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【精神疾患】何もできない、したくない…

精神疾患を患うと誰しもが通る道ですが、動きたくないし、ただ何もせずじっとしていたい瞬間があります。 これは人によっては長引くことも少なくありません。 当然ながら、仕事もできず、日々を過ごして行くのだけがやっとの状態。 休職しても、傷病手当は出ますが、これは1年半が限度で、この時間だけでもとに戻れる人はまた限られた人といっても過言ではないでしょう。 就業不能保険などもあるようですが、これも同じく精神疾患の場合は支給期間に限度がある場合がほとんどのようです。 ご家族がいる場合には、収入補償保険もあるようですが、独り身の方は最終的に実家に頼る方も多いようです。 しかしながら、本当に働く意欲が減退してしまった方は長期にわたり、アルバイトでさえ足を延ばせない実情もあるようです。 精神障害者として認定されれば、段階により障害年金の対象となる場合もあるようですが、同時に仮にいざ働ける状態となったときにその間口が一気に狭くなっている現実の壁に突きあたる方もいるそうです。 障害者として雇用されれば、時間的な融通はきくものの、その分の収入は健常だった頃と比べると大きな開きが出てしまうということです。 私のようにフリーランサーで常に副業状態に至ればまだましなものの、企業に再就職してしまうと最低限な生活は送れるのかもしれませんが、まず副業をしようという余裕もあまり考えられないでしょう。 上記、決して私のような転身や生活を奨めるわけではありません。 私だって時に最低限度ギリギリの生活を経験したこともなきにしもあらずです。 しかしながら、昨今での社会の潮流として、企業の副業解禁や、同一労働同一賃金の流れがあるなかで、精神障害者の社会的な向上も少しずつですが見えてきているのではないでしょうか。 未だに精神障害者への偏見や、犯罪的なイメージもまだあるのが事実だと思います。 しかし、前にも述べましたが、犯罪は健常者が起こしているものが遥かに多いという事を忘れないでください。 今年はオリンピックに続きパラリンピックもあるので、障害者にとって、良い社会進出のきっかけが生まれる年になって欲しいと切に願うばかりです。

【日常】感染列島パンデミックの日本

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昨今、新型コロナウイルスの感染が世界規模で日々報道されています。 私たちの日本でも感染を赦し、広がりつつある状況をニュースで目にすることが多いと思います。 発祥と言われている中国の武漢市より現地邦人の帰国も始まってきている状況ですが、彼らの中にも感染が確認されていると言われています。 私はこの帰国自体は何ら否定する気はありません。 彼らも感染地から逃げ出したい一心で帰国を希望した気持ちも理解できます。 しかしながら今回のウイルスは発祥までの潜伏期間がある程度あり、既に感染している状態で飛行機に乗り帰国…結果ウイルスを国内に持ち込むリスクもあるのは事実です。 話は変わりますが、現在の日本には戒厳令や非常事態宣言にあたる法令はありません。 例えば外出禁止令などを実施しようとすると、日本は災害対策基本法により内閣総理大臣が発でなければ実施できません。 これにより安易な空港閉鎖や、経済活動の停止などが避けられる側面もあるわけですが、パンデミックとなると話は変わります。 誰しもが感染する治療方法の確立されていないウイルスの蔓延や、今回は異なりますが仮に致死率の高い感染症が広がった場合、どのような対策をとるか、国の舵取りと、個人の万全な対策があったとしても防ぐのは難しい状況も出てくる可能性が今後はあると思います。 今回の件で何か教訓を得られれば、それを最大限に今後にも活かしていくべきですし、我々個人も深く思慮する必要がある出来事になるのだと思います。

【過去】最近のWebデザインについて

自身はWebのデザインや制作から離れて数年たつのですが、いまだにコンサルティングやディレクションの立場でデザイナーなどの制作側とかかわる機会が時々あります。 これらの制作陣の声を拾うと、たまにそんなことまでするの?という事がいくつかあります。 上流行程から仕様やラフ案がおりてきて見てみるのですが、まず「レスポンシブデザイン」であること。 これって言葉の響きや、ただの流行に流されていないかってことです。 確かに「レスポンシブデザイン」が制作過程で有用なサイトもあるでしょう。 でも、デザインも完成していないのに、これってどういうことでしょう? もちろん、見るデバイスによって表示が崩れないことは最低限必要ですが、そもそも私の意見ですが、スマートフォンで見るWebサイトって、デザインなどある必要がないと思っています。 また、別の理由で制作陣を泣かせる場合もあります。 明らかにテキスト量、画像量が多いのに、レスポンシブデザインを求めること…これは矛盾です。 これならば正直、私はデバイス別のページを作るべきだと思っています。 確かにGoogleはレスポンシブなウェブサイトを推奨はしていますが、レスポンシブじゃないからといって評価が下がると言っているわけではありません。 小手先のテクニックでSEOをしようという方がよほど悪質です。 まあ、このような話の場合に私が入って制作側の立場で上流行程の方々をなだめることも多いのは事実ですが… 一時期Flashによるホームページが流行していましたが、正直今では一部を除き、かなり淘汰されてきていると思っています。 このように、Webデザインも流行に乗るだけでなく、本質的にどのように使うものかを考えて制作したいものです。 真面目に正しく制作したものであれば、Googleだって決して悪い評価はしませんから。

【過去】保険契約は保険ショップじゃないところで

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少し前に論じました「 保険ショップが跋扈する理由 」でも書かせていただきましたが、彼らの事業が成り立っているのは、契約時の手数料です。 本稿ではもう少し掘り下げて、金融関係の会社へ勤めていた当時の私の意見や、同僚の保険ショップ担当者の主観も含むので、必ずしも今現在の事実とは異なっている場合があるということをあらかじめことわっておきます。 保険ショップの命題はいかに無料相談を受けるかではなく、あくまでそこで契約をいただくことです。 保険ショップにいる彼らは、無料の相談を行い、現在契約中の保険よりも、更に相談者へ合った保険を提案するというのが一般的な流れだと思います。 相談員は基本的にノルマといったものがないそうですが、その裏では何の保険を契約いただいて、どのくらいの手数料を挙げているかが挙績という形で出ています。 これらが人事考課などで彼らのお給料に反映されていく仕組みだとイメージしてください。 ですから保険契約の変更をまず念頭に置いて話す相談員は要注意です。 保険契約の乗り換えを奨めるような勧誘は、保険業法でハッキリと禁止されているからです。 ですが、市場心理や同業他社との競争を考えれば…言わずもがなな保険ショップの相談員はどうしても出てきます。 また、保険の契約手続きというのは以外と面倒で、手伝ってもらいたい…という心理に突き入るのも保険ショップの特徴です。 どうしてもというのであれば、かしこく使うのは、本当に無料の相談だけを保険ショップで行い、手続き等は持ち帰って自身で保険会社へ直接行うという方法でしょうか。 結局のところ、契約書類は自筆で書かなければならないものですし、何より我々の見えない手数料というのに気を配る必要がないですからね。 最後に何故、ここまで保険ショップでの契約を勧めないのか、間に入る不透明な手数料もさることながら、定期的な見直しを促されたり、間を挟むことによってその文の時間を要する事があるためです。 これは同僚から聞いた話なのですが、お客様から一向に保険料が引き落とされないので不審に思い、保険ショップにヒアリングすると手続きを放置していたとか、契約の謝絶があった事実をお客様に連絡していなかったということが、ままあった事があるそうです。 ですので、重要な契約は自身の責任で、完璧に理解してから行った方が良いと

【精神疾患】メンタルクリニックでの混雑

私が通院していたときの話になりますが、昨今メンタルクリニックや心療内科というのは非常に混雑しています。 例えば予約時間を入れたとしても、そこから1~2時間待つのは当たり前で、混雑がひどいときには、半日くらい待つことも… では、何故メンタルクリニックは待ち時間が長いのか、答えは簡単で、診察にかけるカウンセリングの時間がかかるからです。 普通の内科といえば、問診と言ってもせいぜい5分がよいところ。 (メンタルクリニックにも診察時間が5分くらいのところもあるようですが…) 私の通院していたメンタルクリニックは一人にかける診察時間が大体15~20分くらい。 これを1~2名の医師で日々行っているクリニックでしたので、待つのは当然の環境でした。 (もちろん医師とは別に数名の臨床心理士も常駐していましたが…) 回復期にあるときは特に問題なかったのですが、罹患した当初の通院はどうしてもソワソワした焦燥感にさいなまれながらの通院でしたので、個人的には結構大変でした。 特に処方箋や診断書は医師の診察でないと出せないので、臨床心理士の方々で代わりに…というわけにもいかず。 休職に入って診察日を平日に変えてから、多少は混雑を軽減できる日を選べるようにもなりましたが、連休明けなどはやはり混雑に悩まされたときもありました。 今から思えば、ある意味、混雑が苦にならなくなったことが、回復の一つの兆しではあったのですがね。

【日常】シニアの活躍できる場

人生100年とも言われる今の時代、第二、第三の人生を謳歌する方々がいる一方で、定年後の人生を生きるための準備や貯蓄が欠かせない時代ともなってきています。 多くの人は60~65歳くらいで定年を迎えるでしょう。 しかしながら、 年金の受給は今後、75歳から…になるとも一部では言われています。 更に今は退職金があるのは一部の大企業のみで、ほとんどの企業ではないのが実情です。 では定年を迎えたときにどうすれば良いのか、先に話した準備や貯蓄があれば良いのですが、現代社会はそれも厳しい世の中です。 うまく嘱託社員として雇用を続けられた方々は別ですが、実際には会社を興したり、自営業を始めたり…と働き手として続けなければならない現状もあるようです。 ここは国も腰をあげなければならないところだと思います。 人手不足が叫ばれている昨今、彼らの活用というのも真剣に検討すべきだと思います。 しかしながら、企業はまだ、若年者を安価な労働力として使おうという考えがある限りは、シニア世代の活躍というのは社会には浸透しないでしょう。 私の周囲に話になりますが、実際にフリーランサーの方の中にも60歳を超えている方というのはいます。 実際の話、クリエイティブな発想を持つ方々であれば今後はこのような方も増えてくるのではないかと、私は思っています。

【日常】正社員でいることの不便さ

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以前にこのブログで「 同一労働同一賃金って本当に実現できるの? 」について論じましたが、これに関連して、不穏な動きが見られてきているようで、私の仕事の中でも話題に上ることがいくつかあります。 今までは、正社員でいることで、給与の優遇はもちろん福利厚生の充実や、ある程度の雇用の保障もあったかと思います。 同一労働同一賃金の改革で、これらが非正規の社員に適応されるのが理想の政策とはされているのですが…現実は異なる動きが出てきているようです。 上記とは逆の動き、つまり非正規社員の現状に、今の正社員の扱いを合わせるという動きが出てきているところです。 実際に一例として、日本郵便は先んじてこの動きが出てきているそうです。 同一労働同一賃金には特に罰則が規定されているわけではありません。 ですから、非正規社員の待遇を正社員に合わせるより、企業としては人件費のかからない非正規社員の待遇に正社員を遇わせていくという流れは当然ながら出てくると思います。 では今後、正社員で居続ける意味はあるのでしょうか。 本当に上記のような流れが主流になるのであれば、収入は減り、リストラされやすい立場で働き続けることとなってしまいます。 これからは社員という考えではなく、何かが一つでも尖ったスキルがあれば、それを活かして仕事をしていく、というスタイルがより増えていくかもしれません。 フリーランスの場も、もしかしたらより激化してしまうのかもしれませんね…

【日常】スーパーマーケットの利便性

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スーパーマーケットは誰しもが利用する場所だと思います。 日用品から食料まで、自身の住む近隣にあれば、便利この上なく、毎日利用する方も多いのではないでしょうか。 そんなスーパーマーケットにも進化というか、大きな変化が昨今では起きてきています。 まず、昨今話題のレジ袋の有料化。 これは携帯型のトートバッグやエコバッグで私は代用していますが、時代の流れを見れば当然の事なのかもしれません。 また、セルフレジというのも最近では増えてきています。 これは無人のレジで、バーコードや量りでの重さを通して会計するといったもの。 私の近隣のスーパーマーケットでも対応しているところがありますが、まだまだ対面レジと併用しているとことがほとんどで、完全無人化は少し先の話になるかもしれません。 他に、都心部のスーパーマーケットなどでは配達のサービスも一般的ですし、少し地方のスーパーマーケットでも車があればある程度のまとめ買いでも利便性があるので、生活に根付いた商店と言っても過言ではない気がします。 最近ではネットショピングでも定期便などのサービスがありますが、スーパーマーケットのチラシを見る機会があると、やはり自分の足で労力がかかってもスーパーマーケットに足を運ぶ私がそこにはいる気がします。

【精神疾患】ゲシュタルト崩壊を起こしやすい日本人

ゲシュタルト崩壊とは…あるまとまりのある構造のものが突如としてそのまとまりが失われてしまい、バラバラに切り離されたものとして認識されてしまう現象のことを言います。 自分で書いていて何の事?みたいな感じですが、例として、以下の数行を最初の一文字から順に何分間か凝視し続けてみてください。 仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏 …単純な仏(ほとけ)という文字の集合体ですが、ある瞬間、突如としてこの文字を認識できず、カタカナの「イム」と見えてしまった人もいるのでは…これが「ゲシュタルト崩壊」の一例です。 これは漢字やひらがな、カタカナを使う日本人には起こりやすく、アルファベットを使用する欧米の方々には起こりにくいという一説もあり、健常者でも起こりやすい人と、全く感覚として感じられない人に分かれるそうです。 で、私の場合ですが、自身の趣味のひとつに読書があるのですが、精神疾患の罹患時にこれが全くできない時期が一時期ありました。 要するに、本の文字を読んでいくうちに、これが文字と認識できなくなり、ただ何かが羅列しているだけのものと感じてしまうのです。 最大は新聞で、文字がぎっしりと埋め尽くされている紙面を読もうとすると、全く意味をなさない文字の塊となってしまい、読めないのです。 私の場合はこれらは一時的なものでしたが、精神疾患の経験者の方の話を聞くと、少なからず同様の経験をなさった方々もいました。 しかしながら、精神疾患との因果関係は未だにまだ解明されてはいないようです。 やはり、この辺りは個々の感覚にもよるかと思いますが、昨日投稿した、「 デジャヴ(既視感)の感覚 」と共に感じる人は感じますし、感じない人は全く感じないことなのだと思います。

【精神疾患】デジャヴ(既視感)の感覚

まず、デジャヴというのは「既視感」のことで、現実にはじめて見聞き経験したにもかかわらず、過去にそれを経験したように感じることです。 これは、夢や錯覚とは異なり、あくまでその感覚を神経が感じてしまうことと言われています。 よく精神疾患を経験するとこれらの経験をする方が多いとの見解もあるようですが、一般の健常者の方々でも約7割の方が経験しているそうです。 精神疾患を罹患した場合、治療薬による悪夢の症状もあるため、先に述べた夢による錯覚とは混同している可能性もあります。 しかしながら、精神疾患を経験した方の多くはデジャヴを経験した…という話も聞いたこともあるので、これはあながち嘘とは言い切れない側面もあると思います。 人は考えたことを実現しようとします。 その過程で、イメージしたとおり、そのまま寸分の互いなく実現したとします。 実はこれをデジャヴと感じる人も実際にいるそうです。 考えていたイメージが強ければ強いほど、こういったことはあるそうです。 最初にも述べましたが、デジャヴはあくまで神経の感じる感覚だと今は言われていますが、その本質は人の考えるイメージや思考などが根っこにある可能性もあるのではないでしょうか。 また、何かの変化の際にも感じることが多いと言われているデジャヴ、これを読んだあなたも感じたことはありますか?

【過去】保険ショップが跋扈する理由

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私が過去に金融関係の会社で働いていたときの話です。 この会社では保険も代理店として販売している事業がありました。 保険と言えば、多くの方も保険会社や保険代理店で契約するのが今では一般的だと思います。 保険会社の保険商品というのは、皆さんが毎月契約後に支払う保険料で成り立っています。 では、保険の代理店や、昨今町中でも見かける保険ショップというのはどのように成り立っているのでしょうか。 答えは簡単で、販売した保険商品に対しての手数料で成り立っている事業なのです。 銀行を利用する際もATMお金をおろしたり、振り込みの際は時間帯や日によっては手数料が発生することがあるでしょう。 これと同様で、例えば保険ショップなどでもお客様に保険商品の契約をいただいた際には、販売商品に応じて、手数料が支払われる仕組みがあります。 保険ショップは昨今、CMなどでも目にする機会が多いかと思います。 実のところ、これほどの広告費をかけられるのは、やはりその手数料の大きさに比例しているところもあるというのが実情のようです。 保険代理店や保険ショップがある保険商品をご成約いただいたとします。 するとお客様は毎月、契約した保険会社へ商品に応じた額を毎月支払うこととなります。 で、手数料というのはこの毎月の支払いに対しても発生していて、今ではどうかわかりませんが、お客様の支払われ多額の半分から100%にほぼ近い手数料が発生する商品も過去にはあったくらいです。 このような商品があるため、以前は多くの手数料が望める商品を優先的に販売するようなライフプランナーが跋扈した時期もあり、問題になりました。 考えてみてください、先に述べた銀行での手数料が一回数百円でもあれだけのメガバンクが存在するのですから、上記のような形で手数料を得る保険ショップなどは、毎日のように今のようなCMで広告を打つことは言わずもがな…な訳です。 私自身は直接この保険販売や、保険ショップの事業に関わったわけではありませんが、会社に在職中も金融庁による多くの問題の指摘や規制を耳にすることがありました。 最後に一言、保険代理店や保険ショップでの無料相談が成り立っているのは、販売の際の手数料で成り立っているから…これを理解した上で保険に対しての相談というものを是非考えてみてください。

【過去】ノマドワークで騙されないために

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私がノマドワークしていたとき、かなり怪しい案件への誘いがいくつかあったことがありました。 まあ、フリーランサーを自称している今も、ノマドと言えばノマドであることに変わりはないのですが…今回は自身の経験を踏まえてその特徴などを中心にいくつかご紹介したいと思います。 いかはあくまで一例ですが、列挙させていただきます。 ・明らかな簡単作業でありながら、報酬が高額 ・コピペのみという内容 ・契約前、具体的にどのような作業が発生するかの説明を示さずに、SNSなどのIDを聞き出そうとしている ・具体的な内容を示さず、違法性がないことを強調している ・まずはセミナーや説明会を受けてからと言って、何をするのかを一向に教えようとしない。 …基本的にこれらの誘いや案件には乗らないことです。 下手すると、ネズミ講やマルチ商法などに加担するはめになってしまうこともあるそうです。 そもそもこれらのノマドワーカーに対するクラウドワークの案件は、どうしても依頼者側が利を得るような構図で成り立っていることが多いです。 ですので、それだけ安価な案件も多い分、高額な案件となると、逆に依頼者側が稼げる上記のような案件が多いのも事実です。 今では、依頼者側の実績や、本人確認、また、こちら側から秘密保持契約を含めた諸契約も結ぶことができるサービスもあるようですので、クラウドのお仕事初心者の方はこれらを利用するのも良いかと思います。 適正なお仕事を適切な形でこなすのもノマドワーカーとしての立場を守るためには必要なことですので、本件もその一助になれば幸いです。

【精神疾患】介護と介助とプライド

私自身、介護と言えば、自身の祖父母で親の手伝いで関わった程度のものですが、精神疾患の現場でも介護や介助の必要な方という場合があります。 多くの方が介護と言えば、お年寄りの方の介護をイメージすると思います。 この場合、要支援から要介護まで、段階を分けて、受けられるサービスが異なります。 精神疾患の場合は、もし精神障害者と認定されれば、その制度に応じた支援を受けることができますが、中には前述で述べた介護が必要となってくる精神障害者の方も中には存在します。 そしてお年寄りの方の介護と同様なのですが、中には見た目には健常者の方と変わらず、プライドも高いため、こういった国や市町村のサービスを積極的に受けようとせず、遠慮する方も多いそうです。 確かに、ある一定の体調や時間であれば、健常者と同様の生活が送れているのかもしれませんが、いざというときに家族や周囲の人間のことも考えれば、あまり言葉のイメージとして良くないのかもしれませんが、介護や介助の支援サービスは当人が考えているより、メリットがあるものだと私は思いました。 以上、ワークショップで見聞きしたお話となりますが、書き留めておこうと思い、この場に残させていただきました。

【過去】逮捕経験のある方への取材

私は過去にWeb記事の執筆のあたって、何らかの理由で逮捕された方への取材をしたことがあります。 この場では詳しい説明は省きますが、簡単に言うと無論、送検~起訴にあたらない方々で、主に軽犯罪から、暴行罪や器物損壊罪、公務執行妨害罪…などで逮捕された方々です。 まずはなぜ彼らが逮捕に至ってしまったのか、主には職務質問に対しての抵抗や、ストレス過多である一線を超えてしまったなどの理由がありました。 確かにストレスから、といった理由は多く、仕事や会社に対して、現代社会を象徴していると思われる事由が多々見られました。 話を続けますと、現行犯で逮捕となった場合、よくあるイメージでの手錠による拘束などはほとんどないようです。 手錠をかけられるのは、事前に逮捕状が出ていて、直接留置場などに連行される場合が多いようです。 で、まずは最寄りの交番などで簡単な聴取と所持品の検査が行われるようです。 それが済むと、ほとんどのケースでは更に逮捕された場所の管轄する警察署に連行されるようです。 ここでよくある警察の個室に通され、本格的な聴取が行われます。 この聴取は場合により数時間~一両日ほど続いたという方もいました。 更には顔写真の撮影も行われ、警察のデータベースに登録される作業もこのタイミングで行われるそうです。 軽犯罪であれば、数時間の取り調べと事情聴取ののち、解放されるようですが、その犯罪が起訴された場合は後日、裁判所への出頭などが生じる可能性があるそうです。 また、被害者や損怪物のある犯罪の場合は、実況見聞などで立ち会わされることもあり、犯罪現場で別途、写真の撮影に応じる必要もあるようです。 彼らに共通して言えるのは、私の取材した方々は至って普通の人間だったということです。 逮捕の事案後に仕事を辞めざるをえなくなった方や、精神疾患を患った方もいましたが、町中にいれば普通に歩いているような方々なのです。 彼らは口を揃えて言っていましたが、私たちはこの社会になかにいる以上、気の緩んだ瞬間、何かしらの理由で、いつでも警察に逮捕される可能性があるとのことでした。 例えば、職務質問に答えるのは任意とされていますが、答えなければ警官は次々に同僚を呼び、しまいには公務執行妨害、また体に触れようものならば、暴行罪というケースもあったようです。 これらとは

【日常】ほとんどの場合が課題を把握していないWebコンサル

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私の仕事の話になりますが、Webのコンサルを請け負うとき、その企業のほとんどがWebの現状の課題を把握していない場合がほとんどです。 もっと手広くサービスを展開したいとか、集客力をアップさせたいとかの要望は多々あるものの、そのために何をすべきか、どのような壁となっている問題があるのか…ここからがWebコンサルタントとしての見せ所です。 まずはアクセス状況の把握は必須です。 必要であれば、アイトラッキングなどのテストも複数回おこないます。 ここではこれ以上は詳しく説明しませんが、上記を含めた結果から、現状のファインダビリティをお出しして、リニューアルが必要かの戦略を決めていきます。 時にはターゲットを変更するためにペルソナを設定してユーザーテストを繰り返し行うこともあります。 リニューアルで方向性が決まれば、ドラフトを出していく…コンサルティングとしては一旦ここで手を離れます。 (離れるというよりは制作側へバトンタッチということです) 時間を置いて、いよいよリニューアルWebがローンチされると、再びコンサルとしてアクセス解析に入ります。 できればリニューアル前と同様の期間での比較が必要なので、その期間分…季節変動もあるので月単位でアクセス解析できれば、といったところです。 で、以後はというと…納得できる結果が出るまで、最初に戻ってこれの繰り返しです。 Webの世界ってデジタル的なイメージが先行しているかと思いますが、ことコンサルに限っては以外に泥くさい仕事なのです。 今回は、Webでサービスの問題を解決したいが何をすればよいか分からない、という方々のために一例を示してみました。 もし、具体的なWebコンサルが必要であれば、私自身にご連絡いただいても構いません。 コンサルティングの始まりはまずはヒアリングからですので、お気軽に。

【精神疾患】個の社会から見る精神疾患

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現代社会は個の社会と言われています。 かつての日本社会は何でも集団で、型にはめ、個を許さない社会でした。 事実、私の学生時代も、部活動などで上下関係がある程度は厳しく、練習方法も型にはめて行うといった時代でした。 今の社会はというと、個性が大事、重要視される時代へと変わってきています。 一部企業などでは、昔ながらで個性というものをはみ出しもの扱いするようなところもあるようですが、社会に影響をもたらす仕組みやサービスは、今や個から生まれる時代と言っても過言ではないでしょう。 この個の台頭により、変革を続けるなかで、精神疾患というものも増えている現状があります。 医学的な関連性はここでは示せませんが、急に集団的活動がよきとされていた状態から、ある日突然、個性をもって活躍してくださいと言われれば、人間何をしてよいかわからない場合がほとんどでしょう。 社会の潮流が変わるのはわかります。 しかし人間には変化に対応する時間が、人によって様々です。 すぐに対応で来る人間が時代を先取り、適応に時間を要する人間が、悩みに悩んで、鬱や適応障害を発し、精神疾患となってしまう側面が少なからずあると思うのです。 これは私の考えですが、社会の流れに即適応できる人々と、適応に時間のかかる人間にある隔てがあるからだと思います。 極論を言えば、適応できる人間は物事の支配的立場となってしまい、それ以外の人間を従わせようとします。 しかし、被支配的人間は理解に苦しみ、何の説明や助けも受けないまま、時間だけが過ぎていきます。 気づくと、自身はかつてはある集団の一端を担っていたはずなのに、突然孤立無援のはみ出しもの、一匹狼みたいになっているのです。 想像してみてください、もし自身がその立場に置かれたら… 相当にメンタルが強い人は別として、普通の人であれば精神的にある程度のところまで追い詰められてしまうのではないでしょうか。 この事実があることに気づいている人間はどのくらいいるのでしょうか。 恐らく国も気づいていないと思います。 精神障害者の福祉は充実させているのかもしれませんが、正直、精神疾患を出さないための対策は、少なくとも私の目には今は皆無に見えますから。 このような問題に対して、どのような答えが出せるか… もしかしたらそれこそが、社会での個に求められて

【過去】本物よりレプリカ品や互換品

私はよくレプリカ品の購入で活用することがあります。 ここで言うレプリカ品とは、違法なコピーやスーパーコピー品などではなく、あくまで公式販売されているレプリカ品と思っていただければ幸いです。 例えば、スポーツのユニフォーム、観戦や応援用に着用するのであれば、選手支給品と同等の昨日は必要ありません。 中には選手と同様のものでなければ、という方もいるかもしれませんが、安価で洗濯の耐性があるレプリカモデルが同様のメーカーから販売されていれば、私はこちらを購入するようにしています。 また、互換品というものも世の中には存在します。 こちらは家電品などで多くある場合がありますが、高いメーカー性のモデルがやはりブランド力も信頼性もあるのかと思いますが、マイナーなメーカーが出す後発モデルの方が実は自身にとってよかったり、ということも過去にはありました。 この考え方は、ジェネリック医薬品のそれと似ているようにも感じます。 先発品が一般的なものが、成分や効能が同様で後発医薬品というだけで安価な医薬品を調剤薬局で選択することができます。 もちろん医薬品の場合、先発の医薬品が出てから、後発の医薬品が販売できるようになるまで、薬事法などの関係で一定期間は時間が必要となっていますが… 話を戻しますが、確かに本物を買い、利用するのはロマンがあり、格好のよい生き方だと思います。 しかし、公式なレプリカ品や、違法性のない互換品も、場面によっては利用価値の十分なものが世の中にはたくさんあると思っています。 本音を言えば、いかに節約して潤いのある人生を得るか、こんなときに活用できる品々の選択手段が増えればより良いのですがね。

【日常】エナジードリンクの活用方法

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エナジードリンクと言えば、「レッドブル」や「モンスターエナジー」など、スーパーやコンビニでも販売されているものを多くの方がイメージして間違えないものだと思います。 少しだけ頑張りたいときや、眠気覚ましなどの時に飲用する方が多いと思います。 私も多分に利用している方だと思いますが(私の場合どちらかといえば「モンエナ」派です)、上記以外の場面でも、結構飲む機会があります。 例をあげれば、以下のようなとき。 ・朝の寝起きが悪いとき ・単純に体力的に疲れているとき ・お酒を飲んだ後(あまり気持ち悪くならない気がします) このようなときは結構飲んでいる気がします。 逆に意識的に飲むのを避けるときもあります。 もちろん、寝る前に飲んでしまうと、カフェインのせいか、リラックスが切れて寝られなくなりますし、食事のときも、過去に食べ合わせ次第ではお腹を壊すこともありました。 あと、飲むときは基本、一日(24時間内で)に一本、多くても二本までと決めています。 逆にそれ以上は飲用した記憶がありません。 医薬品ではないのでしょうが、カフェイン効果でアドレナリン過多も怖いですし、実際に飲んだ後は脈の鼓動がドクドクと鳴りますし… また、海外では死亡例もあるとかないとか… いずれにせよ、エナジードリンクもうまく使えば、生活内での一助となることもあるのでは、と思う私なのでした。

【日常】最近のフリーランスの大変さと補償について

最近になって思うのですが、フリーランスやノマドワーカーが私の周囲でも増加傾向にあります。 当然ながら自分で仕事を取っていかねばならないので、しのぎを削るわけなのですが…この影響もあってか、一本の案件の単価が著しく下がってしまう場合があるのも事実です。 そもそもフリーランサーは個人事業主ですので、企業の会社員よりも、社会的な補償の面でも決して優れてはいません。 国民健康保険や国民年金という制度はありますが、大手企業の健康保険組合や厚生年金ほど手厚いわけではありませんし、これらと同等の水準を求めるならば、貯蓄が重要になってきます。 このあたり、会社員時代であれば給与からの天引きで計算されるので、さほど意識はしていませんでしたが、実際フリーランスに転向してみると、税金などで出ていくお金も以外に多いことにも初めて気づきます。 中には例外的に上手くやり繰りして投資に手を出している人もいますが、実際にうまくいっている人はほとんどいないです。 話を戻しますが、フリーランス案件の単価が下がっている問題について、日本の企業ってどうしてもエンジニアやクリエイターを安く使おうとする傾向があります。 これは開発会社や制作会社よりも、事業会社などであれば如実に現れます。 以前にも書いたかもしれませんが、事業会社はその事業には長けているのかもしれませんが、開発や制作に対しての評価が疎く、事業の根幹を支えているにも関わらず軽視している風潮があると思うのです。 私たちフリーランサーも少なからずこのような影響は受けていると思います。 でもこのような状況が続くと、とてもではありませんが経済が活性化するとは思えません。 お金の回るサイクルがなく、貯金はおろか、生活するのにギリギリの働き手も多いと言われているのですから。 そこに、投資を積極的にとか、老後に数千万円必要とか、もはや訳がわからない社会になってきているのでは?と思うのは私だけでしょうか。

【日常】採用広告の是正などについて

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昨年くらいから継続してこのようなコンサル案件が増えてきている気がします。 要は採用広告を出すものの、欲しがる人材が求人へ来ない、また募集要項が関係各所の機関から是正するように勧告を受けている…などです。 前者は若年層の採用を厚くしたいものの、求人へ来るのはいわゆる就職氷河期世代の人材が多いとのこと。 社会の流れを見れば、当然と言えば当然なのですが、企業としては年齢層が高ければ、それなりの給与を用意して、スキルの高い人材を欲しがります。 これが、一般の常識範囲ならば良いのですが、あまりにも高いスキルを要求してくるのに対して、就職氷河期世代の方々はそもそも割りを食う形で人生を歩んでいるので、そこにミスマッチが発生している問題があるのです。 つまりは、求人側と求職側の双方に教育の機会が丸々と抜け落ちているのです。 求人企業はある程度の年齢に達している人材には積極的な教育をしようとしません。 これに対して就職氷河期世代の方々はそもそも教育を受ける機会を逸しているのにです。 この問題は根深いと思うので、双方の意識というよりは、社会の仕組みや考え方が変わらないと解決しない問題だと思います。 後者については、未だに年齢や性別をあまりに差別的に指定している企業が多い点です。 先に述べた問題のように、少子高齢化にも関わらず、ある一定層の年齢を避ける求人内容。 業務内容は性別や年齢を問わないような内容なのに、明らかに若い女性のみを制限として唱っている求人内容の企業もありました。 また、昨今の働き方改革で、定時と時間外労働を明確に書く企業ならまだしも、残業時間が明らかに非常識に多く明記する企業や、定時に括弧書きで「この時間で帰宅する社員はいません」…なんて堂々と書いている求人企業までもありました。 何というか…非常識にも程があるというか、炎上でも狙っているのでしょうかね? もはやここまで来ると、是正のレベルを超えてしまっているので、私も然るべきところへ通報するしかないと思うのですが。 今回はコンサルというか仕事にもならないような一例でのご紹介となりましたが、企業の求人も、その時代と社会に合わせた適切な求人が行われることを願うばかりなのでした。

【精神疾患】今年初のセミナー

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標題のとおり、今年はじめての精神疾患関連のセミナーを見学してきました。 私が参加したセミナーは、主にハラスメントから精神疾患へ至ったケースの内容でした。 やはりというか…この時期の特徴として、退職関連でのハラスメントや、退職代行サービスの事例にもいくつか触れられていた講演を聞くことができました。 つまり、退職の相談をきっかけに、引き留めのハラスメントを受けるようになってしまい、精神疾患に至ってしまった結果、退職代行サービスを利用せざるをえない状況が増えてきているとのことでした。 昨日のブログで書いたような出来事がまさに、精神疾患にかかわる状況で起きているのです。 今は当然のようにニュースなどで報道されていることなのかもしれませんが、これは社会問題になり得ることが現在進行形で起きているのでは、という危機感から、2日連続でにたような内容からも、筆をとらせていただきました。 セミナーを聞き終わって、私はなぜ人が人を追い込む形で接しなければならないのか、改めて考えさせられました。 退職を止めたいのであれば、追い込む必要などなく、むしろ円満に話し合うべきことなのではないでしょうか。 追い込んで止めたとして、果たして今までの関係性で仕事ができるのでしょうか。 逆なことばかりしている人間があまりに多いように思います。 そこまで頭が回らず、その場しのぎで人間性を否定するような叱責をする人間ならば、ただの嫌がらせでしょう。 その会社にも、そのような人間にも関わる価値はありません。 一つ私が懸念するのは、このようなケースが増加傾向にあり、今後爆発的に増える可能性があるということです。 だからこそ、先に述べたとおり、社会的な問題として考えておく必要があるとの警鐘の意味も含めて今回は筆を置かせていただきます。

【日常】会社員による叛乱と逆襲

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年始が明け、仕事初めとなる今の時期、退職を考える、またはこれを実行している会社員が急増しているようです。 私自身、会社の様々なしがらみが嫌で企業の組織を外れた人間ですが、今回の話は私同様にフリーランスへの転向を奨めるような内容ではありません。 この時期に退職をして、新年度の4月から新たな道を目指そうとしているか方も数多くいるでしょうから。 まず、正月で家族や親戚と集まり、自身の今の会社人生を客観的に見れる機会が生まれます。 そんな中で、自身の置かれている状況をまざまざと見つけられるのです。 年齢も若く、自分より労働時間も短いのに、自身の方が給与が少ないとか… 兄弟、従兄弟の職場環境が素晴らしく恵まれている話を聞き、自身のパワハラやセクハラまがいに近い職場環境だと気づいてしまったり… と、改めてその場で思い知らされるのです。 また昨今ではこの時期の退職者は、新卒者よりも中堅やベテランの会社員、あるいは管理職クラスの幹部などの方々が多いようです。 同時に今噂の退職代行サービスもかきいれ時だとか、そうじゃないとか。 当然ながら会社側は留まるように説得することもあるでしょう。 時にはパワハラまがいの方法で。 だからこそ、退職代行サービスも繁盛するのではないでしょうか。 欧米の企業を見てみると、このような事例はほぼ無いと言ってもよいでしょう。 そのときの会社が気に入らなければ辞することは普通ですし、何より入社時の契約もしっかりと定める場合が多いので、引き留めなどの問題は皆無と言っても良いくらいです。 さて、問題を元に戻すと、会社員側からすれば、この年末年始を過ぎた時期であれば会社に大きな迷惑もないと思い、この時期の退職を選択しているそうです。 辞める側の社員がここまで気を遣っているのに、会社は引き留めや、人手が足りない…など、まずは職場を改善するという考えは日本の企業にはないでしょうか。 私は日本は世界的に見ても、古き良きを美徳として、あまり変化を好む人種ではないと思っています。 今このとき、この瞬間が、社会を変えていくべきではないでしょうか。 少々壮大なテーマで終わりとさせていただきますが、まずは現状が本当に正しいのか、日本の会社は問うて考えてみていただきたいと思います。

【過去】趣味を仕事にする人生と…もうひとつのif

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誰でも人生の進路を決めるのに迷った経験はあるのではないでしょうか? 高校生にもなると進路指導は当然のように出てくる話ですし… 私の場合も高校の頃に大きく二つの道、どちらを選ぶかで迷ったことがあります。 当時はWindowsやインターネットの対等で黎明期ではありましたが、デジタル、IT業界に興味があったので、情報処理関係の学部がある大学へ進学するか… あるいは趣味で続けていた料理の腕前も自負していたので、調理師関係の専門学校へ進学するかを、随分と長い間、迷っていた記憶があります。 当時の恩師に何度も相談して、時代の背景もあったのかもしれませんが、まずは大学、専門学校は大学進学後でも考えられるとのことで結局のところ、一浪はしたものの、情報処理学科のある大学に進学しました。 大学4年間の在学中に社会のIT関係は加速度的に進歩していきました。 しかしながら私は依然として、これらを仕事とすべきかの迷いはあったので、大学の卒業を控えても新卒での就職活動はせず、アルバイトでためたお金と親からの補助で1年間、Web関係の専門学校へ進むことにしたのです。 (結果的にこれが続き今に至るのですが…) 実は私、今でも料理人への憧れはあるのですが、結果的にこれでよかったのかなと府に落ちているところもあります。 今ではインターネットやWebというのは趣味や好き嫌いではなく、私にとっては仕事の主戦場と割り切って考えています。 普段使いで検索などすることはありますが、これにも上記と同様の考え方です。 一方、料理については趣味と思っていますし、胸を張って好きなことと言えます。 よく、好きなことや趣味を仕事としてしまうと、これらの想いが無くなるとか言いますが、確かにそうなのかもしれません。 嫌なこと苦手な部分も受け入れて仕事として考え、こなして行かなければならない壁に必ずと言ってよいほどブチ当たるからです。 私にとってのもうひとつの人生、ifは料理人。 でも第2、第3の人生でこれも実現してしまえばifではなくなるのでしょうか。

【過去】結局、会社は年長者のもの

会社員の方は新年会に参加される機会が多いこの季節。 私も会社員時代は、新年会に参加した経験がありますし、今となっては取材する機会もたまにあります。 忘年会などでも合わせて思うのですが、やはり日本の会社という組織は、どうしても年長者に傾倒している気がしてなりません。 ちなみに海外の企業はこの忘年会や新年会という風習というか考え方がないので、これを前提に考えてみました。 まず、このような会の食事のメニューや、お酒のメニューを頭に描いてみてください。 上司に合わせて忖度した内容となっていないでしょうか。 私の経験から言うと、これはあり得ることです。 極論から言うと、これらの会は上司を持上げてナンボな側面が見え隠れしてならないのです。 仕事であれば、上司について業務を進めるのは形としてあるかと思います。 しかしながら、これらの会は暗黙の了解で一応ながら業務外となっています。 欧米であれば同じく、ホームパーティーなどで会社の同僚とともにする機会もなくはないですが希で、上司部下の関係は皆無な完全な無礼講の場です。 そもそも日本企業の管理職とは、権限が大きすぎるから、このような場で盛り上げようという気流があるのかもしれません。 ご機嫌をとっておけば、人事異動に振り回されることもないですし…ね! 話は少しそれますが、私の会社員時代にとんでもない人事部長がいました。 せっかく現場の仕事を選んで入社してきた他部署の社員の中から、社内の人手不足という理由で、管理部門の経験のある中途社員を次々に自身の掌握する部門に人事異動させていました。 会社の存続という意味では、もしかしたら正解の一つなのかもしれませんが、当の社員からすれば急にモチベーションを変えなければならないので…当然ながら長続きする中途社員も少なかったです。 で、この人事部長も会社の創業当初からの古株で、社長をはじめ役員一同どうにも改善に手を出せなかったようです。 脱線してしまいましたが、いくら年功序列の制度が崩れたとはいっても、上記のような例はあるのです。 そして業務に差し支えなければ、古株の年長者は自身を守るためだけにこのような権力をふりかざせる可能性があるからこそ、いわゆる飲み会の場が、年長者を担ぎ上げる場になってしまうことがあるのです。 このような目に見えない利害や力関係

【日常】続・渋谷パルコ6F (画像のみ)

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またまた懲りずに…昨年に続いて、またまた渋谷パルコへ! (前回のリンクは こちら ) ・Nintendo TOKYO ・JUMP SHOP ・TOKYO PARADE goods&cafe (U-FES. FOOD PARADE) 何だかんだで正月から渋谷な日々なのでした…

【精神疾患】声を届ける使命と決意

このブログを初めて数ヶ月、精神疾患についてと、私の日常について様々なことを書き記してきましたが、現状の思いとして、社会はまだまだ精神疾患についての対応や理解が少ないと感じています。 これまで、私自身も講演会やワークショップに参加して、インターネットという場で仕事を置いているので、少なからず様々なメディアでの発信もあったのですが、ちょうど年の変わるタイミングですし、これからはこの精神疾患を理解してもらえるよう、自身も含め経験者や罹患者の声を届けるということにベクトルを向けていきたいと思います。 確かに、十数年前に比べれば、この数年で精神疾患というものは多くの方に認知され、治療や仕事での理解も一定は獲ているかもしれません。 しかしながら、どことなく一歩引いた対応や、障害者のような対応をとられている方もしばしばのようです。 もちろん、精神障害者という方は実際にいますし、今年もオリンピックに継ぎ、パラリンピックもあるので、多くの身体障害者の活躍のある年となるでしょう。 精神疾患も障害の一つと言えばそうなのでしょうが、カレラは普通に仕事もしますし、生活もしています。 また、これは精神疾患に限らず障害者の方々全般に言えることかと思いますが、彼らの考え方は独創性に満ち、創造性も一般の健常者を遥かに超えたものを持っているのではないでしょうか。 彼らはいわゆる普通の人生とは異なる経験をしているのであって、その影響もあるのですが、今後は治療薬やAI、サイバネティクスの発展によって彼らは一般の健常者を超えた人間となる時代もすぐそこまで来ています。 人間は元来、障害を持つものを変わり者、異形の者として排除してきた歴史的背景もあります。 ですから一般社会に生きる普通の健常者にはどうしても理解できない部分があるのだと思います。 私は誠に勝手ながら、今の立ち位置を精神疾患の方々と、一般の健常者の中間に位置する存在だと、少なからず思っています。 そしてインターネットという主戦場で仕事を置いているため、この両者の理解を埋めていく役目があるとも、勝手ながら思っています。 これが使命であり、可能な限りこのブログを書いていくことの決意として今回は筆をおかせていただこうと思います。 色々と上から目線での書き方で、かつ拙い文章で申し訳ありませんが、2020年、令和2年となる