々的です。 (というか、比較すると欧米では正月は平日的な流れかもしれないです) 日本は正月があるので、よくよく考えると、どうしてもクリスマスは商業的な側面が多いような気がします。 元旦の歴史と比べても、日本のクリスマスを歴史的に考えると、某大手の広告代理店がそのように仕掛けているのかもしれませんが… と、言っていますが、今日はイヴなので、上記のようなことを色々と考察する良い機会となりました。

【日常】「運動をしなさい」ということ

私は人よりも少し血圧が高めなので、健康診断や内科での検診時によく「運動」を勧められることがあります。 しかし恥ずかしながら私、中学校の時に当時の顧問教師と喧嘩して以来、部活動も含め、あまり運動全般というかスポーツに縁がないのです。 幼少期には水泳やサッカーをしていたこともあるのですが… で、この医師の言う運動が正直どの程度のものか、いつも???なのです。 例えば家の近所をマラソン的に走ってみる?…または自宅で筋トレしてみる?…これが本当に運動になるのかと思ってしまうときがあります。 以前はスポーツジムでランニングマシンなどをしていたこともあるのですが、これも根本的には???でした。 単純に汗をかくだけなら、個人的にはサウナが好きなので良く行くのですが、医師はこれはあまり効果がないと。 もともと運動神経があまりある方ではない私なのですが、フリーランスとなった今では、余計にインドアな生活になってきているのも確かです。 このように色々と試してはみてみるものの、どうにもしっくりくる「運動」というのが見出だせない今日です。

【精神疾患】働きたくない状態から

精神疾患となると、当然ながら働けない状態になるのですが、回復してきて寛解の状態になり、いざ仕事をと思ってもなかなか動けない状態に陥ることがあるようです。 実のところ、私自身も過去に少し似た状態に陥りました。 今のフリーランスとなるにあたり、数年前から色々と考えていましたが、休職~退職に至っていざ動けるチャンスがあってもなかなか前進できない…時にはネガティブな考えで、前に進めない状態が少しばかりの間、続きました。 当時は傷病手当の受給が終わり、雇用保険の受給を受けようかという瀬戸際のところで、まず私は今のように案件ベースで仕事を取りに行こうとせず、雇用保険の受給と平行して、Web記事の作成やデータ入力などのクラウドソーシング、いわゆるノマドワーカーとして少しずつ動き始めることから始めようと思いました。 まず、これであれば労働意欲がなくとも、隙間の時間でできるということ、そして何より今のフリーランサーとして動くトレーニングになると思ったからです。 しかしながら初めのノマドワーカーとしての収入は数百円から…当然、経済的には貯金の切り崩しと雇用保険で少し厳しい状態が数ヶ月間は続きましたが、次第に労働意欲も回復してきて、継続できる仕事の中から、今のフリーランスへの道が少しずつ見えてくるようになりました。 よく、精神疾患の回復期には規則正しい時間で起床、就寝をして毎日決まった時間に出歩くなどの回復訓練があるようでしたが、私の場合はフリーランサーを見据えていたので、これらをあまり意識せずにいたことが結果として少しはよかったのかな、と今では少しは思っています。

【日常】遠出して出会ったストリートピアノ(動画のみ)

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神奈川県の新百合ヶ丘駅にて出会ったストリートピアノの演奏がカッコよかったので、録画してみました。 ※音量を上げて聞いてください #ストリートピアノ #クリスマス #ワンピース #新百合ヶ丘

【精神疾患】どうしても朝起きれない症状

私は学生時代から朝がどうしても苦手な方です。 よく、年齢を重ねると朝型になり、早起きする傾向が出てくるとも言われていますが、現在の私にはその兆しがありません。 精神疾患に罹患するとよく昼夜逆転の症状が出てくると言いますが、私の場合、上記の理由もあり、そこまで崩れた睡眠サイクルにはなりませんでした。 ただ、少なからず薬を服用していた時期は、どうしても過眠気味になり、半日くらい寝続けていることもしばしば。 幼少期から、実家では休日は比較的ゆっくりと寝ている家庭で、早起きするのは祖父母の家に行ったときくらい…そんな環境で育ったからかもしてません。 会社員時代は何とか目覚ましで朝起きていた状態でしたが、フリーランスとなった今では、特に決まった時間では起床せず…というか、このような生活になれてしまっているので、どうしても所用などで決まった時間に起きなければならないときが苦痛なくらいです。 よく、早く寝れば早く起きれるとも聞きますが、一時期試した私の所感としては、睡眠時間が延びてしまうだけで、特に効果はありませんでした。 睡眠時間が長いことで、時間を有効に使えていないというか勿体なさは頭にはあるんです。 でも、例えばこの時期は特に冬場の寒さも合間って、布団から出るまでに余計に時間を費やしますし、ましてやもはや定時での通勤サイクルなど考えられない状態です。 これらを考えると、気分が落ち込むこともあるのですが、今はこれで生きていくしかないのだとも思っています。

【日常】同一労働同一賃金って本当に実現できるの?

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昨今、同一労働同一賃金が叫ばれていますが、これは本当に実現できる話なのでしょうか。 今の社会の仕組み、段階から考えると、私は遠い未来の話になるような気がしてなりません。 会社では同じ企業内で正社員、契約社員、派遣社員…など、様々な働き方をしている方々がいます。 要はこれらで同一の仕事、ポジションの賃金を是正しようとしてることなのですが…私の経験上、例えば部署内ミーティングなど、正社員は全員参加するが、情報漏洩防止のため、契約社員と派遣社員は参加させないなど、ここで持つべき業務の情報がまず変わってきます。 また、この構図があると、業務指示は正社員から受ける形となるので、ポジションが同じ仕事と見なされていても、自然と差が生まれてしまいます。 更に壁となっているのが、役職による差です。 課長や部長などの肩書きがある社員でも、忙しくて本来の業務である管理マネージメントに手が回らず、現場の平社員にリーダー的立場の人間を置き、回しているような部署を考えてみましょう。 この場合、実質的に部署を管理しているのはリーダーに指名された人間で、部課長の管理職ではありません。 更にこのリーダーは他の平社員と同一の仕事も受け持っているポジションです。 この場合、どのようにして同一労働同一賃金を考えるのでしょうか。 少し極端な例かもしれませんが、私には全く考える基準が分かりません。 このように、他に是正すべき点が多々あるにもかかわらず、同一労働同一賃金の言葉だけが今は先行している印象です。 もちろん、同じ業務をしているのに、差があるのを是正することは必要だとも思っています。 これら、企業によって異なる事情のあるなかで、国策として進めていくのであれば、同時に厳格な方の整備も合わせて考えるべき局面があるのかと、私は切に思いました。

【日常】大掃除とは断捨離から

年末といえば大掃除に着手する人も少なくないのではないでしょうか。 でも大掃除って具体的には???と思う人も多いのではないでしょうか。 拭き掃除や掃き掃除ももちろんですが、これらを始める前に、身の回りで邪魔なもの、不要なものはありませんか。 例えば洋服を趣味とする人であれば、数年前に買って、今は着ていない服など…、読書が趣味の人であれば、もう読まない本があったり… これらを片付けるだけでも、掃除がやりやすくなることがあります。 また、不用品を売れば、二束三文かもしれませんが多少の返りがあるかもしれません。 よほどのコレクターでなければこれは年末に限らずとも、思い立ったらすぐにできるかもしれません。 その後、ようやく年末は掃除をするということに集中できれば、精神衛生的にも良いのではないのでしょうか。 しかしながら、次から次にものを買う、という人はこれもなかなか難しいと思います。 私も少なからずそのような部分があるので、偉そうなことは言えないのですが、そこで効くのが断捨離です。 新しいものを買えば、必ず古いものは手元に残ります。 でもなるべく古いものであっても、手元に残しておきたい、と思ったときには、使用の頻度や、キズイタミなどを勘案して取捨を分類していきます。 すると、自然と絶対に残すもの、絶対的に不要なものが出てきて、後者のものは断捨離することができるのではないでしょうか。 また、どちらにも該当しないものもあえて分類しておくことによって、後々の同じような機会で取捨選択がしやすくなるメリットもあります。 私も現に実行できている部分と、できていない部分があり、耳が痛い話ですが、人間年々年を重ねていくので、いつかはやらなければならないことです。 新しい年を迎えるに当たって、よい準備ができる年末になればと、今回は書き記しておきます。

【精神疾患】日本人における差別意識と障害者

今でこそ少なくなってきましたが、外国人の方に聞くと一番嫌いな日本語は「ガイジン」という時代があったそうです。 また、海外の方に聞くと、日本は障害者の方に優しくない、といったイメージを持つ人も多いようです。 ではなぜこのような差別のイメージが少なからず日本にはあるのでしょうか。 第二次大戦中、日本はアジア諸国へ多大な侵略とも言える行為がありました。 また、戦国時代にも各地で領土の征服にともなう争いが激化していた背景があります。 我々のDNAには、弱者にマウントを取ることで安心できるような感情が組み込まれているのかもしれません。 私自身、幼少期に海外にいたことで、現地のいわゆる不良少年みたいな輩から、面白半分に中指を立てられたり…経験があります。 恐らく日本ではそこまでするケースは少ないでしょうが、潜在的に異形の者、マイノリティな者へ対するマイナスイメージはあるのではないでしょうか。 障害者、特に精神障害者が犯罪を犯すとマスコミはこぞって報道しますが、よく考えてみてください。 健常者の起こす犯罪の方が圧倒的に多いということを… 障害者に優しい社会と唱ってはいるものの、実際は明確に仕事上の制限や、受けることができる福祉サービスで線引きされているのが日本です。 この恩恵を受ける障害者の方が多いのも事実ですが、そうではない国もあります。 要は社会が障害やマイノリティの方々をどのように受け入れるかが重要で、そこに介在する差別的な情報とどう向き合うかが本質的な問題なのだと思います。

【日常】お年寄りのパソコン教室

仕事がら、というわけではないのですが、お年寄り向けにパソコンやタブレットの使い方から設定までを教授する機会がままあります。 大体60~80代の方々がお相手として多いのですが、実はこれらの方々に密かに需要があるのも事実です。 逆に、これ以上の年齢の方々となると、連絡やショッピングはリアルな対面を望みますので… これらの方々となると、親戚は遠方なので、テレビ電話やSkypeを使って連絡を取りたいとか、大きな買い物が大変なので、ネットショッピングを活用してみたいなど、潜在的に色々と試しては見たいけど、何から始めればよいかわからないという方々は以外に多いです。 会社員時代にITが入ってきたものの、定年退職期の近くであまりIT機器に触れられず、第2の人生に突入した方々のニーズとしては強いです。 ですので、私も説明させていただくと、すんなりと受け入れて用途を使いこなせる方も多いのです。 私自身も親や祖父母、親戚一同のIT機器回りの頼りとされていますが、他にも恐らくこのような方はいるのではないでしょうか。 ある程度の需要とニーズがあるので、ビジネスチャンスもあるのかもしれませんが、正直、私はこれ一本でビジネスとする気はないです。 何だか簡単なマニュアルを用意すれば終わり…みたいな形になりそうなんですよね。 今後もこういった需要からのお願いは受けることがあるかと思いますが、私としてはお年寄りのパソコン教室を開設するまでには至らないとのことで、今は結論づけておきたいと思います。

【過去】忘年会はハラスメント

会社員の方々はそろそろ忘年会のシーズンなのではないでしょうか。 フリーランスの私には今は無縁ですが、過去には会社の忘年会に参加した経験があります。 まず、海外、特に欧米各国ではこのような風習はありません。 会社の同僚との関係よりも、自身の家族との時間を大切にするためです。 ですので、これの参加を強要するのはハラスメントです。 次に、よく新卒者に研修の一貫として、幹事を任せる場合があります。 先輩や上司が研修として、諸々フォローをしながら幹事として任せるのは、多少アリかもと思いますが、丸投げして相談もできず、本人にも研修の旨を伝えないで幹事をやらせるのは、これまたハラスメントです。 ここだけの話、忘年会の幹事が嫌で退職する新卒社員が増えてきているのだとか… また実際に忘年会の場でも、上司が部下にお酒を注がせれば、これもまたハラスメント。 お酒の勢いで部下や同僚が嫌がるにも関わらず絡んでしまうのも、ハラスメント。 同僚のプライベートなことを根掘り葉掘り聞こうとすると、これもハラスメントです。 では、なぜここまでして会社で忘年会をしようとするのか…一つの可能性としての理由ですが、上司が部下に対してのコミュニケーションが分からないから、こういった場を利用しようとしているからではないでしょうか。 海外企業では、お互いに納得するまで、業務中や会議の場に限らず、日々徹底討論する場合がありますが、基本的に日本企業の会社上司は、業務内での徹底討論をなぜか嫌います。 部下一人に割く時間が取れず忙しいからだとか、多少の問題は先送りにしてもよいかのような振る舞いなどを目の当たりにしたことがあります。 私はこれらに加え、飲み会などをコミュニケーションの場と考える慣習が嫌でサラリーマンから退きました。 話はズレましたが、忘年会も現代では以前とその意義が異なってきていると思いますので、時代と共に形を変えていく必要があるのではないでしょうか。

【精神疾患】どうしてよいかわからないとき…何もしない方が得策

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私も経験したことがあるのですが、精神疾患の症状の中で焦燥感というものがあります。 文字のとおり、とにかく焦りが出てどうしようもなく、時には自分を追い込むようになって、何かをしなければどうにかなってしまいそうになるほどの状態になることもありました。 私の場合、特に休日や休職などで休みに入った頃、普通であれば仕事を離れてオフを満喫やとにかく体を休めることに集中のはずなのですが、このオフのスイッチがうまく切り替わらず、気持ち的に休んでいる場合ではない、とか休んでいる間にどうにかなったら自分のせいだと考えてしまって、結局何もできない状況にも関わらず、自身を責めてしまう状況に陥ることがあるのです。 このような場合、個々人にもよりますが、まず考え方を割りきるまで、いくらかの時間が必要です。 それで、本当に休んで良いんだと思えるようになってから、心身ともに本当に休める状態が初めて作れます。 精神疾患の場合、まずとにかく休ませると言いますが、上記のようなプロセスで休息に向かう場合が多々あるためです。 ここで休める状態が作れるようになったら、本当に何もしないということに心掛けた方が良いと思います。 人間にはいい意味でも悪い意味でもルーティーン化している行動というものがあって、休める状態となって初めてルーティーンの部分から外れることができます。 起きる時間や寝る時間、通勤の時間などがないある意味、非日常がそこに訪れるわけです。 で、これらの時間を何か他に割り当てるのではなく、まず何もしない時間に割り当てるのが重要なのです。 何もしないと人は自然と休む方向へと持っていく場合が多いと思いますので、まずは何もしない。 何かする時間に割り当てるのは、回復期へ入ってから、そこで初めて考えるくらいで良いと思います。 この焦燥感による何とも言いがたい状態は、最初は本当に辛いと思いますが、何とか乗り切り、何もしないで休めるまで、主治医や家族でも良いと思うので、話してその方向へ向けるよう、協力して進んでみてください。

【日常】福袋は特か損か

年末になると、年始の初売りに合わせて売り出される福袋の情報が出てきます。 福袋とは元来その名のとおり、福を呼ぶ袋売りにちなんでのものですが、現在ではお得なセット売り的な販売手法のひとつとして浸透しています。 しかしながら先に述べたとおり、福を呼ぶ意味合いとして年始の販売が多いと聞いたことがあります。 私自身も年始に限らず、通年である福袋など、いくつか購入した経験はあるのですが、この福袋を買うということ…ズバリ得なのか損なのか、人によるかと思いますが、私は得する場合が多い、とだけ言っておきます。 そもそもの話、店側からすればこの販売手法は在庫整理の一環になっている場合が多いと思います。 新商品の福袋ってほとんど聞いた経験がないですし。 中身の分かる福袋は別として、片落ち品でもある程度まとまった状態で安価であれば、人はお得感を感じるかと思います。 でも、それだけの理由で買うなら、安物買いの銭失いになる可能性もあります。 そこで一考したいのが、必要なものが買う福袋に含まれているかです。 多少方の古いモデルでも、その人に必要なものが含まれているのであれば、買うという選択肢を考えてもよいでしょう。 しかし福袋にはアタリハズレの要素も少なからず介在しています。 ◯◯が入っている可能性のある福袋…というのは私は避けるべきだとも思っています。 確かにまとめて買うお得感はあったとしても、結局のところ欲しいものが手に入らないのであれば、福も何もあったものではありません。 別途、年始の正月セールなどで買った方が、割安感があるかもしれないからです。 福袋というのはギャンブルなどではないので、景品表示法などあまり気にせず売買できる反面、本当にお得感のあるものから、裏返しで、大したことのない在庫整理品までと幅があるのが現実だと思います。 本文が福袋の購入を考える一助になれば幸いですが、必要なものは必要なときに必要なだけ買うのが人間の本望だと思いますので、福袋も本心から楽しんで買えるものということを願うばかりです。

【日常】渋谷パルコ 6F (画像のみ)

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渋谷パルコに行ってみたので、いくつか写真をアップします。 ・Nintendo TOKYO ・ポケモンセンター シブヤ ・JUMP SHOP ・TOKYO PARADE goods&cafe (U-FES. FOOD PARADE)

【精神疾患】結果的に逃げるが勝ち

仕事やプライベート、日々の生活で追い込まれることって誰でもあるかと思います。 そんなとき、とことん向き合って戦っていく手もありますが、割りきって逃げ、撤退するっていうのも選択肢の一つです。 「逃げるは恥」って言葉もあるくらい、日本人は美徳として物事から逃げ出さないって遺伝的に植え付けられている部分もあるかと思いますが、精神疾患の経験者の方に聞くと、これが当てはまる人が多いと聞きます。 要はうまい具合に物事から逃げ出す、または撤退するタイミングを逸したために精神的に追い詰められる日本人が多いと言うことかと思います。 例えば仕事でどうしてもうまくいかない…これは本人のせいではなく回りの環境のせいなもしれません。 であれば、直ぐに転職するなど行動をとるべきなのですが…今のタイミングで辞めるのは忍びない、など変なプライドというなの美学(?)が邪魔して行動を起こさない、現状維持で甘んじる人って、以外と多い気がします。 でも、それって本当に精神衛生上悪く、健康を害してまで続けることなのでしょうか? 今でこそ咎められる場合は少ないですが、一昔前はひとつの会社で長く勤めあげるのが美学で、転職回数が多いと不利益な場合がありました。 しかしそのようなビジネスライフは崩壊したといってよい時代ですし、企業もそのような人材を求めるのは希でしょう。 ですから環境が会わなければ辞める、だけで十分な理由となり、決してマイナスな逃げではなく、むしろ勇気のある撤退と言えます。 人生、自分のチャンスとなるものがあれば立ち向かうべきときが必要ですが、自身にマイナスとなるもの…ましてや精神疾患の引き金となりそうであれば、徹底的に避けて逃げてください。 自身の恥や他人の恨み言は一時的なことですが、失った時間は二度と戻ってこないので…

【日常】仕事は大きな評価よりも小さな結果

私に限らず、会社員やフリーランスの立場で仕事を受ける場合に、以下のようなオファーで選択を迫られる場面が時々あると思います。 ・A:非常に大きな案件だが、寝る間を惜しんでも6~7割りくらいしか達成できそうにない…しかしながらこの仕事が終われば、業界で大きな評価も得られる可能性があり、報酬も高額 ・B:小さな案件だが、スケジュールを立ててこなすことができ、頑張れば求められている以上の結果が出せる可能性がある…この種の仕事や人脈は継続的に続けられそうだが、評価は限定的で、報酬はあまり高くない 私であれば迷わず「B」の仕事を選択します。 私の考える前提としてまず100%の完遂をできないような仕事は受けません。 また、金銭的に高い見返りを求めていたなら、今でもサラリーマンを続けていたでしょうし…そのくらいの覚悟をもって今のフリーランスの立場に臨んでいるのが現実です。 しかしながら、「A」の場合も大きなチャンスを得られると言う点では魅力的なオファーではありますが、求められるに満たないという点では受けられない仕事ですし、高額な報酬であっても、やはり私としては受けづらい仕事だと思っています。 無論、一時的にでも経済的な潤いがあるには越したことはない点も否定はしませんが… これら、私の考え方を綺麗事と思う方もいると思います。 私だって正直、綺麗事だと思う部分もあります。 でも、目の前に完璧に片付けられる仕事があるのに、飛躍できるチャンスだけで完遂できない仕事を受けることがどうしてもできない、ある意味ダメな性分なのです。 これは恐らく、今の社会的には向いてない性分なのでしょう。 「A」のようなオファーを受けて、チャンスを得た人が今の社会を動かしている側面もあると思われますから。

【日常】油そば好き

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私は、もともとラーメン好きではあったのですが、ここ数年、油そばをこよなく食するようになっています。 正直な話、毎日食べても飽きないものに出会ってしまった感があります。 ラーメンの場合、スープが多種多様にあり、それが面と合間って味の大部分を占めるものかと思います。 また、台湾まぜそばに代表される、具材や辛味をまぜる、まぜそばと呼ばれるものも昨今では多くありますが、これはまた別物だと思います。 私の言う油そばは、単純に麺を鳥油や葱油などとタレで合わせたものを、ただただかき込み食する、それだけのものです。 お好みでネギやラー油、お酢といった味付けで調整することもありますが、基本的には麺そのものを味わうもので、麺の風味や食感が全ての一杯だと思っています。 最近では専門店も少なからず見られるようになってきましたが、基本は上記のようなものが多いかと思います。 自分でも、なぜこれほど好きになったのか、振り返ってみると…スープの塩分を気にすることなく、かつ麺を食べきれば器が空になるので、食べきったと言う満足感が半端なく得られるからです。 私自身、血圧も高い方なので、この油そばを初めて食べたときは画期的だと衝撃を受けました。 ただ、量的なことを言うと、ラーメン一杯の麺量より、明らかに一杯の麺量は多いと思うので、この食べ過ぎには注意していますが… この、油そばもそろそろ市民権を得てきた食べ物だと思いますので、もし油そば協会などがあれば是非とも普及に協力させていただきたいと思っていますので、情報をお持ちの方がいれば、ご一報いただければ幸いです。

【精神疾患】ゴッホの人生

恐らく多くの方がご存じの有名画家フィンセント・ファン・ゴッホ。 代表作に「ひまわり」などがありますが、これら彼の作品は、ゴッホ自身の死後に評価された作品と、ご存じの方も多いのではないでしょうか。 また彼は精神疾患を抱えており、自身の耳を切り落とした逸話や、37歳という若さでこの世を去った人生というのも有名な話です。 私が初めてゴッホの作品に触れたのは、小学校の頃、当時の修学旅行でオランダへ行き、ゴッホ美術館で実際の作品を目の当たりにしたときからでした。 それ以来、ゴッホの作品のにわかファンというか…日本国内でもたまにゴッホ展などが開催されますが、度々足を運ぶこともあります。 ゴッホが精神疾患を抱えていたとか、死後に評価された画家だとか、これらは私が成人して知ったこともありますが、それからゴッホの作品の力強さをより感じるようになった気がします。 あの力強い表現こそが、彼の精神面の体現だったのかもしれませんし、ゴッホ自身のコントロールできない感情をぶつけたのが、あれら力強いタッチの作品たちなのかもしれません。 話しは変わりますが、よく、絵心のある精神疾患の方が絵を描くと、時にものすごい表現が現れることがあるそうです。 もしかしたら、人の精神面と芸術や感性を司る部分は密接な関わりがあるのかもしれません。 ゴッホも生前こそ精神疾患で評価されづらかった時代背景があったのかもしれませんが、私は単純にあの力強い画力が素晴らしいと素直に思える、ゴッホの作品を好きになったんだと思います。

【精神疾患】建前と他人の声

精神疾患の経験のある方のお話を聞くと、音に敏感になったという方が多くいます。 中でも、他人の声や話し方に敏感になったという人が多くいました。 このお陰というか、せいもあり、要らない詮索をしてしまう場面も増えたと言います。 人間、会話の中で建前で話す場面があると思います。 これは社会に出ればよりこのような場面もあり、物事を説得する材料とする場面で使われたり、マイナスな本音の角が立たないように包み込んで話す場合に用いることが多いと思います。 しかし、私の場合もそうでしたが、精神疾患にある状態のとき、これらの建前で話すということが通じないケースがありました。 何というか、まさに相手の話し方や声の抑揚で、本音で話しているのか、建前で話しているのかが何となく分かってしまうのです。 で、建前で話す相手に対して、こちらが本音で話すと当然ながら会話のズレが生じ、何故か大抵の場合、相手は怒ります。 …気を使って話しているのに…と。 しかし精神疾患の状態にあった立場から言えば、建前での会話は必要ないのです。 最初に話した通り、精神状態で相手の声や話し方の方が気になってしまい、話している内容から情報を得ようとするよりも、その話し方から情報を得ることが多いのです。 だから、わざとらしいリアクションや、必要悪でも嘘の会話はやめてください。 たとえビジネスシーンで上記のようなことが必要だと思っても、それでもやめてください。 私は他人の声に敏感になるのは、あくまで精神的な一部が鈍くなっているのと、また裏返しである感覚の一部分が鋭くなりすぎているからだと、経験上ながら思っています。 今回は精神疾患を受け入れる側からの疑問の声もあったため、本稿のようなことを書き記させていただきました。

【日常】ステマは違法ですよ~

コンサルティングやブランディングのフリーランサーを生業とする私にとって、マーケティングの手法は最も重要な要素の一つです。 しかしながら、広告代理店の中には、未だにステルスマーケティングの手法を用いようとする企業があるので、今回は注意喚起も含めて筆を執らせていただきました。 この場でハッキリと申し上げますが、今ではステルスマーケティング(ステマ)はグレーゾーンではなくて、私は違法行為と思っています。 バレなければいいや…ではなくて、ステマと認識して行った時点で、信用棄損罪や偽計業務妨害罪の対象となる可能性があります。 それだけではなく、いわゆる炎上などしてしまえば、祖の商品や作品だけでなく、企業ブランドのイメージを大きく損なうことになると思います。 この損失の大きさはもはや天井知らずとなることでしょう。 これらは一企業のことだけならまだしも、時にステルスマーケティングは社会全体を誤った方向へ動かす可能性さえも秘めていると、私は個人的ながら考えてしまいます。 気づいたときには、自身は既に誤った潮流の構成員として動いている…何てことも起こり得てしまいそうです。 少々話が飛躍してしまいましたが、もう一度だけ言うと、PR活動としてのマーケティングは重要ですが、消費者に誤った理解や、間違った方向を指し示してしまう可能性を大いに孕むステマを手法のひとつとして使用するのは、絶対に避けるべきです。 合わせて、私たちユーザーも正しい情報を享受して、必要の取捨選択をする必要がありそうです。

【過去】パソコンを買い換えようと思ったが…

最近、パソコンを買い換えようと思って、結局のところ、中身だけパーツの交換をして済ませてしまった話です。 このパソコンはデスクトップで6~7年前に某BTOにて購入したものです。 さすがにこの年数を使用していると多少の不具合が出てくるもので、一新しようと当初は買い換えを検討していたのですが、やはり価格がネックになったので、パーツ交換による改修に踏み切ることにしました。 まずは昨今で比較的安くなってきているCPUから決めて、さすがに今の世代だと、6~7年前のマザーボードでは合わず、マザーボードの買い換えも決めます。 すると今度はメモリーの規格がDDR3からDDR4への変更が必要になり、こちらも用意。 電源とPCケース、ストレージ類(HDDとSSD)、グラフィックスカードはなんとか流用できたので、買い換えよりは安上がりでしたが、数万円の出費と…あとはパソコンを一旦バラすための労力と時間が、久々の自作パソコン的にかかりました。 今回のパソコンは比較的もった方ですが、これだけの年数が経つと、諸々の規格が変わっており、逆に古い規格のものは入手困難なものもあったので、結局のところ現行と思われる規格のものに統一しましたが、やはりそれでも10年くらいはパソコンの耐年数があってもよいのでは?…と思います。 もちろん、それ以上の年数をもたせる方々もいると思いますし、工夫次第ではお金や規格を気にせず、いわゆるジャンク品などを使用してパソコンを仕上げる方もいるかと思います。 でも、やはり家電、されど家電なのでしょうか、昔のもののように長持ちはせず、ある程度は買い換えのサイクルが考えられている家電のひとつなのだと思います。

【日常】食べログ…ってそんなに気になります?

私の仕事上の機会で、外食産業やレストランのブランディング、コンサルティングに関わることがあります。 その中で特に若手のオーナー様などに多いのですが、食べログなどのインターネットの批評や評価を気にする方がいます。 これについて、私の見解ではありますが、特に期期する必要はない、と言わせていただいています。 正直、ネット上でアクセスデータを取ってみると、これら評価サイトからの流入はほんの一部の層からの流入にすぎず、その店舗の公式ページがある程度しっかりと予約などで作り込まれていれば、そこからの顧客獲得の方が圧倒的に見込めるからです。 私自身、これらの批評サイトの評価を否定する気はありませんが、特に気にして入店を選択すると言うこともさほどありません。 活用している世代の方々には一部、指標となってささる部分もあるかと思いますが、親の世代、祖父母の世代ではまず気にしない指標と言ってもよいでしょう。 この世代になると、行きつけの外食店舗も増え、他の批評や評価を外食に限っては気にする必要がない、といった背景もあります。 逆に言えば、外食店の事前情報や評判といった部分を数値化して、特定のこれを必要とする層にささるように仕掛けた、食べログなどは、もともとのニッチな潜在層からのうまく社会に溶け込めたサービスのひとつの事例ではないでしょうか。 食の好みは一人一人違ってよいものでもあります。 行きつけの懇意になれば自然と好みの味に合わせてくれるレストランなども私自身、いくつか知っています。 批評サイトの数値もあくまでその人の好みであって、好きな味は自分で探求する…そのくらいの意識は誰しもが持ってもよいものなのではないでしょうか。

【過去】ドイツのグルメ

ドイツ料理と聞いて、思い浮かぶものがいくつかはあるかと思います。 これまで私が食してきた中で、日常的によく食していたものや、リピートで食べていたものをいかにお伝えしたいと思います。 ・ウィンナーブルスト 日本で言えばフランクフルトソーセージに当たるものでしょうか。 本場では大きく直火で焼いているものもあり、個人的にはミュンヘン風の白ソーセージや、カレーケチャップで食すカリーブルストなんかがオススメです。 ・シュニッツェル 豚肉または仔牛肉を使ったカツレツのことです。 レストランによっては中にハムやチーズを挟んだものもあり、ボリュームのあるひと味を楽しめます。 非常に一般的な料理ですので多くのレストランで楽しめる一品です。 ・ポテトとミートソースのココット 日本ではじゃがバターがありますが、ドイツではバターの代わりにまるごとのジャガイモにミートソースを合わせて食す料理があります。 こちらも一般的かつ日本人の口にも合う一品かと思います。 ・フィッシュ&チップス 多くはイギリス料理をイメージするかもしれませんが、ドイツでも白身魚のフライやフレンチフライポテトは一般的で、様々な場所で楽しむことができます。 特にレモンバターと合わせた白身魚のフライは、パンなどともに一般的な昼食で食す人も多いです。 ・黒パン 日本で言う黒糖の甘いパンではなく、黒いライ麦を使用して発酵させて焼いたパンのことで、固めの歯応えと酸味が特徴のパンです。 パン単体では酸味が気になる方もいるようですが、塩気のあるハムなどと合わせて食すと、なぜか癖になるサンドイッチのような味があり、夕食の場面で食す機会の多いパンの一つです。 今回は簡単ながら、いくつかのドイツ料理を紹介させていただきました。 日本ではまだまだドイツ料理の専門店は少ない方かもしれませんが、機会があれば多くの日本の方にも知っていただきたい料理ばかりです。

【精神疾患】季節による症状の変動

私が様々な話を聞くなかで、精神的に症状の辛くなる時期が年間で大きく分けて2回ほどあるようです。 一つはよく五月病と言われる主に春先、ゴールデンウィーク後の時期がよく言われる一般的な時期ではないでしょうか。 もう一つは今の時分、年末年始にかけての時期です。 私自身が罹患したのもこの年末年始の時期で、実際にこの時期は多くの方が内科的ではない体調を崩している場合があるそうです。 思い返してみると、日照時間が短くなり、会社も休みに入るため、生活、睡眠ともにリズムが崩れやすくなるのは確かです。 特に年末ともなれば、実はサービスのローンチ時期としても以外に多いこともあり、年末に燃焼してしまい、年始からは燃え尽きた状態で仕事を始めてしまうという方も少なからずいるようです。 また、心療内科のクリニックなども1~2月は予約がいっぱいで取りにくいということもありました。 (これは5月の連休後も同様ですが…) よく季節による精神疾患だと、寒さと鬱…と言うことも昨今では言われていますが、問題は寒さではなく、それを取り巻く周囲の環境からの体調を崩す要因だと思っています。 どうしても起床しづらい、どうしても通勤が苦痛でならない…などこの季節特有のものがあると思います。 この原因がわからず、内科を受診するものの、異常なし。 で、心療内科を受診すると精神的なストレスが認められる。 自身も発見はそのような流れからだったと思います。 メンタルクリニックは敷居が高いと思う方もいまだ多いと思いますが、薬による治療の前提だけではなく、思い当たる症状があればまずは相談だけ、でもよいと思います。

【精神疾患】テレビは見て良いの?

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よくワークショップなどで議題に挙がることなのですが、精神疾患の療養中、または休職中にテレビを見ても良いのかということでお悩みの家族の方が多い気がします。 私の場合は特定の番組は避けるべきだと思いますが、基本的に症状が重くなければ大丈夫だと答えるようにしています。 では、実際にどのような番組は避けるべきなのか…これは私の場合ですが、まずドキュメンタリー番組で、内容は成功例でも失敗例でも見るのを避けるようにしていました。 無駄に自身と重ね合わせて、気が沈んでしまうため、人の成功や失敗にか変わらず、精神的な安息がこれらを見ることによっては得られないと感じたため、今でもなるべく見ないようにしています。 また、バラエティーなどのお笑い番組を見るのも当初は気を付けていました。 回復期にあるときはむしろ見て笑いの感情を表に出した方が良いかと思うのですが、罹患したてのときにこのような番組を見てしまうと、気分の高揚で一時的に「躁」のような状態に入ってしまい、そこから気分が落ち込んだときのダメージが倍増してしまう可能性があったからです。 逆に見てもよいというか…普段通りにテレビをつけていて問題ない番組などは、アニメーションやSF映画などと考えます。 明らかに現実で起こり得ない内容なので、読書などと同じように頭の中で切り分けて見れるため、逆に諸々なことから気をそらすという意味では良かったのかもしれません。 これらとは別に困ったことはニュース報道です。 これはテレビ番組に限らず、インターネットなどでも自然と情報がこちら側に流れてきてしまうので、意識的に避けるのにも限界があります。 ご家族のいるかたであればある程度は意識的に避けられるように時間帯を注意できるかと思いますが、独り暮らしの方などは、そのときの気分や体調にかかわらず、スマートフォンから自然と入ってくる情報もあるので、苦労された方も多かったようです。 ただ、テレビもあくまで情報取得の手段のひとつです。 このように割りきって考えれば、不要な情報は得ずに、必要な情報を得るためのツールとしてうまく利用してほしいものです。

【精神疾患】自分に都合の悪いことは認めない人

これは精神疾患を患った側から見て、一番接してはならない、接するのを避けるべき人を差します。 精神的な悩みが大きい人は両極端な考え方、例えば大きくマイナス志向的な考え方をする人が多いかと思われますが、この種の自身に都合の悪い事を廃する考え方の人は、志向の領域が狭く、その人の過去や経験がこのようだったから、あなたはこうすべき…と決めつけられた考え方を強要しがちだからです。 私自身も、精神疾患の罹患時にそのような考え方の上司を持ったため、休職までの日々、選択肢の少ない状況でよく生き抜いていたと思います。 これら、治療を進めるにしたがって、こんな考え方もあった、そのような発見もあったなど、見識が広がった部分もありましたし、だからこそサラリーマンでいる会社員にそれまで以上の価値を見出せず、フリーランスに転向した経緯もあります。 上を目指すからこそ、普通の人が考えないようなことを… 常に最悪の事態を考えるからこそ、備えられる… これらを今では、以前より確実にできていると思います。 そしてこの感覚は会社などの組織の中に長くいればいるほど腐っていく感覚だとも思っています。 私はフリーランスとして特に何か大きな事も、偉業もまだまだ達成したわけではないですが、こういった自分の都合の悪い事を認めない人種にぶつかったことによって得られた経験値も、少しは糧にできていると思っているので、これらはワークショップや講演会の機会でも可能な限り様々な人にお話しするようにしています。

【過去】サッカーの根付いているドイツ

ドイツで一番メジャーなスポーツと聞くと、サッカーを思い浮かべる人も多いでしょう。 実際に現地の方に聞いてもサッカーと答える方は多いです。 私自身、幼少期はキャッチボールよりも、ドリブルやシュート練習が日々のスポーツでしたし(まず野球ボールやグローブが入手できない)、テレビで見るスポーツもサッカーの中継が多い環境でした。 ドイツといえばブンデスリーガでプロサッカーは有名ですが、私の住んでいたハンブルグ州には主に2つのチームがあり、ハンブルガーSVとザンクトパウリの両人気が記憶にあります。 ハンブルガーSVはブンデスリーガのトップリーグ歴も長く、由緒正しきサッカークラブという老若男女に応援されているイメージが強いです。 反面、ザンクトパウリは地域に根付いたクラブというか…トップリーグに今一定着できていない反面、熱狂的なファンが多く、アウトロー的なイメージもあるサッカークラブだと思います。 これら、何というか…日本のJリーグとかと比較してもやっぱり雰囲気がひと味違うのです。 サッカーという競技事態が社会的に高い位置にある競技というか、生活に根付いている側面があるというか…どうしても日本と比較すると、そう見えてしまうのです。 公園などでも地元の少年クラブの練習をしているのは日常風景ですし、ファッションで地元チームのユニフォームを着ているのも日常のように見ます。 日本も決してそうではないとは言いますが、日本の場合、野球の方が歴史は長いですし、ある年代以降はサッカーよりも野球が根付いているといっても過言ではないような気がします。 昨今でこそサッカー日本代表の試合などでは盛り上がりはありますが、ワールドカップの優勝まで、私の生きている間に叶えばとこそ思っていますが…1990年にドイツが優勝したとき、あの地にいた私としては、日本でもあんな経験はできるのかと、思いを巡らせてみた、今日この頃です。

【精神疾患】やる気のでないときと睡眠欲

私自身、精神疾患の罹患時にも、今でもときどき、全く何事にもやる気のでない瞬間というのがあります。 そもそも気持ちの問題というより、体が動かないといった方が近い症状かもしれません。 今の私の場合、フリーランスという立場なので、まだ融通が利いているものの、会社員時代であればこのような状態では続けるのは無理だったでしょう。 こんなとき、私は何もせずできるだけ寝てしまうようにしています。 昼であろうと夜であろうと関係なしに… 案外、一眠りすれば気持ちも少しは切り替わるものです。 かえって夜が寝れなくなる心配もありますが、夜は夜で必要なときには睡眠導入剤なども活用することもありますが、無理して寝れないときは起きていてテレビを見ていたり、読書をしたりすれば1日くらい寝れなくても何とかなるものです。 食欲と一緒で、食べたいときは食べて、食べたくないときは無理して食べない…睡眠欲も寝たいときに寝て、眠れないときには無理して眠ろうとしない、これって結構重要だったりします。 何かのやる気と言うものは生きている以上、特に何らかの仕事をしている人には必要なものです。 要はこれを何処で培って維持、発揮できるかなのですが、そのための睡眠も一因として大切な要素のひとつだと私は思っています。

【過去】冷遇される日本のIT環境

ズバリ、仕事で使用しているパソコンのスペックは足りていますか? 私の過去の経験上、会社で使用しているパソコンというのは動く最低限のスペックしかないものが非常に多いです。 例えば、メモリが4GBしかないのを倍の8GB~さらに快適な16GBにすれば仕事が快適になりますし、HDDをSSDに変えるだけでも長い目で見れば時短につながる可能性が大きいです。 しかしながら、会社でこれらを訴えても通ることはほとんどないのが現実でしょう。 これらを本来必要とするエンジニアやクリエイターは専門職で、管理職のような決裁権を持ちません。 で、上記のようなことを管理職へ訴えても、管理側は必要なの可否を評価できないので、快適な環境よりもコストを重視して数万円の出費を抑えることを考えている…ということが多いのではないでしょうか。 だからこそ、私も会社員を辞めてフリーランサーの道を選択した一因でもあります。 必要なPCスペックを自身で選択して、仕事を進められますから! 話は少し変わりますが、先ほど専門職のエンジニアやクリエイターについて、日本においては彼らの仕事というのは非常に評価が低いように思います。 世界的に見て、給与水準がIT後進国となってきてしまっているのは周知されつつある事実ですが、これも正しく評価できる人材が育っていない、もしくはこの育成を蔑ろにしてきた結果だとも思います。 最近、Yahoo!JapanとLINE社の経営統合の話題が出てきまして、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)に対抗できると報道で語っていた気がしますが…私は上記の理由から無理だと思います。 日本はIT貧困国なのです。 エンジニアやクリエイターの評価は右肩下がりなのです。 では彼等の年収水準を国際的な水準に合わせればGAFAと対等に戦えるのか…恐らくそれでも無理でしょう。 本稿で述べている通り、そもそもIT環境に対しての考え方が国際的に見てあまりに違いすぎるからです。 ここまでにしてきてしまった日本社会にも罪はあると思いますし、声を挙げてこなかった我々にも罪はあると思います。 ここまで少々辛辣に述べてきましたが、これらの事実、現実に気付いていない人もまた多いと思います。 まずは日本の…我が国

【日常】ゲーミングスマホ…という分野で悩んでみた

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昨今ではスマートフォンでもゲーミングPCのようにゲーミング化が進んできており、「ゲーミングスマホ」なるものが次々にリリースされてきています。 スマートフォンとしてのスペックも高いため、ゲームに特化しているばかりではなく、普段使いの場面でもカメラなどにこだわりがなければ、そこそこ優秀なようで…私も気になっているゲーミングスマホをいくつか以下に列挙したいと思います。 ・ROG Phone 2 (ASUS)  基本はRAM:12GB、ROM:512GBのモデルのようですが、ROM:1TBのモデルも用意されているようで、多数のゲームアプリをインストールされる方でもストレージの不足を気にする必要はまず無いと思います。 また、バッテリーも6,000mAhと圧倒的な容量です。 前モデルと同様で、周辺機器も充実しており、コントローラーだけでなく、外付けの冷却ファンや、2画面でゲームをプレイできる周辺機器も健在です。 こちらの機種が現時点で一番新しいゲーミングスマホなので、今の時点で最強のゲーミングスマホなのかもしれません。 ※ Amazonへのリンクはこちら ・Blackshark 2 (Xiaomi) こちらはRAM:12GB、ROM:256GBのスペックを展開しているのですが、廉価版としてRAM:6GB、ROM:128GBのモデルが存在し、その分、本体価格が抑えられているのが特徴です。 また、好みは分かれるかもしれませんが、画面上での指紋認証機能を実現しています。 このメーカーのXiaomiは日本への進出もあるようで今後の展開も合わせて気になるとことです。 ※ Amazonへのリンクはこちら ・Red Magic 3S (NUBIA) こちらもRAM:12GB、ROM:256GBを基本スペックとして、特に冷却系にこだわりがあり、こちらは冷却ファンを内蔵している点が特徴的です。 コストパフォーマンスも素晴らしく、上記の機種と比較して、値段のわりに高いベンチマークの数値を叩き出す性能も持ち合わせているようです。 また、上記の2機種と異なり、カメラは単眼レンズで、日本の技適マークの対象ではない点も注意が必要かもしれません。 ※ Amazonへのリンクはこちら …私が現時点で購入を迷うところの3機種をご紹介させていただきま

【日常】確率の集約?

いきなりになりますが、宝くじは買い続ければ当たるのでしょうか。 今回は確率の集約とはあるのか、少し考えてみたいと思います。 例えば確率が1/5の場合、単純に5つの中に1つ当たりがあり、これを1回で引き当てる確率は20%となります。 しかしながら、これを5回引けばその内の1回は引き当てられると言う人がいます。 私は、論理的には前者が正解で、後者は不確実性を含むので確率の集約という考え方なのか?…と思っています。 宝くじを買うという行為だけではなく、他にもギャンブルのパチンコやパチスロなど、やり続ければ当たる的な考え方も多いようなのですが、当たる人は一回…とまでは言いませんが、少ない投資で当てる人もいます。 (今回は台の設定などは考えずです) 最初の話に戻りますが、宝くじなども確率を考えると、まずあり得ませんが、全てを買い占めれば当選するでしょう。 ですが確率はあくまで確率なので買い続ければいつかは当たる的な思考は、確率の集約があるだろうといった考えに基づくものに過ぎないこととなります。 もちろん、私自身もこういったくじ的なものに臨むときは一定の期待はしますし、少しでも当選に近づくため、口数を多く購入することもあります。 でもこれも当選確率に対しての確率の集約的な考えのためなので、当選するときはしますし、しないときはしない…だけのことです。 まあ今回は文系的思考の極みだと思いますので、ご容赦いただければ幸いです。

【日常】時代の波に乗れない会社

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会社員の方々からたまに耳にする話があります。 ある会社は、基幹のシステムを古いOSで構築しており、長年これを改編して使用しているため、切り替えられないとか。 また、ある店舗経営をしている企業は、このご時世のキャッシュレスの流れに乗らず、日本はまだ現金主義だと信じて対応しない方針を打ち出しているのだとか。 どちらのケースも、最新の設備を導入するとなると数百万~数千万、場合によっては億単位の改修費用がかかることも想定されるので、わからなくはないのですが、それぞれの企業のトップにこれらの話をぶつけるとそろって口をつぐむ傾向があります。 共に考え方は同じようで、顧客側ではなく、どうやらあくまで会社としての利便性を中心に考えているようです。 確かに今は上手くいっているなかで、急に古くなったからとか、国策での流れがそうなったから、というだけでは設備に数億円を軽く出すというのは難しい部分もあるかもしれませんが、先々を見た場合、いつかは必ず必要なときがやって来ます。 これらを今やるか、先延ばしにするか、これが時代の流れに乗れる経営者の資質の一つではないでしょうか。 企業でまず先を読んで行動できるのは、一社員ではなく、経営陣の役目だと、少なくとも私はそう思います。 企業は自社を本意で考えるのではなく、時代の流れ時流と市場社会にいる顧客の流れを読み、的確な対応をすることが一番に求められているのではないでしょうか。

【過去】始業風景を取材した企業の文化

私は企業コンサルのうえで、直接その企業の就業風景を取材することも時にはあります。 今回はとある企業の始業風景を取材してそのときに出た肯定的な意見、否定的な意見の二つをヒアリングしてコンサルした経験をお話ししたいと思います。 その取材した企業については、特徴として始業時に二つのことをしていました。 ひとつは朝の10分間のオフィスの清掃と、朝礼での指針の唱和でした。 しかしながら、このそれぞれに社員からは肯定的な意見と否定的な意見が出ていました。 まずは以下、 ・朝の清掃に肯定的な意見 オフィスを大切に扱う、これから皆で仕事を始めるとの切り替えがうまくできる、などの意見がありました。 ・朝の清掃に否定的な意見 一刻も早く業務に入りたいため清掃に使う時間がもったいない、ビル清掃も入っているのでその方たちの仕事を奪っている、などの意見がありました。 また、朝礼に関しては、 ・指針の唱和に肯定的な意見 お客様相手の仕事のため重要、法令遵守など業務にか変わる指針のために必要、などの意見がありました。 ・指針の唱和に否定的な意見 社長の講話だけでも十分な朝礼、今の時代に錯誤しており宗教的な唱和は必要ない、などの意見がありました。 …この辺り、世代間での意見の相違や、全くバックグラウンドの異なるところから転職してきた方々には違和感のある企業文化と思う方が多かったようです。 また、代々の社長からの慣習的なと頃もあったようなので、このときは人事部長の方とも話す機会があったのですが、やはり今のご時世で見直す必要のある部分はあるとの認識だったようです。 このときの私の役目は、ありのままの取材記事をコンサル方へ事実として書き示すだけだったので、その後どうなったかは分かりませんが… 朝礼をひとつとっても企業の文化ではあるものの、時代と共に見直すべき部分は見直した方がよい場合が多いのかもしれません。

【日常】朝は風呂とプロテインとお茶

私の朝のルーティーンなのですが、まずは熱い めの風呂に入って目を覚まし、朝食代わりにプロテインのドリンクと、ペットボトルのお茶を飲む機会が多い昨今の日常です。 風呂はもちろん寝る前にも入るのですが、こちらは頭の洗髪や体を洗うのが中心で、これに加えて、朝は残り湯を沸かし直して、単純に熱めのシャワーと、入浴剤を入れての入浴で一旦目を覚ますために入り直すことがあります。 無論、体調や仕事の時間の都合でどちらかになることもありますが、この時間はかなり優先的に取るようにしています。 次に朝食ですが、サラリーマン時代は時間的になかなか時間をとることができず、何年にもわたってまともな朝食を実家や旅行など以外でとることがなかったため、その延長線上でもある今では、何とかプロテイン入りのドリンクやゼリーだけでも取るようにして、これで済ませています。 あと、水分補給の代わりに季節を問わず、ペットボトルのお茶を一本、飲むようにしています。 冬場は時にお湯を沸かして急須でお茶を入れることもありますが、ほとんどはペットボトルの緑茶かほうじ茶か玄米茶がお決まりのパターンです。 以前に水は日頃から良く飲むという話は書きましたが、日中がそんな状態なので、朝はお茶がルーティーンです。 これら朝の生活パターンで、あくまで私の場合ですが、会社員でいた時代よりは確実に体調というか1日のバロメーターの始まりが良くなった気がしますし、悪い意味で時間に終われるという感覚がなくなりました。 この数日は寒くなって来ていることから、今期も布団から出にくい季節ではありますが、このルーティーンを初めて2~3年、フリーランサーの1日の始まりとして今回はご紹介させていただきました。

【過去】よい指導者にめぐまれれ組織ば伸びる?

会社でもよい上司、よい社長にめぐまれれば、組織は成長し、個々人も伸びて行くと思います。 その流れが次の後輩へと引き継がれて行く事が理想でしょう。 多くの組織ではそうなのですが、新規の事業を開拓する企業はそうも言ってられないのが現実です。 正解は市場や社会へ出てみないとわからないため、手探りで仕事を進める場合もあります。 そんな中でもよい指導者というのは、責任を全うして、属人的な仕事をしない、させない事が組織への貢献と言えないではないでしょうか。 過去にとある企業を取材したときの話になりますが、この会社は新興的な事業を展開していたものの、とあるきっかけで、社長が交代することとなりました。 それまで、完全な成果主義で、社内の給与差も大きく、人件費や、大きな広告費の展開で赤字ではなかったものの、かなり銀行からの借り入れが膨らんでいる状態でした。 新社長の体制は、あまりにも差のあった給与格差の是正、過剰な広告を抑えて、キャッシュによる内部留保などを断行しました。 これは当然ながら、給与の昇給があった社員もいれば、額面上で半分くらいにもなる社員なども出てきてしまいました。 また、内部留保を蓄えるようにしたため、業績面では数字上の健全化されてきた部分もあったようです。 しかしながらこの会社…社員の半分ほどは新しい人材に入れ替わってしまったようです。 当然ながら、収入面で不満のあった方もいるようでしたが、内部留保という考え方に不満を持った社員が多かったと聞きます。 確かに企業はバブル崩壊やリーマンショックの影響から、ある程度の内部留保を心配する会社が多いのは事実です。 しかしこれを過剰に経営で意識すれば、一見数字上は会社が健全化しているようでも、お金の流れ、回りは悪くなる部分もあります。 この会社では新卒、中途どちらの新入社員も給与面を見直し、この社長になって以降の採用は、それ以前よりも水準の低いものとなってしまったようです。 上記は、経営者としてのとある社長の一面ですが、これがよい立場の指導者といえたかは、人によって評価が別れることでしょう。 しかしこのように、指導者が変われば、組織が大きく変わることは現代社会では多分にあります。 そしてそれが自身にとって良い環境かどうか、離れてみるのも一つの手段だと思います。 今回紹介した取材事例は

【精神疾患】向精神薬と抗精神薬

私は医学的な専門家ではないですが、講演会や記事ライティングの中で、標題の件を使い分けて表現しています。 もちろん、これらの言葉に縁の無い方々への啓発としても一度ご説明させていただければ幸いです。 あくまで私の理解ですが、広義での意味ではどちらも向精神薬の部類に入るかと思います。 狭義的な意味では、向精神薬は興奮や幻覚などに作用する麻薬的な違法薬物、抗精神薬は精神疾患の治療で利用される鎮静や抗不安の効能がある薬品と考えています。 私自身は誤解のないよう、「抗不安薬」と記述する場合が専ら多く、恐らくその方が他者への誤解のない理解があるからだと思っているからです。 これら薬品に対する考え方は、まだ一般的にはマイナスなイメージが強いのが現状だと思います。 抗精神薬は、ドラッグストアで気軽に買える市販薬ではなく、処方箋を必要とする薬であるため、敷居の高い薬品であるのは確かです。 その上で、向精神薬とカナ読みは一緒のため、混同している方も少なからずはいることでしょう。 そして共に精神に作用するという意味合いから、精神疾患に縁の無い方からすれば、自と嫌悪感があるのかもしれません。 最初に広義では全て向精神薬の部類に入ると書きましたが、日本ではこれらは明確に分類されています。 ですので、これらの線引きが変わることは法律上、まず無いのですが、外国などでは医療用大麻などの研究や問題もあります。 では、日本においてはなぜこれほどまでに向精神薬と抗精神薬の線引きが明確と言えるのか…日本ではまず研究用の向精神薬も法的に利用ができないようになっているからです。 裏を返せばこれが新薬の開発等に影響しているのかもしれませんが、明確に「向精神薬はダメ」と啓発できている効果はあると思います。 また、最近ではアルコールやニコチンの依存度よりも向精神薬の方が依存度が低い何て意見もありますが、精神疾患の経験がある私たちの立場からすれば、今後も向精神薬と抗精神薬は明確に分けて考えていただきたいと望むばかりです。

【過去】責任を持たない社長

私が様々な企業を見てきた中で、最もダメな社長の特徴として責任能力を持たない社長のいる会社がいくつかありました。 この類いの社長の特徴としては、いくつかのパターンがあります。 以下にいくつか列挙します。 ・そもそも社員一人一人に責任を重くおいている ・先代社長の妻や子で、親族というだけで社長を継ぎ、全く社長の器ではない ・パワハラに近い激を飛ばす一方で、本人は本業以外に勤しんでいる ・代表取締役社長の肩書きなのに、会長などの役職者の傀儡となっている ・会議ばかりをやりたがるが、周囲は全てイエスマン …など、挙げればキリがないのですが、過激な言い方をすれば全て阿呆な社長です。 話を責任能力に戻すと、確かに業務遂行の責任は各社員の裁量にもよるかと思いますが、会社の利益に対しての責任は、代表取締役である社長そのものの責任です。 この責任を守るために必死すぎる社長もまた問題があるかと思いますが、少なくとも株主を納得させるだけの責任を全うさせるのが本来の社長業だと私は思っています。 であるからこそ、社長の周囲はイエスマンで固めてはならないと思いますし、ワンマン経営を避けるためにも、社長の短所をつつけるくらいの経営陣で固めるべきだと私は思います。 まあ私自身、会社を起こす気も、ましてや社長になる野望もないので…今回はただのぼやきというか、遠吠えくらいに思っていただけるとありがたいです。

【過去】相談できる職場作り

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私の企業コンサルティン後の中であったお話です。 その会社は比較的規模のある会社で成長企業の中に入る部類の会社だと思います。 問題としてあったのは、社員一人一人に対しての業務量の多さ…その上で残業をほとんど許可しないとのことでした。 そのため、社員同士のコミュニケーションが乏しい環境となってしまっていたようです。 私は直感や経験則から、すぐに管理職の日々の稼働状況をヒアリングしました。 管理職となる上司も業務量が大きく、管理機能が非常に低いような状況でした。 私は下記のような例を挙げて、改善を提案した経験があります。 以下、例を挙げます。 ・上司のもとに、お客様から問い合わせがメールでありました。  ↓ ・上司は中途採用の新人の部下にそのメールをプリントアウトし、返信を任せるとだけ言い、自席に不在の状態となりました。  ↓ ・その部下は周囲にどう返すか相談しようとしましたが、繁忙期により明らかに周囲も忙しくしていたため、自身の経験則と一般論を書き可能な限り丁寧な内容で書き上げ、上司にも確認を取ろうと思いましたが、終日自席に不在だったため、これをお客様にメールを返しました。  ↓ ・後日、再度上司へそのお客様より問い合わせがあり、更に知りたい部分がある、納得のいかない部分があった旨の内容が記載されていました。  ↓ ・上司はなぜ返信前に正しいかどうかの確認をとらなかったのか憤慨し、部下は最初に適切な指示を受けておらず、不在で確認も取れなかった…と対立してしまいました。 …上記の問題点はいくつかあるとは思います。 まず、部下に特に新人へ仕事を振るならば、もう少し丁寧な対応が求められるでしょう。 プリント1枚渡して、ハイお願いではいわゆる「丸投げ」です。 部下の行動、言論の一つ一つに責任を取れる覚悟があって初めて上司と言えるのではないでしょうか。 また、こういった上司は往々にして自席にいないことが多いです。 自身もプレイヤーとして動いてしまっているため、肝心の管理の部分が抜け落ちてしまうのも否めないでしょう。 上記の場合の部下も可哀相な立場です。 繁忙期に入社して、周囲となかなかコミュニケーションが取れる状態ではなかった…であればこれを見越して入社時期をずらすとか、例え忙しくても一人メンターとなる先輩社員を付けて

【日常】Webは結果がすぐに出るもの?

私がWebのコンサルで企業のマーケティング担当や広告担当の方からよく耳にするのは、「Webはすぐに結果が出るから…」というのを度々聞くことがあります。 これは私の思うところですが、半分は正解ですが、半分は不正解です。 正解の部分は前提条件として以下の二点がある場合のみです。 ①そのWebを集客として使用している場合のみ ②Webのバックボーンも含めて定期的なリニューアルのできる予算と人材のリソースが潤沢にある場合のみ 以上の2点がないと、Webですぐに結果を出すということはできないと思っています。 (ちなみに私はあまり上記の類の依頼は仕事としては受けません) 不正解と言った残りの半分は、私の仕事として、最低でも2年くらいをかける必要があると思っている部分です。 サービスを展開しているWebとは異なり、コーポレートWebなどの案件が多いのですが、Webを展開してから最初の1年目はまずは狙った検索クエリ、キーワードでの検索の順位を可能な限り上位で安定させることを繰返し、ひたすら狙います。 その間、定期的な状況は顧客企業と共有しますが、月次レポートなどは出しません。 業種により必ずと言って良いほど繁忙期と閑散期があり、月単位ではアクセス状況の季節変動が出てくるからです。 で、いよいよ2年目からはSNS等も活用した施策なども取り入れていくわけです。 この時点でSEOに詳しい方ならば気づく点があるかと思いますが、既にリンク施策などに頼ったWebにはなっていないので、Googleの検索アップデートが起こったとしても大きな軸はぶれないので、多少の検索順位の変動はあったとしても、余計なSEO施策に奔走することはない状態となっている場合が多いです。 …これが今々、私が導いているWebコンサルティング論みたいなものです。 無論、異論のある方々もいることでしょうし、正解ではない部分もあるでしょう。 そもそもスピード勝負の急成長企業にはなかなか通じない方法だとも痛感している部分もありますし… 正直、Webには正解がないとも思っています。 日々動くものですし、検索する側からすれば検索結果に解決する答えがない限りは意味のないもの、かつ人によって得たい答えが違ってくるからです。

【日常】仕事が途切れたときの過ごし方

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私はフリーランサーとして活動している以上、仕事の途切れるときというものがあります。 当然ながら収入も途切れてしまうため、節制した生活に入るのですが、情報収集だけは欠かさないようにしています。 例えば、自身以外のブログ記事から情報を収集したり、Youtube等の動画サイトでバズっているものを見たり、また物事を客観的に見れる時間と機会だと思っていますので、その中での気づきなども多くあります。 私自身、このように記事を書くことは苦にならないため、このブログでは好き勝手な意見を書いていることが多いのですが、ここからの発見や、仕事に活かせることも以外に多かったりします。 また、今ではクラウドで仕事の受注、発注できるサイトもあるため、時にはこういう種のサイトに頼ることもしばしばです。 時には計画的に仕事を空けるスケジュールを組んで旅行へ…なんてことも年に1回くらいはあるのも事実です。 私はこういった期間を旅行や、極端な話で完全な休みに当ててしまうのも良いと思っている肯定派です。 その間に何かしらのアイデアが思い付けば、次に活かせますし、ノートなどに書き貯めても良いと思います。 要は仕事の空きができたとしても、その時間をどう扱うかによって変わってくるということだけは自身でも押さえておきたいポイントだと思っています。

【日常】採用活動が下手な企業

昨今、人手が足りないと耳にして、企業の採用関係のコンサルにまわる機会があります。 多くの方は、転職の入り口として、転職サイトや企業の採用ページをまずご覧になる機会が多いのではないでしょうか。 今回はそういった場面でのキャッチコピーや会社の説明で下手をうった事例をよくあるものを中心にいくつか紹介したいと思います。 ・「アットホームな企業です」 ⇒よくあるキャッチコピーだと思いますが、会社にドライな関係性を求める方には、この時点でフィルターにかけられ敬遠されます。 ・「少数精鋭です」 ⇒これは、既に仕事が回っていない、もしくは予算をかけられない部署の募集であると誤ったイメージが先行してしまう場合があります。 (もちろん実際にそのような部署の募集である場合もあるので注意が必要です) ・「定期的な飲み会で懇親を図っています」 ⇒一昔前は多く見られたキャッチコピーですが…そもそもお酒が得意でない方からは敬遠されますし、飲み会イコール費用を割り勘で徴収される場合が多いので、月々にこれらの出費が…と考えるとマイナスなイメージが否めません。 ・「福利厚生で毎年の社員旅行を実施」 ⇒これも上記の例と同じで、会社とドライな関係性を保ちたい人にはマイナス訴求で、実際に福利厚生費用として、この社員旅行費用を給与から天引きで積み立てる企業もあるので注意が必要です。 ・「チームで仕事を進めて結果を出せます」 ⇒これは逆を返すと、個の評価がされづらい企業と映ってしまいます。 また、こういった企業はチームリーダの都合でスケジューリングが左右されやすい場合が多いので、できれば事前に残業や休日出勤の有無も合わせて調べておいた方がよいでしょう。 ・「業務のための学習であれば支援を惜しみません」 ⇒これもよくあるキャッチコピーですが、実際には就業時間後の勉強会の実施や、そもそもこのキャッチコピーで実績を記載していない会社は、このような暇もないほど忙しく回っている職場であることもあります。 …とまあ、私の見てきた事例に加えて、主観も少々入っていますが、企業は人を集めようと必死な反面、そのアピールや見せ方が下手な場合が多いです。 転職者の方々は、ミスマッチを避けるためにも、よく調べて、応募後も連絡の仕方や手段を見て、その企業の本質を理解してからの転職をしてい

【過去】親との意見の相違

誰しもが一度は経験したことと思われます。 私も学生時代や私の反抗期には特に父親との衝突はありましたし、二人きりで徹底的に話し合った経験もあります。 私も社会人になり独立して、父も孫ができた影響もあってか、少しは物腰の柔らかい人間になりましたが、実は今でも考え方の違いによる衝突はたまにあります。 まず私の場合、性格による違いが一つの大きな要因です。 私は神経質で物事を論理的に話す一方、私の親の世代は、悪く言えばガサツというか、デリカシー的な考えや話し方をあまり持たない気がしてます。 私はたとえ親からぶっきらぼうな言い方をされても、可能な限り冷静に、時にはわざと敬語で話を返すこともあります。 また、親が不満であろう点として、私が会社員ではなくフリーランスとして仕事を動いている点があるのかもしれません。 親の世代であれば20~30年、会社で勤めあげるのは当然だったのかもしれませんが、私自身、4~5回の転職歴で3年以上勤めた会社は1社だけですし、その後サラリーマンをドロップアウトしたわけですが…恐らくもう会社員として働くことはないでしょう。 当然ながら安定した働き方ではないですし、貯金との縁も昔よりほど遠く、世間で言われている老後に2,000万円の貯蓄が必要…なんてまるで意識できていない日々です。 話は少しズレましたが、これは時代の流れというか、潮流なのでジェネレーションギャップとして仕方ないことと半分くらいは思っていますが… ここまでだと、親との衝突とネガティブな話が続いていましたが、逆に自身が主導権を握っているというか…親から頼られている部分もあります。 実家に帰っているときはパソコンやスマートフォン等のIT機器関連のことはすべて私の主導で購入したり、設定したりしていますし、理解していないことは理解できるまで説明したりしています。 (時には同じことを聞かれることもあるので、本当に理解しているかは不明ですが) ここまで述べてきましたが無論、私にも親に対しては育ててもらった、様々な場面で助けてもらった…という一定の感謝や尊敬の念がありますが、時代と共に環境の変わるなかで、少しは私の話も尊重して欲しいという場面がある、といったのが今回のお話の総括です。

【精神疾患】話し方が苦手な方

私の仕事の中で精神疾患関連の講演会に携わることがあるのですが、お話しいただく方の中には、話し方に苦手意識のある方が少なからずいます。 もちろん、舌の疾患などの後遺症で話し方に難のある方もいるかと思いますが、今回は話し方がどもってしまったり、震えるような声で話す方などにスポットライトを当ててみたいと思います。 講演会と言えば、その分野に知識の深い方や、識者の方の講演も多いですが、患者の方や、疾患の経験者の方々の講演も決して少なくなりません。 で、その中には先に述べたような言葉での伝え方が難しいとしている方々も多くします。 では、なぜそのような方々も大なり小なりの講演という場で登壇するのでしょうか。 答えは至極単純で、彼ら彼女らにも伝えたいこと、意思があるからです。 話のうまい人は、人を引き込み感化される人も多いと思います。 しかし、たとえうまく話せなくても、たとえ言葉足らずな話し方だったとしても、その話し手の確固たる伝えたい意思があれば、案外最低限でも伝えたいことは伝わり、共感してくれる人も多いです。 私もこれらの場面を目の当たりにして、いくつも感化された話や、共感した話を覚えています。 疾患を経験したことがある、または今でも患者として戦っている…これらの人々も声をあげたいことはあります。 話し方に苦手な意識があっても、声の抑揚や、ちょっとした動作で経験したリアルな状況が伝わる場合もあるのです。 私自身も緊張して話下手になる方の人間なので、こういう経験も今でも非常に勉強の場となっています。

【日常】尊敬しあえる職場と人事評価

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よく雰囲気のよい職場、同僚が尊敬しあっている…などをアピールしている企業があります。 社長やある特定の上司を崇めている、といった例は今回は論外としますが、例として多いのは、営業成績が伸びれば皆で祝うなどがあるようですが、私は否定しませんが、昨今では何かちょっと違うと違和感を覚えます。 上記の例で言えば、営業成績を挙げた社員は尊敬されるかもしれませんが、そうではなかった社員はどのような気持ちを持つでしょうか。 話は少しそれますが、人事評価でのとある出来事の話をします。 ・Aさんは新しい仕事を多数覚え、比較的成長の見られる1年でした。 ・Bさんは仕事をそつなくこなし、ミスもなかったのですが成長に伸び悩んだ1年でした。 (Aさん、Bさんは同部署で同じ職位です) 上記の場合、上司の評価のつけ方として以下の2パターンがあるとします。 ①Aさんを基準で評価した場合、Bさんの評価は当然ながら下げられてしまいます。 ②Bさんを基準とした場合、Aさんには優秀な評価が与えられます。 穿った見方をすると、上司の評価として①を選択した場合、Bさんには納得のいかない部分が出て、Bさんはその職場を離れることを考え出すかもしれません。 一方で②の評価をした場合、Aさんは評価を認められたと実感して、Bさんは今よりもっと成長しようと奮起するかもしれません。 無論、企業である以上、売上げなどにより賞与の原資も変わってくるので①②それぞれの考え方があります。 また、多くの企業では部署ごとに貢献具合で部署に賞与の原資を分配して、社員の評価ごとに給与に反映するところもあるのではないでしょうか。 昔の学校などでは相対評価があり通信簿で誰が5で、誰が1にしなければならない…などがあったようですが、企業はそうではありません。 にもかかわらず、相対評価的な考え方で評価する上司がいる場合、上記の例での①が続く負の連鎖が発生することが多いのではないかと思えます。 話を戻しますが、営業成績のよい社員が尊敬される…とする企業はこれが当たり前のように見える反面、苦汁を飲んでいる社員がいるかもしれない社員が裏には隠れている可能性も孕んでいます。 上司も人間だから仕方ないとは言いますが、私は一局面での尊敬という雰囲気のある職場にはこのような危機感を覚えてしまいます。

【日常】利権がからむとロクなことりならない

日々の仕事をすることによって、様々な業界に触れる機会があるかと思います。 その中で、業界特有のルールやしきたりを定めている◯◯協会というものが時々散見されます。 この◯◯協会が定めているルールが時に厄介で、私などのコンサルティングの仕事をする者に足枷となる場合があります。 これらのルールは「昔からのものだから…」とか「この協会では一律に決まっているから…」という理由で、法的な拘束力のない決まり事も多いような気がします。 私自身、一つの文章を書き上げるにあたっても、「その表現はちょっと…」となぜだかわからない理由での書き直しなどを経験したことが過去にありました。 一定のルールや決まり事はどの業界でも仕事の上で大切なことだとは思います。 しかしながら、明らかに時代に錯誤したものは私は意味のないものだと考えます。 その決まり、◯◯協会のルールを通さないと世に出せない…とはよく言われたことですが、結局は◯◯協会の利権があり、これに従わないと仕事をさせないぞ…と言われているような気がして仕方がないのです。 それらの協会が、何らかの利権を経て、特定の業界を牛耳っている…(この利権で生活している人間もいるでしょうからそれは否定しません)それだけならまだしも、これに従わないものは世に芽が出ない…この構図だけは止めていただきたいと強く思います。

【日常】血液クレンジングについての話題

昨今「血液クレンジング」というものが話題としてよく耳にする機会があります。 要は自身の血液を一旦抜き出し、オゾンを加えたものを再び体内の戻すという点滴治療だそうです。 私のすむ町の医院にも数年前からこれを行っているところがあり、私自身も耳にする機会がありました。 しかしながら最近、この血液クレンジングにネガティブな話題もあります。 まず、この治療に効果があるという科学的エビデンスがないということ…今までは美容や健康に効果がある可能性がある、とのことで上記の医院も唱っていましたが、医学的には効果も確認できなければ、害も確認できないとの話を聞いたことがあります。 (人によりプラシーボ的な効果はあるのかもしれませんが…) 更にこの治療は自由診療になるので保険が適用されず、1回に数万円の治療費がかかり、複数回行わなければ効果が出ないと唱っている点です。 整形手術やエステと一緒で体のメンテナンスを考えるならば、この続けての負担が発生しているのは国としても最近になって問題視しているようです。 では、なぜ効果があるかわからないものに、高額の費用をかけて臨む人が多いのでしょうか。 もしかしたらこれらは、将来的に何らかの効果が証明され、とある疾患に対しての治療法として確立されるかもしれません。 現に世の中にはそういった効果を唱う薬品もあるとのことです。 しかしこの血液クレンジングは点滴という手法を用いた医療行為です。 治療の効果以前に、点滴針などでの感染症の可能性もありますし、先にも述べたオゾンの血液への作用もエビデンスがない状態では問題視されるのは当然と言えば当然です。 日本人はよく、皆がしていることが正義で正解という思考に陥りがちです。 私自身、今回取り上げた血液クレンジングを肯定する気も、否定する気もありませんが、この治療を受けた人が良いと言ったからそれが正解なのではなくて、要は自身にそれが必要なのか、自分はどう思うかを常に意識して選択できる日本人になってほしい、と今回は思いました。

【精神疾患】買い物依存症という人

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始めに述べておきますと、「買い物依存症」という疾患は正式にはありません。 では、世間的になぜこの言葉が使われるようになってきたのでしょうか。 人間には少なからず物欲というものがあります。 例えば身に付ける衣服のブランドや、仕事や日常生活を機能的にするための電化製品、コレクターの方々には収集するコレクション品など、挙げればきりがありません。 これらの買い物を計画的に行う場合は問題ないのですが、ストレスの解消のためや、欲しいものは借金してでも集めたいと思っている方も多くいます。 この後者に該当する人を「買い物依存症」と定義されているようです。 借金してでも~と述べましたが、これはギャンブルなどにも言えることで、精神疾患で外来として治療知る人も中にはいるようです。 また、昨今の買い物環境の変化も要因のひとつにあります。 ネットショッピングなどでは、早ければ次の日、極端に言えば注文した当日中にも買ったものを入手することができる場合があります。 過去にワークショップなどで聞いた中には年に約400回ネットショッピングでの注文をしているという人がいました。 つまり1日1回のネットショッピングではあきたらず、1日に複数回の買い物がネット上でできてしまう環境がそこにはあると言えます。 私自身もネットでの買い物はよくする方です。 家族の中では一番する方かもしれません。 それでも価格を見て、月々の経済状況を考えて購入を決めています。 依存症と言われる人は、上記のプロセスを経ないで、とりあえずポチるみたいな行動をするようです。 ネットやクレジットカードの利便性がある一方で、このような依存状況も生まれている…このような功罪はいつの世も生活の豊かさの裏には必ずあるものなのかもしれません。

【過去】骨折した経験について

以前のブログでも書きましたが、私は過去に一度だけ、骨折を患ったことがあります。 小学生の頃ドイツに在住していた時のことでした。 体育の時間にふとした不注意から手をついて転んだときに右手首の骨を骨折…最初は捻挫かと思ったのですが、長期間痛みが引かなかったため、後に骨折と判明しました。 当時はまだ石膏で固めるギブスが主流で、自身ももれなく手のひら~二の腕までをギブスで固定、はじめての経験だったのでショックは受けましたが、そこは小学生、学校にいけば友人は落書きに近いようなメッセージは書いて励ましてくれるし、実際に日常生活で不便だったのは風呂の時くらい。 これはギブスの箇所というか、骨折した右手を丸々ビニールで覆って、ゴムと養生テープで固定してようやく入浴できるという次第でした。 更に何よりタイミングが悪かったのが、ギブスの固定期間中にちょうど修学旅行が重なったことです。 小学校の修学旅行はドイツ~オランダだったのですが、かなり周囲の助けをかりながらの修学旅行だったような記憶があります。 これは別途また他の機会に書こうと思っていますが、小中高と、私は修学旅行で何かと災難を受けながらの修学旅行だったです。 話を戻しますが、結局のところ2ヶ月はそんなギブス状態でいよいよ外すときは電ノコなどで切ってようやく不自由から解放された感じでした。 普通に風呂には入れることをありがたく実感した、人生はじめての骨折体験なのでした。

【過去】ヴァチカンの思い出

この連休のことですが、久々に昔の写真アルバムを整理する機会がありました。 幼少のドイツ在住の頃、イタリアへの家族旅行でヴァチカンに立ち寄った時の写真が数点出てきたので、そのときの思い出を少し書き記しておこうと思います。 ヴァチカンと言えば映画の「 天使と悪魔 」の舞台としても有名ですが、小学校高学年に訪れた当時、そのときでもやはり、ヨーロッパ宗教の中心としての荘厳な大聖堂、システィーナ礼拝堂などのイメージは多くの方にもあるかと思います。 私的な視点で言うと、当時のヴァチカンで立ち寄ったレストランで食べたカネロニの味が記憶と共に写真にもおさめてあり、忘れられない思い出の美味として刻まれています。 イタリアへは他にヴェネチアやローマへの旅も共にしましたが、例えば本場で食べたカルボナーラのパスタや、ラザニアなど、食の思い出は多いのですが、やはり私にとってはヴァチカンのカネロニが特別な食の記憶です。 今回はちょっとしたことから、昔の思い出と共に食の思い出を思い出した瞬間でしたが、また機会があればドイツに在住していた頃のエピソードを書いてみたいと思いますので、よろしくお願いしますm(_ _)m

【過去】マネジメントの危険な会社

以前の仕事であった出来事です。 とある企業の人事面談のコンサルに関わる機会がありました。 (たまにはこんなことまでの仕事を受けるときがあるのです…) その企業は10段階の成果で人事考課の評定を設定しているとのことで、とある部署の評価パターンを見せていただくことに。 5人の部下をかかえる管理職の評定を見てみると、上から2番目の考課結果となっていましたが、管理下の社員の評定を見ると、5名中3名の評価が下から2番目の評価となっていました。 単純に疑問に思ったので、その状況を尋ねてみると、その管理職はプレーヤーとしての成果を十分に出しているとのこと。 逆を言えばなのですが、これはマネージャーとしての管理ができていないいわゆる名ばかりのプレイイングマネージャーなのでは?…とその場で思いました。 以前のブログでも論じた通り、私は基本的にプレイイングマネージャーなるものは成立しないと考えています。 この度のコンサルでは、まさにその問題が浮き彫りになった典型例だと思いました。 その会社の管理職は全て、担当課長とか、担当部長とかで、管下の部下の管理以外にも、現場業務をしている状態とお聞きしました。 ある程度の規模のある企業だったので、なぜそのような形を採っているか不思議だったのですが、典型的に現場業務での成績が、担当◯◯のようなマネージャーへの昇進という方法を採っていたため、結果として不公平な人事評価が出るという課題が露呈してきてしまったようです。 当然ながらマネジメントの出来ない、またはしない上司に当たると、そのしわ寄せは部下に響いてきます。 いくら1人プレーヤーとして優秀であっても、例えばですが、他部署と絡みたがらなかったり、話術や調整が下手な人材がマネージャーとして昇進していけば、業務が滞るのは当然でしょう。 話術や諸々の調整能力はマネジメントをする上で必須といっても良いスキルと思われるからです。 結果として、その企業は人事評価制度を見直すこととなりました。 以前にも書きましたが、昨今はこのような問題をかかえる企業が非常に多い気がします。 確かに年功序列や終身雇用は崩れ、成果評価主義に移行している企業は確実に多くなってはいるのですが、マネジメントに関する課題を解決しないまま、成果だけに移行するとこのような問題は必ずと言って良いほど浮上

【日常】学習の時間が必要なAI

AIと聞いて想像するものは…スマホやパソコン、GoogleやSiriなどが思い浮かぶでしょう。 これらは常に人間の行動を学習しながら最適化を繰り返していると言われています。 私の経験上ですが、これらのサービスははじめて触れた頃を思い出すと、最初はまるで使い物にならなかった記憶があります。 最近、ここ数ヵ月の話ですが…とある端末を初期化する機会があり、最初からモロモロノ設定をやり直したことがあったのですが、やはり思った通り、最初の数日はまるで使い物にならないような状態に戻ってしまい、まともに自身にしっくり来るまで約1ヶ月はかかっていたような気がします。 当然ながらその間は不便な状態が続きましたし、日々、自身の最適な設定を探るような状態…と同時にAIは学習を続けていたのでしょうが… 使用する端末にすべて最初からフルパワーな状態で諸々の設定ができるようになってないのは理解できますが、このAIの制約というか制限で不便な状態になっているのも困り者です。 もちろん出力前回で端末が傷つき、寿命が短くなるのを避けるというのはわかるのですが、私の場合は制限をかけられたような状態の方が、ハッキリ言って不便で、どちらかを選択するなら、確実に前者を選択します。 このように今はまだ、人を待たせるAIなのかもしれませんが、いつかその人の意図を瞬時に読み取り最適化できるAIの登場を強く待ち望んでいる…ということなのです。

【精神疾患】不安障害という発作的症状

以前のブログにも書き記した通り、私は精神疾患を寛解した今となっても、年に数回、発作的な不安症状に襲われることがあります。 そのため、今でも年に1~2回はメンタルクリニックに行くことがあります。 いわゆる「うつ病」とした精神疾患から、不安障害の残る今に至るわけですが、元々の自身の性格もあがり症というか、物事に対して緊張する方なので、過剰な不安が症状として出る、不安障害と診断されているわけです。 自身の場合、たまたま精神疾患から通院していて、今の診断結果があるわけですが、上記のような性格の方々が全てその診断に当てはまるかと言えば、必ずしもそうではありません。 自分で不安な気持ちや症状を押さえ込める方もたくさんいると思いますし、ましてや緊張やあがり症の症状だけで心療内科などに通院しようという人は希でしょう。 私の場合は、カウンセリングや時に薬にも頼ってしまうというだけの話です。 人間、生きていくためには必ず不安なときというのが訪れますし、緊張する場面にも直面します。 ただ、そうではない場面での緊張や不安を発作的に感じてしまう方はカウンセリングとまではいかなくとも、誰か頼れる人に話してみるのも一つの選択肢としては良いのではないでしょうか。

【日常】家電が一気に壊れるとき

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家電などが立て続けに壊れるなどの経験をした方は多いのではないでしょうか。 災害などは別にして、テレビや冷蔵庫、洗濯機にパソコンや電磁レンジなど…挙げればきりがありませんが、これらが立て続けに故障することがままあります。 特に家電品には必ず寿命があり、自身の感覚ですが、同時期に購入した家電であるほど、近い時期で寿命を迎えることが多い気がします。 無論、中には高耐久のものや、数十年前のものが今でも稼働しているなんて例も多くあります。 現に私も最近購入した家電よりも、十数年にわたり使用を続けているものの方が使えている、長持ちしているものも中にはあります。 これとは別に家電メーカーが想定している買い換えのサイクルというものが存在しています。 恐らくその家電の耐久年数や新モデル発売のサイクルと共に考えられているのでしょうが…逆に昔はこれらのサイクルはあまり考慮されていなかったようで、何年も前のものが今でも使えている事もあるようです。 例えばですが、十年前の携帯電話を修理やバッテリー交換もせず使い続けられて入る人は希でしょうが、扇風機やヒーターなどの季節限定で使用する家電は十年以上前のモデルでも現役で使用して入る人は多いのではないでしょうか。 家電に詳しい方は、新モデル登場の度にチェックしてその機能により買い換える人も入るかと思いますが、多くの人は長年に渡ってその家電が使えれば、使い倒すことでしょう。 話を戻しますが、多くの家電が一度に壊れると、買い換えや修理のための経済的な負担が発生します。 メーカー側からすれば、利益追求のため当然のごとく新商品への移行を促すのは当然なのですが、使い慣れた愛着のある家電はどうにか直してでも使いたいという人もいます。 保証期間内であれば、修理の経済的な負担が軽くなる場合もありますが、古い家電となると、そうもいかないのが実情です。 中には自身で修理して使い続ける人もいますが、これで対応できない場合はいよいよ買い換えになります。 家電の中には人により生活必需品となっているものもあります。 安くて質の良いものを長く使えるのが一番なのは、今も昔も変わらないような気がします。

【日常】ソーシャルアプリの終演

スマートフォンには各々SNSアプリやソーシャルゲームなど、お気に入りのものから、日常的にインストールされているアプリがあると思います。 しかしこれらは永遠に続くものではありません。 アプリの配信元がそのサービスを終了すればそれまでです。 例えばソーシャルゲームなど、日常的に遊んでおり、ある程度課金している方でも、サービスが終了すれば何も手元には残りません。 家庭用ゲーム機、コンシューマゲームのソフトを買い切るか形とは大きく異なります。 また、SNSなども生活の一部として根付いている方も多いのではないでしょうか。 こちらはソーシャルゲームとは多少異なり、突然サービスが終了しても、もしかしたら代替えの利くサービスがあるかもしれません。 しかしながらこれらのSNSを収入源としている方々からすれば死活問題になりかねません。 よく無人島に何か一つだけ持っていくとしたら…スマートフォン、という回答は今でも多いそうです。 ソーシャルアプリはインターネットと密接に繋がっていることを表す一つの良い例かもしれません。 あなたはソーシャルアプリ無しでも生きられますか?…という質問に多くの人は生きるのには必須ではないと思われるでしょう。 数十年前の生活のを見れば明らかではありますが、逆にSNSなどがないと生活に楽しみを見出だせないという人は多いのではないでしょうか。 今やインターネットは嗜好品と呼ぶ人は少ないでしょうが、多くの人が思うよりも、日々の生活と密接なものになってきてしまっている現状だと思います。

【日常】Noと言えない日本人は…馬鹿?

よく、日本人はビジネスシーンでNoと言えないと見る海外の方は多いです。 日々の仕事を見てみてください。 急に慣れない、全く経験のない仕事を割り振られたとします。 恐らく数多くの日本人の方は、契約外だから…と断る人はいないでしょう。 日本人の美徳なのか、ビジネスシーンでは専門性に尖った人材よりも、ユーティリティープレーヤー的な人材が好まれる傾向はないでしょうか。 海外の方と仕事をすると、出来ないことはできないとのハッキリ言われますし、契約外のことをお願いしようとすると逆に注意されるのが当たり前のシーンもあります。 よく日本人は右へ習えで、集団で同じことをするのを好み、外れたところでプレーをする個人を好まず、場合によっては排除しようとします。 例えば…スマートフォンはiPhoneという人は日本人では多いです。 何故かと聞いてみると、回りが皆そうだからという話もよく聞きます。 これは日本人の美徳とするところの反面、先に述べた尖った個性の排除という動きに繋がる懸念があります。 ですから最初に述べた、ビジネスシーンでなぜかNoと言わない誤った人間が評価され、Noという正しい人間を外れた人間としてつま弾きにするようなことも十分起こり得る社会があります。 海外の方々とのギャップはこのストレートにNoと言えないことにつきますが、Noと言うための日本人の根回しや接待という行為も理解できない海外の方が多いようです。 私もケースバイケースでまだまだな部分がありますが、ストレートに思ったことを言えるビジネス社会へと変わっていって欲しいと切に願っています。

【日常】メガネの役割

私は普段からメガネ使いな人です。 学生時代~成人くらいで乱視がひどくなったのと、コンタクトレンズがどうしても装着できず…というか眼内の異物が耐えられないため、メガネを愛用している人です。 元々はひとつのメガネを使い回して、壊れたら次のメガネを購入としていたのですが、今では安価で多機能、ファッション性も兼ね備えているものも多いので、様々な場面で使い分けています。 パソコンを使うときなどはブルーライトカットのもの、冬などは曇らないレンズのもの、また自宅用に外出用など、複数本を場面に合わせて使用しています。 ある程度の年齢にいくと、度数も大きくは変わらないため、ネットで買った時もありました。 特別に自身のご褒美として、高価なフレームのメガネを購入したこともあります。 自身にとってのメガネはいつの間にか、顔の一部…もちろんかけないと見えないのでそのように思うわけですが…まさにアイウェアという言葉そのままのものだと思っています。 もちろん、つけるフレームによって顔のイメージや、人から受ける印象も変わるので、シチュエーションに合わせたメガネで楽しんでいる自身もいます。 反面、旅行での入浴時など、見慣れない場所でメガネを外しての行動には苦労することもあります。 (一時期、風呂用メガネ何てのもありましたが、使い物にならなかった思い出があります) メガネは医療品としていた時代もあるようですが、今ではファッションの一部…いつか様々な医療機器もファッション性が出てくる時代も来るかもしれません。

【過去】パソコンのスペックは自分で決められますか

私は過去に所属した企業のうち、ひとつだけ自身でパソコンのスペックを決めて業務利用できる会社にいたことがあります。 ほとんどの会社では、予算の関係もあり、ビジネス最低限のスペックのパソコンを貸与されることが多いでしょう。 しかしながら、ビジネス用パソコンと言っても、実際にはあまり多くのシーンではそのスペックが足りていない面が多々あります。 ネットでの調べものや、社内外でのメール、資料などの文書作成であれば、最低限スペックのパソコンで事足りるでしょう。 私自身、このようなスペックで事足りる会社に在籍していたこともあります。 経緯としては、制作職に就いていたとき、当然ながらこのようなパソコンでは処理能力が足りず、イラストを使用する場面や、動画を編集する場合にらちが明かないことがあったので、パソコンに必要なスペックを提示して、会社へ申請して認めさせた次第です。 同じ制作職の同僚の中にも、何故かパソコンのスペック等に疎い人間も多かったので、この時は自身が矢面に立ち、会社とすったもんだで折衝した感じだったのですが… 如実にパソコンのスペック不足で困った例もあります。 その会社は勤怠時間をパソコンのとあるソフトで勤務の開始と終了を打刻する必要のある仕組みだったのですが、如何せんパソコンのスペックはビジネス最低限で、出社してすぐに起動するようなものではなく、かなりの時間に余裕を持って出社する必要があり、ギリギリに間に合う出社でもそのソフトを起動して打刻しなければ1~2分打刻が遅れても遅刻扱いでした。 例のごとくパソコンのスペックアップを要望したものの、この時の会社では一台だけスペックが異なるものだと管理ができないとの理由で却下でした。 パソコンのスペックが高いものになれば、確かに高額で会社の負担となる部分はあると思います。 また、業務により必要以上のスペックを求めるのもナンセンスでしょう。 しかし、パソコンを使用して社内の諸々管理をしたいというのであれば、私は社内のパソコン全てのスペックアップをしてでも対応すべきだと思います。 例えばパソコンの起動に5分かかるパソコンと1分かかるパソコンでは、前者に対して4分の時間的な無駄が発生しており、週に5日で20分の無駄、4週の1ヶ月で80分の無駄な時間が発生します。 金額は時間に換算できませんが、だから

【日常】愛国心と郷土愛

私は日本人ではありますが、特別に日本というものを意識したことはありません。 もちろん、親戚のいる土地など、幼少期に過ごした土地にある程度の愛着はあります。 また、私の場合はドイツという土地も人生に大きく関わっているため、日本人ながらこれは意識する部分があります。 ではこれは愛国心と思うかというと、そのようには思っていません。 日本人の多くは日本に対しての愛国心を意識してないように思います。 欧米ではよく愛国者を自負する方も多いのですが、日本の場合、愛国というと国を称えて中性を誓うような軍国主義の結びつきを考えて、あえてこれを意識しないようにしてきた教育の面もあるかと思います。 私自身、こういった側面があったとしても、否定も肯定もしません。 ですが先に述べたように故郷や過去にお世話になった土地にた対する愛着は誰にでもあるかと思います。 これが郷土愛といった部分なのではないでしょうか。 例えば生まれは、いわゆる地方でも、進学や就職を期に首都圏や都市圏に移住する人は多いと思います。 これらの方々に郷土愛がないとまでは言いません。 生まれた土地で進学~就職を過ごし、住み続ける人もいますが、これらの方々にも郷土愛を意識している人も少ないでしょう。 最近では「ふるさと納税」などもありますが、この中で本当に自身の故郷に納税している人はどのくらいなのでしょう? 要はその人の思いにしか過ぎないのかもしれません。 私の場合のドイツへの想いや、地方の親戚が住む土地への想いは確かに郷土愛とは言えると思っていますが、日本やドイツの愛国者かと問われれば、そうとも素直に言えないような気持ちがあります。

【過去】「任せる」と「丸投げ」の違い

仕事をよく任されるというのはビジネスシーンでは良くある話だと思います。 ここでよく考えてみてください。 その任された仕事を取り組むときに、上司から「責任を持って」などと合わせて言われたことはいないでしょうか? この時点でその仕事は任せるものから、丸投げに変わっています。 よく職場での新人はある仕事を任せられるレベルとなるとその事に盲信的になり、責任はともかくその仕事に影響のある部分まではなかなか見えません。 これはなぜなら本来、業務としての仕事は任せられて良いものであっても、この責任を請け負うのは上司であり、場合により社内での政治的な調整をするのも上司の仕事だからです。 私の場合、これができていない上司から言われた業務は全て勘違いしている丸投げだと考えています。 昨今のビジネスシーンでもこれらのマネジメントがしっかりできている上司というのは、私の経験上でも非常に少ないです。 また、こうした丸投げ体質を指摘したとしても、上司の更に上司にもこのような丸投げが横行しているので、そのような会社社会の中ではなかなか理解されません。 あからさまに何も知らない顔をして、責任逃れをしている上司と同罪な気がします。 業務を指示するだけが上司の仕事ではありません。 管理下の部下が日々の業務に集中できてこそ、よき職場環境に近づけるのだと思います。 あえてもう一度言いますが、業務に必要な調整などは、これまでを部下に指示するのではなく、これこそ上司が率先して動くことが上司の仕事の大部分を占める真のマネジメントだと思います。

【精神疾患】とある恐怖症

「恐怖症」と言えば、何を想像しますか? 代表的なものでは高所恐怖症や閉所恐怖症などがあるかと思いますが、今回は私が講演会やワークショップの中で見聞きした恐怖症のお話をいかにいくつかご紹介したいと思います。 ■高所恐怖症 恐らく大部分の方はプールのジャンプ台や、東京タワーやスカイツリーなどの展望台の高さをイメージするかと思いますが、中には、高層オフィスでの就労を苦にしている方から、自身の身長よりも低い踏台や脚立の高さにまでも不安を覚える方もいるそうです。 ■閉所恐怖症 よく、混雑するエレベーターや満員電車など、自身の動ける空間に限りある場所で不安を覚える方が多いようです。 また、窓の内打ち合わせスペースや、小さい会議室など見渡せない空間を苦手とする方もいるようです。 ■対人恐怖症 日常生活の中では苦がないものの、会議での発表やプレゼンに恐怖を感じる方や、知り合いでも三人以上なら問題ないものの、自身ともう一人だけの、二人だけになってしまうと全く会話ができなくなってしまうという方もいらっしゃるようです。 ■先端恐怖症 裁縫の針や、病院での注射針、また工作で使うキリや千枚通しなどを苦手にする方はもちろん、円を描くコンパスの針や、鋭く削った鉛筆なども苦手にする方もいるようです。 学生時代の家庭科や図工の時間を苦労された方が多かったと聞いたことがあります。 ■ピエロ恐怖症 道化師の無機質な笑顔のようなメイクや、場合によっては仮面などに恐怖…というか狂気を感じたという方がいました。 いわゆる普通のホラー映画などは平気なものの、ピエロが題材のホラー映画は気を失うほどの恐怖を感じてしまうとのことです。 これら一例に過ぎませんが、中には克服できたという方も少なからずいるようですので、今後の活動の中でまたお知らせできることがあれば、続報としてブログに記したいと思います。

【過去】クローン人間の是非

私は過去、学生時代にクローン人間の是非についての課題を受けたことがありました。 当時はまるでSFの世界かの如く、学級で議論していたように記憶していますが、世論で臓器移植の例などもあったことから、私自身は臓器移植としてのクローンは許されるのではと意見したように思います。 その意見に対して教師は、では臓器移植のために産み出されたクローンの人権はどうするのか…と諭され、考えさせられた場面がありました。 今思えばまるで映画「 アイランド 」のような世界の話です。 現代では人間のDNAもほぼ解読され尽くされて、倫理的な問題は別として、その人間と同様の性質を持つ一個体としてのクローン人間は技術的にかなり実現可能な部分まで来ていると思います。 実際に人間以外の動物例でいくつか、真しやかに成功例があると言われているくらいですから。 では、考え方や記憶まで同一の個体を作り出せるかというと、これはしばらくの間は実現できないことだと思います。 人間の脳内には電気信号によりその行動や考えを司る機能があると言われています。 仮にこれを数値化して、コンピューターと同様にダウンロード~アップロードできればかなり近い形で実現可能かとも思えますが、人間の脳を数値データ化するコンピューターは近い将来では実現できるとは思えませんし、これを脳へ戻す技術も今のところはまずできないと思います。 例えこれらが将来実現できたとしても、先に述べた倫理的な問題もあるでしょうし、まるでSFの実現を地で行くような、神の諸行のようなことになってしまいます。 また、臓器移植としてのクローン人間だけでなく、記憶まで受け継ぐクローンとなればそれこそ形の上での不老不死のようなスキームができてしまい、死すら超越するまさに不自然な社会が成立してしまう可能性すら出てきてしまいます。 昔のことを少し思い出して、考えを巡らせてみたのですが、未来ではこれら私の考えは全て間違っている可能性もあります(むしろ間違っていて当然の考えだと思います)。 しかしながら、私たち人間は今を精一杯生きて、定められた死まで生き続ける、ということだけは変わってほしくないと願う今日この頃です。

【日常】本社と支社の温度差

私がとある企業のコンサルティングに関わったときの話です。 その企業はWeb上でサービスを全国展開しており、顧客がWeb上でそのサービスを申し込むと、各地方などの支社の営業職員がその申し込んだ顧客へ対応するという方法をとっていました。 で、その企業のWebも含め、管理関係が本社の中へ集中しており、本社としてはサービスを展開、サポートしているというプライドがあり、支社の営業職員としては直接顧客へ対応しているのは我々というプライドで、互いのプライドがぶつかり合って対立している状態でした。 本来、私のコンサルでそこまで手を出すことは非常に少ない事例なのですが、話を聞くと、その本社と支社の温度感があまりに大きいと感じ、また集客という点でもあまりうまくいっていなかったようでしたので、広告代理店などでの集客のテコ入れを提案しようと考えました。 更に話を聞くと、本社の中にもそのような機能の部署もあるとのことでしたが、話を聞く限りは、集客ではなくまるで送客のような話でしたし、何より各支社から本社への意見や提言が非常に多いようで、本社でそれを処理、管理しきれていないような規模感で、問題を抱えているようでしたので、結局は予算の関係もあり、私の仕事としては離れてしまったわけですが… このような会社は、昨今少しずつながら増えてきている体感があります。 まず、サービスを広げるだけ広げて、管理できる体制が整っていないこと、そしてコミュニケーションをネット便りにしているため、うまく伝わらず、その社内ストレスがある時点で爆発して対立構造が生まれてしまうことが大きな原因だと思い、私自身も仕事の際にはこれらの点は大丈夫か、お聞きするようにしています。 規模の大きい会社ほど、これらに関するプライドが大きいのでヒアリングできないことも多いのですが、Webでサービスを展開している以上、すでに発信している責任は各企業にあるわけで、私のようなコンサルはそれをサポートする手段の一つにすぎないわけで…  本来は企業内で解決すべき問題という人も多いかと思いますが、当事者だと見えない面もあると思ったこれら事例の話を今回はご紹介させていただきました。

【日常】転職の相談

私はよく日々の仕事の中で、転職するかどうか迷っている、という悩みや相談を耳にすることがあります。 現状では私の答えは、迷っているならば、今すぐにでも今の会社を退職して転職すべきだと思っています。  終身雇用がないと言われている今の社会では、特にサラリーマンならば毎月の給与というのはあるかもしれませんが、会社はその方の家族や将来の面倒まで見てくれるわけではありません。 また、会社の中に長年いる人ほどこのような感覚は麻痺しているようにも思います。  世の中には数多くの企業があり、今のあなたのしている仕事は、その他多くの企業でも同じようなポジションがあります。 今の会社であなた自身に不利益や、なにか都合の悪いことがあるのだとすれば、それだけで十分転職理由になるでしょう。 中には年長者の中で、これを逃げという人もいるかもしれませんが、世界的に見れば当たり前のことです。  同じような仕事でも、会社を変えると今よりうまくいくことは多々あります。 企業は自身の意思とは関係なく、環境の変化を続けていきます。 そしてその変化が自身の身にふりかかり、自身の思惑とは異なることは多々あるのです。  私自身、今のフリーランスとなるには、人生で初めて経済的な面を犠牲にして会社を退職しました。 私の会社人生は数度の転職がありましたが、どの会社にいても愛社精神や、社長への忠誠など、全く意識したことはなかったですが、自身の携わる仕事だけには忠実でいたかったので、いつかフリーランスとなることは考えていましたし、それに向けたスキルを培ってきたつもりです。 私の場合、たまたまそのタイミングが精神疾患と重なり、会社員としての限界を悟ったときでした。  今のご時世、転職は決して逃げではありません。 むしろご自身のために積極的に環境を変えてみてください。 長く働いたからと言って評価される会社があるならば、それだけの薄っぺらな会社です。 特に新卒者は初めての会社で愛社精神などを意識してしまい、いざ転職したいと思っても、他社で融通の聞かないような状態になっていることも多いようです。 必要なのは、会社内で仕事のできる人ではなく、世の中で通用するスキルを持っている人なのだと思います。

【過去】Web制作と各事業の解離性

私がWebのコンサルティングをするとき、よく制作会社と各事業会社の間に入って双方の調整をおこなうこともあるのですが、この仕事を始めた頃は、両者の温度感を合わせるのに、非常に苦労した思いがあります。 Webでサービスをしたい企業は、あれもやりたい、これもやりたい…と要望が多くあるのは分かるのですが、制作会社によって出来ること、出来ないことが当然ながらあります。 また、顧客企業の考えうる全ての機能を実装できたとしても、予算が大幅なものとなったりするケースもあります。 これらを説明して理解いただける企業であれば助かるのですが、中には知識がないので、制作から運用まで任せるといった案件もあります。 この場合は残念ながら自身の場合はお断りするようにしています。 企業のサービスを利用するのはその先の顧客で、全ての機能を実装しても、顧客の企業とユーザー双方に利便性がなければ何の意味もないからです。 また任せた結果、制作会社の主導になってしまって、全く使い勝手のよくないものが出来上がってしまった例を過去に何度も見てきているからです。  また運用面を願われた際には、その企業に最低限一人でも良いのでWebのスペシャリスト、またはWebマスターを置くように進言しています。 Webページは制作完了で終わりではありません。 むしろその後の運用管理に最大の労力を置くべきで、そこから初めて利益が発生するものだと考えているからです。 だからこそ、制作の外注は良しとしても、管理運用はその企業が負うべきだと思っています。 それでも無理だという顧客企業もありますが、その場合は私は広告やWebの代理店へつなぐこととしています。 何よりWebを企業の顔としてのみの満足として欲しくないですし、またWebはただの広告媒体だけのものではないからです。 少々、上からのような意見になってしまい、申し訳ないのですが、とくに日本の企業は、上記のように考えがちの会社が多いと思いましたので、私の考え方や思いとして記しました次第です。

【日常】察知する力と採用基準

よく、感が鋭いとか、空気が読める人と言われる人がいます。 私自身もよく言われることがあるのですが、一般的な人と何が違うのでしょうか? 私はあまり意識していないのですが、話を細かく聞く、物事の記憶がよく忘れない、といった傾向は確かにあるかもしれません。  無論、人の考えていることを読めるような能力まではないですし、加齢による忘れっぽさも年齢相応にあると思います。 かと言って、場の空気を読んだ行動や発言はそれなりに出来ると思っていますし、「何でそれを忘れるの?」ということはまずありません。 逆にこれらを苦手とする人もいると思います。 これらの察知能力ともいうべきものはなぜ人によって差があるのでしょうか。  例えば、学力が高い人だとしても、物事を忘れっぽい人に、スケジューリングなどの仕事をあてたとして、その仕事には穴が開くかもしれません。 学力や学歴で培われる能力ではないといえるでしょう。 また、幼少気の記憶を鮮明に覚えているという人がたまにいます。 これらの人は、生まれつきの才能、もしくはそれまで生きてきた環境がこの能力に関係しているのかもしれません。 日本の採用市場はまだまだ学歴を見るところが多いです。 特に新卒採用など、学歴や学力で見て、仕事をあてがい、業務を与えた結果、仕事が合わず…何て言うのは日常茶飯事です。 海外では…自身の場合とくにドイツでの話ですが、仕事において学歴を聞かれることはまずありません。 何ができるか、どのような能力にたけているか、を重要視されます。 また、何十年もの長期雇用が前提でない場合も多いので、会社本意な採用とはまずなりません。 私は以前の転職活動で、最終面接までいき、とある企業の社長と面談する機会がありました。 十年くらい前のことでしたが、当時でもその社長は「可能な限り長く働いてもらいたい」と仰りました。 企業目線であればそういった思いもあるのかもしれませんが、私自身、勤続年数よりも自身としてのステップアップのある働き方を当時から望んでいたので、「御社で成長できれば幸いですが、更に上の段階に進めるなら、数年での転職も考えています」と言い切りました。 結局のところその企業とはご縁がなく…当時としてはかなり過激な意見かとも思いましたが、今思えば、やはり自分の根幹としては偽りのない意見だとも

【日常】パソコンとスマホの修理

私はこの1年でパソコンを4回(デスクトップ3回、ノート1回)、スマートフォンを2回修理しています。 こういった物の故障はある日突然まとまって来るようで…当然ながら出費を抑えるために自分でパーツを調達して修理といった流れです。 デスクトップパソコンについてはまず、ある日電源が入らなくなり、電源ユニットを交換(この時点で配線のやり直し)。 そして電源は入るもののOSが立ち上がらなくなり、OSが見つからないと表示されOSをインストールしているSSDが認識されなくなったため、SSDを交換してWindowsを入れ直し。 このあと1ヶ月後くらいに本体から異音が発生して、CPUクーラーのファンが原因と発覚、CPUクーラーごと新しいものに交換しました。 ノートパソコンは、ある日HDDからカチカチと異音がするようになり、経験則から寿命が近いと感じ取ったので、こちらもSSDへの交換で対応。  スマートフォンについては、徐々にスマホ本体の膨らみが発生、バッテリーの膨張だと分かったため、バッテリー単体を購入して分解、交換。 これは問題なく成功したものの、この際にバックパネル&一部のケーブルも破損してしまい、こちらも同様に交換品を取り寄せ、再度分解して交換しました。 パソコンについては、多少いじれる自作などの知識のある方であればお分かりでしょうが、スマートフォンについては、キャリアに持ち込んで修理の選択肢もありましたが、データが初期化されるのが嫌だったのと、代替機の設定などが煩わしいと思い、また過去に故障~機種変更で余計な出費を経験していたことから、自身での分解修理にチャレンジした次第です。 ただ、自身でこれらを修理される方が他にも、もしいらっしゃったら注意すべき点があります。 メーカー製のパソコンや、キャリアで購入されたスマートフォンなどは、一度でも分解をしてしまうと補償の対象外となる場合が多いです。 知識のある方であれば問題ないのかもしれませんが、私のように特にスマホなどはチャレンジして成功する例は必ずしも多くないと思います。 分解修理に限らず、興味のあることに、とことん学習してチャレンジしてみるのは良いことだと思いますが、常に失敗した場合のリスクや、リカバリできるのかを考慮した上でのチャレンジが望ましいと思います。

【精神疾患】破滅願望と生きる目的

精神疾患の考え方の中に、破滅願望というものがあります。 これは自身の破滅ではなく、外界を取り巻くもの…例えば、家が災害にあうとか、会社が倒産するとか、究極は地球が滅ぶといった考えが頭の中を支配してしまっている状態です。 これらはいつかはなくなる可能性はあるでしょう。 明日かもしれないし、1ヶ月先かも知れなければ1年先かもしれないし、もっと先の出来事かもしれません。 恐らく健常な方であればそのようなことを考えたとしても、頭をよぎるだけですぐさまそんな可能性は捨て去れることでしょう。 しかしながら、精神疾患でマイナス感情が働くと、このような考え方に固執してしまい、まるでこれが願望のように思えてくる場合があるのです。 世の中に存在するものは必ずいつかはなくなるものですし、永遠に続くものなどまずないと思います。 私たちはその中で精一杯日々を過ごして、喜びや悲しみを享受して、運命づけられているであろう死へと向かっていきます。 確かに有事に備える姿勢は大切ですが、有事を自ら願うのはお門違いだと思います。  私自身、そのような考えに囚われた時期もありました。 一日中、自宅に隠って体は休めているとはいえ、そのような考えがよぎる状態が続くのもやはり精神疾患の一環ではないでしょうか。 ようやく外出できるようになれば人間、目的の定まる行動が少しは出来ると思うので、その目的に集中した考え方が出来ると思います。 常に目の前に目的を持ち続けて生きるのが人間性のある考え方が出来るという状態なのではないでしょうか。

【精神疾患】季節に左右される体調と助け

私は季節の変わり目、特に春や秋に毎回のごとく体調を大きく崩す傾向があります。 風邪っぽくなるのはもちろん、鼻炎ぎみになったり、腹痛が続くこともあります。 これらばかりは、どうしても防ぎようもなく、仕事ばかりか、日々の生活もままならず、床に伏していることもしばしば続きます。  よく、雨の日に古傷が痛むなどはよく聞きますが、私の場合、雨上がり後の体調管理が非常に難しい状態なのです。 確かに寝ていれば楽になることもありますが、どうやったらこの状態から抜けれるか、先々どうなってしまうのか…などを考え込むと、余計に気が滅入ってしまい、塞ぎ込んでしまいます。 精神疾患を患ってから、寛解しても、このような状態は度々起こり、以前にも書き記したとおり、発作的に起こることもしばしばです。 結局のところ、このようなからだの状態とはうまく付き合っていくしかないのですが、このような状態が続くと、家族はともかく、外での様々な方との繋がりが断絶しがちです。 私自身、罹患時には、他人とのコミュニケーションなどもうどうでも良いと思っていましたが、場合により、人間はどうしても人の助けが必要なときがあります。  そんなときに遠慮してしまい、後に良くない結果を招くこともあります。 仕事で必要な助け… 日常生活で必要な助け… 経済的に必要な助け… 人により様々だと思いますが、これらの必要な助けは、自身が声をあげて行動しなければなにも始まらないと言うことです。 ほんの一言、声をあげれば、何らかの形で助けてくれる人は必ずいるかと思います。  確かに体調が悪い状態でこれらを行動するのは厳しいときもあると思います。 無理のない範囲で甘えるところは甘えて、日々の生活を過ごすことが当たり前のようで最も重要なことだと思います。

【日常】災害後のために備える

かつてないほどの台風が首都圏に直撃している今日、災害のために備えている方々が多いと思います。 災害自体は決して防ぐ事が出来ませんが、台風の場合は突然の地震と違ってある程度は備えることができます。 また私的意見ですが、台風の通過中はほぼ屋内でじっとしていることしかできないと思いますので、災害後のもしもの備えが重要だと思っています。  私の場合は最低限ですが以下の用意を常にしています。  ・3日分の非常食と飲料水 ・3日分の下着など衣類の着替え(夏でも冬でも対応できそうなもの) ・タオル ・ブランケット ・水を使わないシャンプーや歯ブラシ ・携帯用のコンロや発熱材 ・マッチやライター ・モバイルバッテリー ・携帯できる救急箱  ・酸素マスク ・ドライバーやハサミなどの十徳ツール  今回は確認も含めて、開封してこれらを確認しましたが… これらをリュックサックに入れて寝室においています。 またこれらとは別に、  ・上記のリュックサックとともに折り畳み式のテント ・枕元には懐中電灯 ・風呂に水をためておく これを台風の前日に用意しています。  有事の際、水道、電気、ガスが断絶したとしても、災害後72時間分の用意があれば、助けを求めながらでも何とかしのげると思っての準備です。  災害後の二次災害が最も恐ろしい場合もありますので、ご参考になればとの思いだけで、非常用の簡易的なバックパックだけでも用意しておくと心理的な安心につながると思います。

【精神疾患】人はなぜ人を憎むのか

よく怒りやすい人、短気と言われる人がいますが、これらの人々に対して人はどのような感情を持つでしょうか? 怖いと思う人もいれば、逆に気にしない人もいるかと思いますが、実際に怒られている人の中には、怒る人に対して憎しみを抱く人もいるかと思います。 この憎しみという感情は必ずその次のアクションがあります。 先の例を見れば、怖い…や、気にしない…はその場でアクションが終わる形が多いでしょう。 しかし憎みというのは、逆に怒りの感情へ変わったり、ストレスに変わったり、果ては報復や復讐に至ってしまう場合があると思います。 人はこの状態まで至ってしまうとその感情を解放するため、手段としての暴力や犯罪、また人の歴史を見れば紛争などにも発展してしまう場合があります。 私自身、かつては過去の記憶の中でどうしても許せない人が何人か思い浮かぶこともありました。 精神疾患となった際も、これらの思考が影響していた感は否めませんが、考え方次第で、人の怒りを享受して許す、または支離滅裂な怒りであれば自分の中でその人を哀れむ、等の考えを持てばそこで一端の人の怒りに対してのアクションは終わると思います。 まあ…後の思い出しての「納得できない」といったストレスはあるのかもしれませんが… 人間が皆、そのような感情を持てば争いがなくなる…とまでは言いませんが、弱者による変な憎みが渦巻くような社会になるのだけは避けられるような精神衛生状態を維持していきたいと思っています。

【過去】サブカルにかかる費用

私がちょうど成人した頃~初就職した当時、某アイドルグループのファンで、学生の頃の友人とともに、よくライブなどに行く、よく言う追っかけをしていたことがありました。 もともと私自身、アイドルなどの情報や知識には造詣がある方だと思いますので、今でも多少はその辺りに志向があるとは思っています。 また、今ではそうでもないのですが、子供の頃から学生時代にかけてゲームやアニメなどにも興味が強かった方ですので、いわゆるサブカルチャーにどっぷりハマっていた過去があります。 これらの趣味には当然ながらある程度の費用がかかるのですが、例えばゲームソフトの購入には当然ながらその価格を支払うのですが、アイドルの追っかけをしていると、ライブチケットの費用、また住まいの近郊であれば良いのですが、地方でのライブにまで手を出すとその遠征費用、さらにライブの都度のグッズ購入費用など、毎月の給料のほとんどを注ぎ込んでいた時期もあったくらいです。 しかし私自身は今では後悔はしていません。 当時はそれなりにストレスの発散になっていましたし、何歳まで生きるか分からない自身に貯金するよりも、友人とともに駆け抜けた青春…といったら美化させ過ぎですが、それでもある程度は青春を駆け抜けたと思える思いでです。 サブカルチャーは日本が世界に誇れる文化の一つと言われていますが、自身もこれには全く同意です。 ドイツへ行く機会のある自身でも、ヨーロッパでは日本ほど多種のアニメはないですし、むしろ日本のアニメが翻訳されて放映されている場合があります。 ゲームに至っても、少し日本よりも遅れがあるような感覚で、ヒットしているジャンルも全く異なっていると思います。  (その代わりにサッカー熱などが日本と比較にならないくらいスゴいのは事実ですが…)  よく、サブカルチャー分野でのマニアが日本の経済を支えている、といった意見を耳にしますが、お金の流れを考えると、本当にそうなのかもしれないです。

【日常】国民年金は税金か

私の仕事の関係で個人の諸々コンサルティングに関わることがたまにあるのですが、昨今の国民年金についての話題が出ることが少なからずあります。 このところ、急に催促の郵便物や電話が来たりして徴収が厳しくなった…とか言う話をよく耳にします。 国民年金の納付率は現状で対象者全体の7割ほどのようで、その中の更に4割ほど免除となっている方々が占める割合だそうです。 自然と未納者の割合は残りの3割が該当しますが、なぜ借金でもないのに催促が厳しくなっているのでしょうか。 ここでタイトルの「国民年金は税金か」と言うことが関係してきます。 私的な結論からこれは半分正解だと思っています。 日本は国民皆保険ということで、現状の国民年金の制度は現役で支払う方々の年金で、受給者の方々に支払う年金をまかなっています。 当然ながら日本は同時に少子高齢化の問題も抱えているため、上記の賄えない部分を税金で補っている形です。 この形は制度の発足時から変わっていないので、超少子高齢化が加速している現代社会では税金の負担分も増えてきてしまっています。 これが私的に半分正解と言う意味で、残りの半分はと言うと… 国民皆保険ということで、国民年金の支払いは国によって義務化されています。 多くの会社員の方は厚生年金を積み立てているかと思いますが、簡易的に考えるとこれは「国民年金 + α」の金額を積み立てているとイメージしてもらえればと思います。 で、この徴収強化の問題ですが、上記の少子高齢化の問題もあり、国としては税金の負担分を少しでも軽減するため、義務化されている国民年金の徴収強化に踏み切ったと思われます。 ですので、残りの半分の正解は税金ではなく、義務と言うことに尽きると思います。 しかしながらこの国民年金の金額事態、少しずつ上昇してきているので、会社員ではない方々、特に自営業の方々や20歳以上の学生の方々、失業中の方々や障害者の方々には毎月のこの負担は大きいものがあるかと思います。 他に払わなければならない税金もありますし、私自身も失業中はギリギリで生活していた苦い思い出があります。 そこで冒頭でも書いた、催促の郵便物や電話などですが、裏を返せばこれらは免除や納付猶予の制度の手続きを勧めているとのことなのだそうです。 例え前年の所得がない状態で確定申告をしていたとしても、

【過去】Web業界から徹夜をなくす!

私自身、現状で日本のWeb制作に携わる機会は少なくなっていますが、過去にWebの技術者として携わっていた者として、タイトル通りの宣言をしています。 以下のようなリンクを見かけましたが、現状でWebに携わる仕事をしている方々はいかがでしょうか? Webデザイナーが徹夜仕事から脱出する方法 私も過去にチームでの作業を強いられ、そのチームリーダーが徹夜込みのスケジューリングをしたがる者だったので、会社のホームページリニューアルの度に休日出勤や徹夜をチームでするという雰囲気があった職場にいたことがありました。 しかし、私は本件のような信念があったため、多少の残業でチーム連携はとっていたものの、休日出勤や徹夜には従いませんでした。 当然の、上司に呼ばれたこともありましたが、信念は貫き、チームの方針が良い結果に繋がるとも思えなかったので、休日出勤や徹夜ありきでスケジュールを組み時間を使うことが正しいのか、逆に上司へ問いただしたこともありました。 そもそも数年前の出来事とはいえ、このご時世、24時間体制で人が張り付き、Webを見張って、夜間の作業でリニューアルする…何てことはナンセンスだと思いますし、効率やWebというものの本質を理解していない人間のやることだと思っています。 確かにWebページは企業の顔でしょう。 サービスを唱っている会社は「24時間いつでもWeb予約」何て会社もあるでしょう。 でも本当にそこへ24時間体制で人を置く必要があるでしょうか? TV放送だったら放送波が止まれば放送事故になりますが、Webページが表示できなくなって落ちても、どれだけの損害か、考えてみてください。 確かにクレームを言う顧客の方々もいるかもしれませんが、例え一晩ホームページが表示できないとなっても、損害額はたかが知れていると思います。 だから私はWeb業界に徹夜なんてないですよ…と声を高々にして言いたいです。 「Web = 徹夜」なんてイメージを払拭するためにもね!

【精神疾患】お金の心配

精神疾患の治療で一番金額の張るものは、やはり薬価代かと思います。 診察の頻度にもよるかと思いますが、私の場合は最多で月に3回くらい通院していたので、その1回の通院の診察代で1,300円くらい(診断書などの書類も必要な場合はプラスで3,000円くらいでした)、薬の代金は1ヶ月で約6,000円ほどかかっていました。 幸い、途中からジェネリック薬品へ変更して1,000円くらい安くなりましたが、それでも毎月の薬代だけで5,000円というのが数ヶ月間続きました。 精神疾患の薬価代が比較的高価な理由には、現代病と言われる由縁なのかもしれませんが、現在進行形で研究中の分野でもあり、新薬が現状でも出続けていることから、後発薬が出るまで時間を要するため、良薬が安価にならない背景があると思います。 確かに以前の抗不安薬などは副作用が大きいものが多かったと、今でもお聞きすることがあります。 しかしながら、これら治療代を補助する制度もあります。 「自立支援医療制度」というもので、私自身はこの制度を利用した経験はないのですが、聞くところによると、診察代や薬価代など医療費の負担を約半額まで公的に補助していただけるそうです。 確かに、疾患になりたての頃は休職や退職で傷病手当のみの収入や、長くかかれば場合により失業保険のみで治療費のやりくりをしなければなりません。 これに生活費や税金などもかかるわけですから、利用しなかった自身でもお金の心配をしていた時期はありました。 これはいくら治療に励んでいたとしても心身的なストレスになりますし、私も実際にここから節制の生活を続けることになりました。 精神疾患は数週間単位で改善する方もいれば、数ヶ月または数年単位でようやく寛解に至る方もいます。 後者の方々は積極的に公的な補助制度があれば利用すべきかと思われます。 自身はその中間くらいでの寛解となりましたが、やはりお金の心配は精神的に悪かった思い出があるので、まずはこの心配を解消する上で、今回は「自立支援医療制度」をご紹介させていただきました。

【日常】Red Bull Box Cart Race(レッドブル・ボックスカート・レース)

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本日は Red Bull Box Cart Race(レッドブル・ボックスカート・レース)Tokyo 2019 の会場へ観戦に行って見ました。 ここ最近の私にとっては珍しく盛況な場への外出です。 元々、モータースポーツは好きな方ですが、これはモータースポーツではないカートレースです。 いわゆる手作りのボックスカートで下り坂のコースを踏破するというものです。 レッドブルの主催とのことである程度のにぎわいもあり、また会場が、よみうりランドと少し遠出となりましたが、一緒に誘っていただいた友人、知人には感謝です。 仕事柄、また性格的にも完全なインドア派な私ですが、たまには…とのことで、今回は疲れながらも、日々の日常とは違った刺激を受けることができてよかったかなあ~と思う次第です。

【日常】電子タバコVape(ベイプ)はどうなの

以前のブログでも記したことがありますが、私は喫煙者の部類にはいるものの、加熱式タバコやVape(ベイプ)を中心に常用する形となっています。 更にこのところの増税から、ややVape寄りにシフトしていっているのも事実です。 ここで少し、電子タバコのVapeについて説明しておきます。 加熱式タバコは煙草の葉っぱを加熱して熱することによりニコチン成分を摂取するものが多いと思います。 当然ながら煙草の葉を使用しているので特有の臭いからは免れません。 対してVapeと呼ばれるものの大半はある香料、例えばフルーツなどのフレーバーを液体のリキッドとして熱し、その蒸気を喫煙するという嗜好品です。 日本の場合、このリキッドにニコチンの入ったものを販売するのは違法とされているため、あくまでリキッドのフレーバーを喫煙で楽しむに限ったものだと言えます。 では、これらは一般的な「タバコ」とどう異なるでしょうか。 まず、そもそも日本ではニコチンの摂取の対象となってはいませんが、喫煙する電子タバコに分類されていつと思うので、使用するならば、喫煙所での利用が妥当とされています。 次に多くの嫌煙家が非難の対象とするタバコ特有の臭いですが、この部分についてはほぼ無害と言っても良いのではないのでしょうか。 臭いの出やすいVape機種であっても、アロマを焚くのよりは少ない臭いのものの方が多いようですし… 最後に安全性の観点から考えてみようと思います。 たとえ紙巻きタバコのようにタールやニコチンが出ないとしても、肺に煙を入れて吐き出す…という喫煙行為をすることには変わりないので、非喫煙者の通常の呼吸とは異なり、何らかの呼吸器への影響があるかもしれないとは自身も思っています。 この辺りの事情は、紙巻きタバコや加熱式タバコの有害性が最近でハッキリしてきたこともあり、まだまだ解明中の分野だとも思います。 自身としては急な禁煙や節煙ではなく、少しづつでもその方向に傾ければと思ってはいますが… なお、煙草は20歳から、法律やマナーを守った上で!

【日常】フリーランスのお金にまつわる話

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私の場合、サラリーマン時代の毎月給与生活と異なり、フリーランスのため、収入のある程度ある月もあれば、仕事の状況によっては収入が少ない月もあり、決して安定的とは言えない生活です。 しかしながら、私生活としては会社人の時代よりも充実していると考えてるため、この生活を続けているのが本音です。 確かに、税金の支払等で面倒なことも多い反面、ある程度の節制した生活を意識的にできるようにもなりました。 まず、無駄な買い物は確実に減ったと思いますし、娯楽費用も必然的に少なくなりました。 また、食費も自炊を中心とすることで、あわせて家事、特に料理のスキルは向上したように思っています。 しかしながら、フリーランスという宿命なのか、貯金はサラリーマン時代よりもしにくくなっている環境であるのも事実です。 特に体を壊したときは医療費もかかりますし、そんな月によっては自転車操業的な月またぎとなることも過去にありました。 また、私の場合、毎月の国民健康保険、国民年金、住民税の他に毎年とある県の市町村へのふるさと納税も毎年続けているので、税金の負担は中々大きいものとなっていると思います。 税金の支払は義務と言っても、他に消費税や、私の場合に限ってはたばこ税などの間接税も人並みにあるので悩ましいところです。 ふるさと納税やたばこ税は止めればとも言われるかもしれませんが、私にとっては習慣的というか、これもまた人生の一部となっているため、続けたいというか、止めたことのデメリットの方を多く考えてしまうため、支払うときは支払っておきたいのが本音です。 フリーランスとしての立場、個人事業主というのは社会的に、まだまだ一般的なサラリーマンよりもその信用度や認知度は低いと思っています。 法的にも国から何か大きく守られている訳でもないと思っています。 国は会社員の正社員としての雇用を進め、「一億総活躍社会」と唱っていますが、中には私のようにどうしても会社員としての働き方が合わない人間もいます。 私たちフリーランス、個人事業主も、サラリーマン並みとは言いませんが、現状よりも少しは安定的に働ける社会を考慮していただけるとありがたいと思う次第です。

【精神疾患】久々に発作が出ました

私事になりますが、本日の午前中、仕事中久々に動悸が止まらない発作に襲われました。 今は少しは落ち着いているので、記録としてブログに残しています。 幸い、自宅での作業中の出来事でしたので、周囲への迷惑はありませんでしたが、主に動機から始まり、吐き気、冷や汗と、まさにあの時の症状と同じような感じが出てしまい、しばらくの間、横になっていました。 きっかけは、とある経済的な貧困の記事の編集だったように思います。 お金の心配は一番心身に悪いというのは心得ていたのですが、その記事を見て、まるで自身の重ね合わせて見てしまい、大きな不安や心配が急に湧き出してきた気分になりました。 そこから休むところまでの記憶はあまり覚えていないのですが、午後のこの時間になり、ようやく少し落ち着いて来たので、今を記している形です。 残念ながら、今日はもう仕事を休んで床に伏している状態が抜けられそうにないので、少し寝て違うジャンルの記事編集に取りかかる次第です。

【精神疾患】薬による慣れと常習性

私が精神疾患の罹患時、当然ながら薬による治療も行っていたわけですが、治療開始時には2種類、最高に多いときで、この最初に服用していた2種類とは違う5種類まで試して治療していました。 まず、メンタルクリニックへの通院当初は一般的かつ副作用の少ない常用する抗不安薬と睡眠導入薬の2種類でした。 次にこの抗不安薬を自身にあったものに変えるため、自身の場合は計3種類の薬で合ったものにたどり着くことができましたが、これは3ヶ月ほどかかりました。 同時平行で、常用する抗不安薬とは別に頓服薬としての抗不安薬も出してもらうこととなり、こちらは計2種類を交互に使用した結果、とある1種類の薬に絞りました。 …ここで服用していた薬は3種類です その次は睡眠中の状態が浅くならないよう、本格的な睡眠薬を処方することになり、これにともない睡眠導入薬も強すぎないものへとあわせて変更しました。 …この時点で4種類を服用することとなります。 また、これらの薬の処方、変更による副作用も少なからず出たため、間々に吐き気止め or 胃腸薬の処方もありました。 結局のところ、半年間くらいは5種類くらいの薬を夕食後や就寝前に分けて服用していたわけです。 で、この中で特に私に効き目があった?と思われるのが、頓服での抗不安薬と、効果が緩やかな睡眠導入薬でした。 ある程度、傷病の症状が治まり、活動ができるようになっても、これらの薬を絶つには数ヶ月かかりました。 以前のブログでも記しましたが、混雑する場所では発作的な症状が出ることもあり、それまで頓服薬に頼っていたためと、睡眠は睡眠導入薬に頼っていたため、いざ薬を止めると寝付きが悪くなって自然な睡眠がとれず、結果として夜型生活に戻ってしまう自体となってしまうから大変でした。 精神疾患への治療薬というのは確かに一つの有効な対処療法だと思います。 しかし、それに依存しすぎてしまうと、薬の服用が当たり前の体となってしまい、そこからの脱却が難しくなるのも事実です。 幸い私の場合、数ヶ月間で精神疾患の服用薬のない生活に戻れましたが、中には数年間服用し続けて脱却できないという方もいるそうです。 意思の問題という人もいるでしょうが、治療するための薬、精神疾患の薬に限らず、ある程度一定の依存度はあるものと思います。 それとどううまく向

【日常】限定品という功罪

私自身、「限定品」という言葉の商品には飛びつきがちですし、実際に購入するものも多いです。 この限定品には大きく分けて3通りのパターンがあると思っています。 一つ目は、単純に販売の絶対的個数が限られているものです。 よくシリアルナンバー付きなどで売られているものなどはこの部類でしょうか。 オーダーメイド品の中にも完全受注生産なるものもあって、これも該当するかと思います。 二つ目は、ある限られた期間中でしか販売されないものです。 季節限定やその年のみの販売、などよく聞くワードではないでしょうか。 三つ目は、特定の場所のみで限定販売されているものだと思います。 これは上記の2パターンと異なり、個数の制限もなければ、販売期間の限定もないので、その場所へ行くことができれば購入できるという、比較的安易に入手できる限定品と言えます。 私が飛びつきがちなのは、やはり一番目と二番目のパターンで、両方とも期を逃せば、入手困難性の出てくるもので、後にほしくなった場合は、中古品や、あるいはプレミア価格へ高額となっての購入となってしまいます。 しかしながら、この場合にも一途の望みがありまして、あまりにも人気が出て、購入かったができなかった人達のために、需要と供給を見て、復刻版としてリリースする商品もあります。 しかしながらここまでくると、元の限定数の絶対個数を上回ってしまうため、限定品としての市場価値が下がる場合も多くなります。 ですので、自身としてはこの復刻版なる商品にはほとんど手を出すことはありません。 限定品に手を出す時点で市場に操作されている感は否めないのですが… これらの限定品、元々がある程度のブランド品となると、十中八九さらに高額な価格帯設定となるので、元々が高額なブランド品となるとなかなか手が出せませんが、それでも一般的な限定品を収集していたとしても、経済的な圧迫はそれなりにインパクトがあります。 物欲のない人ならば全く関係のない話かと思いますが、私自身は一定の物欲はあると思っているので、このお陰で貯金は苦手な部類の人間です。 一度、断捨離でもしてしまえば変わるのかもしれませんが、これもなかなか踏み切れないでいる今日この頃なのです。

【精神疾患】首に着けるもの平気ですか

疾患とは少々異なるかもしれませんが、私はもともと首からなにかを下げる…というもの全般が苦手です。 アクセサリーのネックレスやチョーカーはもちろんの事、ネクタイも苦手で、過去に転職の際は可能な限りノーネクタイの職場を選択していました。 また、昨今で増えてきた社員証や会社への入館カードキーなどをネックストラップで首から下げるというのに困っていた記憶があります。 これを社内の内規としてる企業もあったため、私の場合、仕方なく注意される、または評価が下がる影響を覚悟の上で、それでも首から下げるということはしませんでした。 何となくですが自身の頭の片隅に「犬じゃないんだから…」首輪的な良くないイメージがあるのは確かです。 上記の例で言うと、アクセサリーやネクタイはともかく、名前や顔写真などの個人情報が記してあろうである社員証を首から下げるなど、少し飛躍していますが、人間として扱っていますか?…とさえ思ってしまうのです。 話は変わりますが、私がメンタルクリニックや心療内科へいくつか通院した際、そこでは名前で呼ばれることはほとんどなかったです。 番号札などで呼び、名前を可能な限り出さないよう、また患者の方々への個人情報などの影響も考えた上でそのようにしているとお聞きしました。 変わって、健康診断などで病院に行く場合は大声でフルネームで呼ばれることが多いといもいます。 どちらが良いかの是非はありますが、個々にあった対応をしていただければ幸いです。 だいぶ横道にそれましたが、上記と同じよう、一律に当たり前のように首からものを下げる決まりがあるなら、逆に私のように苦手な者にも首から下げない自由を与えてほしい…そんな世の中になってくれればという思いがあります。

【日常】簡単な卵料理?

私は自炊をする際、必ずと言ってよいほど卵料理を添えます。 目玉焼きだったり、卵焼きだったり、オムレツだったり…手軽でコスパが良いため、一日一個の卵の消費は欠かせません。 私が生まれてはじめて作った料理も目玉焼きで、当時は小学生でした。 フライパンに卵を落とすだけと思いや、これがなかなか奥が深いです。 半熟や固めなど、好みの焼き加減にするには火加減の調節が不可欠ですし、極めつけは、卵の黄身と白身では入る温度も異なるので、ここの段階までこだわればプロに近い領域になるのではと思っています。 卵焼きやオムレツも卵をまぜて巻くだけと思いきや、卵液の出汁の調合や、なかにいれる具などこだわれば限りないですし、そもそも卵焼きはいかに薄く巻き重ねるかに対して、オムレツはスクランブルして一気に包みあげるなど、必要な技も異なってきます。 私の場合、これらを日々続けることである程度のスキルはついたと思っていますし、オリジナルの卵料理に応用できるようになりました。 料理は奥が深い…とは言ったものですが、本当に沼というか、行き着く先の完成型が見えないほどです。 私は特にこれを商売としようとは思っていませんが、それでもどうしてもこだわってしまいたいと思う今日この頃です。

【過去】ドイツでの日本人生活

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私はこれまでドイツでの生活等、いくつかをブログで記してきましたが、今回は一旦、日本人の目線を主としての日々の生活完を書き記してみます。 まず食事面ですが、住む州にもよりますが、日本語の通じる&日本人がいる日本食専門のレストランが数件はあると思います。 これに加え、日本の食材を専門に扱う、同じく日本人がいる商店のある州もあります。 ただ、これらの中にはほぼ日本の定価で買えるものから、数倍の価格がするものまであるので注意が必要です。 例えば私の経験で、レトルトカレーなどはさほど高くはありませんでしたが、冷凍物の明太子を買おうとしたときは驚くほどの高価格でした。 また、日用品なども日本の百貨店がある州もあり、なかなか日本特有のものを使う機会は少ないのですが、ちょっとした調理器具など、買った記憶があります。 私の住んでいた州では、書店も日本の書籍を専門的に扱う店舗がありました。 ただ、こちらも価格が倍くらいするものもあり、週刊誌などは一週分遅れての発売となっている場合が多かったです。 ただ、今ではインターネットもあるので、さほどの必要性は感じませんが… これら以外に私の住んでいた州で助かったのが、日本人がしているクリニックと散髪店が非常に助かりました。 私の場合はドイツにいる間に手首を骨折した経験があり、その時は非常に助かりましたし、散髪店は幼少期に数年間住んでいたときに最初の一年くらいは伸ばしに伸ばしていた、小学生にしてロン毛の髪の毛だったのですが、紹介していただいたこともあり、サッパリと刈り込んでいただいたのを覚えています。 このように、ドイツでは商売で活躍している方々も多く、日常生活での不便は大きくないと言っても良いかと思います。 ドイツ人自体、親日的な人間も多いですから… ただ、何故か昔は中国人に間違われてからかわれた経験もあるので、中国人の方々とは別の思いがあるのかもしてません。 もちろん、ドイツで食べる中華料理店は美味しいのでオススメなのですけどね。

【日常】文字だけでわかるレシピを書いてみます

私が日頃から料理、自炊するのは以前のブログでも記しましたが、日常でもっとも多く作るのが「炒飯(チャーハン)」です。 前の日に炊いたご飯の余りを使えることと、定期的な冷蔵庫の掃除にもなります。 では、簡単ながらレシピを以下に… ・材料 炊いたご飯:適量(上記のように前日の余りで大丈夫です) 卵:2~3個 油:適量 塩胡椒:適量 顆粒の出汁:適量(中華のペースト調味料があればその方が良いです) 醤油:適量(オイスターソースでも代用できます) 具材:チャーシュー、ネギ、なると…などお好みでみじん切りにして用意(こちらも冷蔵庫の余りもので代用できます) ・手順 ①フライパン(中華鍋があればベスト)を強火で熱し、煙が出るかでないかくらいで油を馴染ませる ②溶いた卵をフライパンに投入し、続けてすぐにご飯も投入、オタマなどでご飯をほぐしながら卵と混ぜ合わせるように炒める (この際、オタマの背でフライパンに軽くご飯を押し付けるように炒めるとよくほぐれてパラパラ感が出てきます) ③ある程度ほぐれて混ざってきたら、みじん切りで用意した具材をフライパンへ投入し、さらに炒めながら、塩胡椒、顆粒出汁で味付けをして好みの炒め具合まで炒める (最後に醤油を入れるのでこの時に味見をするならば気持ち薄目の味で大丈夫です) ④最後にフライパン鍋はだへ醤油を回し入れ、焦げる前に一炒めして、火を消して、お好みに盛り付ければ…ついに完成です …と、今回は実験的に文字で料理のレシピが伝わるか、書き記してみました。 チャーハンは簡単かと思い、書き出してみると、大きく分けて四工程でしたが、いかがでしょうか? またそのうち第二弾も書いてみようと思っていますので、よろしくお願いいたしますm(_ _)m

【過去】ドイツにコンビニがないわけと過ごし方

まず、はじめにことわっておきますが、ドイツには基本的にコンビニはありません。 日本人には考えられない、馴染みがないと思われる方もいるかもしれませんが、法律上も「閉店法」というものがあるため、24時間営業は法律で禁じられているからです。 以前も論じましたが、買い物は朝方~昼間のうちで、夜間は飲食店がやっている程度です。 また、これにはドイツの食の文化も関係しています。 朝食は別として、昼食は基本的に焼き物や揚げ物など温かく火の通ったもの、夕食は「カルトエッセン」といって、パンとハムやチーズ、サラダなど火を通さない、いわゆる冷たい食事を基本としている日々の食文化が一部あります。 我々日本人は一見不便と感じるかもしれませんが、もしドイツへ行く、ドイツで暮らす場合はどうすれば良いでしょうか? 旅行者としてならば、日中のうちに水と軽食は確保して携帯しておくのが無難です。 夜間でも一部の駅ナカの店舗や街角の小さな路面点で菓子類は買うことができますが、スナック菓子やグミ類でお腹を満たすことはできないでしょう。 グミといえば「HARIBO(ハリボー)」のグミ、日本でも世界的にも熊グミで有名ですが、このハリボーはドイツの製菓会社ですので、日本以上にその種類や、ドイツ独特の「黒グミ」なども購入できますが、いずれにしてもお腹を満たすには、パンや飲み物を常に携帯しておくくらいの意識が必要かもしれません。 このように文化的な違いに、日本人は不便と感じてしまう側面もあるかも知れませんが、ドイツ人には親日的な方も多く、またヨーロッパの中でも比較的治安の良い方、かつ世界的な遺産も多い国ですので、旅行や短期的な滞在には日本人向けの土地と言えるのではないでしょうか。 どうしても住んでいた私からするとその目線でしか伝えられず、申し訳ないのですが、興味のある方にはぜひとも訪れていただきたい国の一つです。

【精神疾患】人混みで焦ったときの対処法

私が精神疾患に罹患時、人混みをとても苦手にしていました。 当時はなぜか動悸や焦りが出て、冷や汗までかく始末でした。 そんなときに私が試していた方法をいくつか紹介します。 まず、大きな施設などでの人混みの場合、トイレや喫煙所に駆け込んで心を落ち着けていたことがあります。 どんなに混んでいる大型施設であろうと、トイレは常に混んでいるわけではありませんし、昨今で喫煙所などほんの一部の人しか利用しないので、私にとっては落ち着ける空間として利用できました。 次に街中での人混みの場合、最近ではめっきり減りましたが書店、またはコンビニなど、入店しても必ずしも購入をしなくてもよい場所に入ることにしていました。 あまりほめられた事ではありませんが、雑誌の立ち読みなどで意識的にこれを読むということに集中を向けることで切り抜けられた場面も多々ありました。 最後に、満員電車ですが、前提としてまずこれに乗車しない、避けるという選択肢を第一に考えた上で、どうしても電車に乗車しなくてはならない場合、目的地へ迂回してでも時間をかけて行くか、途中駅で何度も降りる覚悟の上で時間をかけて目的地へ向かうしかないと思います。 私の場合、人混みの場合での焦燥感はそのほとんどが発作的にくる場合が多かったです。 理性で特に自身が傷ついたり、大事に至るわけではないとわかっていても、発作的な不安に教われてしまうのです。 耐えようと思えば、耐えられるくらいの時もあるのですが、自身は上記のように常に逃げられる道を考えて外出をしていました。 「逃げるは恥」という人もいるかもしれませんが、常に逃げ道を作っておくことは、傷病の罹患時の私にとっては、何ら恥じることなく、むしろ助かった経験となっています。

【過去】会社員への処分の是非

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以下、今回ご紹介させていただくのは、私が過去に在籍していた企業で実際にあった処分事案です。 ①ある社員からの指摘で、自身の提出した勤怠の一部を故意ではないが上長が書き換え、提出した。 事案の発覚後、その上司は1週間出勤停止による謹慎処分を受けた。 ②ある社員が上司の指示で他部署の業務をすることとなった。 当初の予定では数日の手伝いだったが、数週間たっても元の部署の仕事に戻されることはなかった。 その社員はハラスメントとして告発し、当該上司は職権を逸脱した人材配置をしたとして半年間の減給処分となった。 ③ある社員が顧客先で喧嘩沙汰となった。 当初、直属の上司は解雇または諭旨退職が妥当と判断したが、後に顧客先より顧客側に非があったと謝罪の連絡が入り、最終的に当該社員は厳重注意による訓戒処分となった。 以上、羅列しただけですが、それぞれのケースを見て、意見したいと思います。 まず、①の事案について、この会社はとある金融関係の会社でしたが、勤怠に非常に厳しく、社員の事情問わず、事実と異なる勤怠などを申告した場合は重大事案として毎月のように写真を処分していました。 この時も半日休暇を時間休として申告していたようです。 上司の温情もあったのでしょうが、何より提出したものを都合のいいように書き換え他とのことで、比較的重めの謹慎処分となったようです。 私が思うのは、金融機関って皆このように厳しめなのでしょうかね…私の経歴では少し厳しすぎやしないか?と思いました。 続いて②の事案ですが、その社員が本来やるべきではない業務を上司の指示ではあるものの、長期にわたって強いられたことがまずパワハラに当たる問題だと思います。 次に直属上司の指示とはいえ、監督者たる上司の目を離れ、他部署で働かせていた、これが上司の指示の職権を超えているとの判断から処分となりました。 例え直属の上司と他部署の管理職との間で問題なくとも、はたから見れば事実上の人事異動のように見えてしまいます。 人事部を通さずその場の判断だけで人材を違う業務につけるのが、まず問題の一点です。 次に、この社員は雇用契約上と明らかに異なる業務を会社の指示ではなく、上司の指示だけで黙認されていた点も問題です。 日本の企業はよく多岐にわたっての仕事をしてこそ的な美学がまだありそうですが、海外で