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11月, 2019の投稿を表示しています

【精神疾患】季節による症状の変動

私が様々な話を聞くなかで、精神的に症状の辛くなる時期が年間で大きく分けて2回ほどあるようです。 一つはよく五月病と言われる主に春先、ゴールデンウィーク後の時期がよく言われる一般的な時期ではないでしょうか。 もう一つは今の時分、年末年始にかけての時期です。 私自身が罹患したのもこの年末年始の時期で、実際にこの時期は多くの方が内科的ではない体調を崩している場合があるそうです。 思い返してみると、日照時間が短くなり、会社も休みに入るため、生活、睡眠ともにリズムが崩れやすくなるのは確かです。 特に年末ともなれば、実はサービスのローンチ時期としても以外に多いこともあり、年末に燃焼してしまい、年始からは燃え尽きた状態で仕事を始めてしまうという方も少なからずいるようです。 また、心療内科のクリニックなども1~2月は予約がいっぱいで取りにくいということもありました。 (これは5月の連休後も同様ですが…) よく季節による精神疾患だと、寒さと鬱…と言うことも昨今では言われていますが、問題は寒さではなく、それを取り巻く周囲の環境からの体調を崩す要因だと思っています。 どうしても起床しづらい、どうしても通勤が苦痛でならない…などこの季節特有のものがあると思います。 この原因がわからず、内科を受診するものの、異常なし。 で、心療内科を受診すると精神的なストレスが認められる。 自身も発見はそのような流れからだったと思います。 メンタルクリニックは敷居が高いと思う方もいまだ多いと思いますが、薬による治療の前提だけではなく、思い当たる症状があればまずは相談だけ、でもよいと思います。

【精神疾患】テレビは見て良いの?

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よくワークショップなどで議題に挙がることなのですが、精神疾患の療養中、または休職中にテレビを見ても良いのかということでお悩みの家族の方が多い気がします。 私の場合は特定の番組は避けるべきだと思いますが、基本的に症状が重くなければ大丈夫だと答えるようにしています。 では、実際にどのような番組は避けるべきなのか…これは私の場合ですが、まずドキュメンタリー番組で、内容は成功例でも失敗例でも見るのを避けるようにしていました。 無駄に自身と重ね合わせて、気が沈んでしまうため、人の成功や失敗にか変わらず、精神的な安息がこれらを見ることによっては得られないと感じたため、今でもなるべく見ないようにしています。 また、バラエティーなどのお笑い番組を見るのも当初は気を付けていました。 回復期にあるときはむしろ見て笑いの感情を表に出した方が良いかと思うのですが、罹患したてのときにこのような番組を見てしまうと、気分の高揚で一時的に「躁」のような状態に入ってしまい、そこから気分が落ち込んだときのダメージが倍増してしまう可能性があったからです。 逆に見てもよいというか…普段通りにテレビをつけていて問題ない番組などは、アニメーションやSF映画などと考えます。 明らかに現実で起こり得ない内容なので、読書などと同じように頭の中で切り分けて見れるため、逆に諸々なことから気をそらすという意味では良かったのかもしれません。 これらとは別に困ったことはニュース報道です。 これはテレビ番組に限らず、インターネットなどでも自然と情報がこちら側に流れてきてしまうので、意識的に避けるのにも限界があります。 ご家族のいるかたであればある程度は意識的に避けられるように時間帯を注意できるかと思いますが、独り暮らしの方などは、そのときの気分や体調にかかわらず、スマートフォンから自然と入ってくる情報もあるので、苦労された方も多かったようです。 ただ、テレビもあくまで情報取得の手段のひとつです。 このように割りきって考えれば、不要な情報は得ずに、必要な情報を得るためのツールとしてうまく利用してほしいものです。

【精神疾患】自分に都合の悪いことは認めない人

これは精神疾患を患った側から見て、一番接してはならない、接するのを避けるべき人を差します。 精神的な悩みが大きい人は両極端な考え方、例えば大きくマイナス志向的な考え方をする人が多いかと思われますが、この種の自身に都合の悪い事を廃する考え方の人は、志向の領域が狭く、その人の過去や経験がこのようだったから、あなたはこうすべき…と決めつけられた考え方を強要しがちだからです。 私自身も、精神疾患の罹患時にそのような考え方の上司を持ったため、休職までの日々、選択肢の少ない状況でよく生き抜いていたと思います。 これら、治療を進めるにしたがって、こんな考え方もあった、そのような発見もあったなど、見識が広がった部分もありましたし、だからこそサラリーマンでいる会社員にそれまで以上の価値を見出せず、フリーランスに転向した経緯もあります。 上を目指すからこそ、普通の人が考えないようなことを… 常に最悪の事態を考えるからこそ、備えられる… これらを今では、以前より確実にできていると思います。 そしてこの感覚は会社などの組織の中に長くいればいるほど腐っていく感覚だとも思っています。 私はフリーランスとして特に何か大きな事も、偉業もまだまだ達成したわけではないですが、こういった自分の都合の悪い事を認めない人種にぶつかったことによって得られた経験値も、少しは糧にできていると思っているので、これらはワークショップや講演会の機会でも可能な限り様々な人にお話しするようにしています。

【過去】サッカーの根付いているドイツ

ドイツで一番メジャーなスポーツと聞くと、サッカーを思い浮かべる人も多いでしょう。 実際に現地の方に聞いてもサッカーと答える方は多いです。 私自身、幼少期はキャッチボールよりも、ドリブルやシュート練習が日々のスポーツでしたし(まず野球ボールやグローブが入手できない)、テレビで見るスポーツもサッカーの中継が多い環境でした。 ドイツといえばブンデスリーガでプロサッカーは有名ですが、私の住んでいたハンブルグ州には主に2つのチームがあり、ハンブルガーSVとザンクトパウリの両人気が記憶にあります。 ハンブルガーSVはブンデスリーガのトップリーグ歴も長く、由緒正しきサッカークラブという老若男女に応援されているイメージが強いです。 反面、ザンクトパウリは地域に根付いたクラブというか…トップリーグに今一定着できていない反面、熱狂的なファンが多く、アウトロー的なイメージもあるサッカークラブだと思います。 これら、何というか…日本のJリーグとかと比較してもやっぱり雰囲気がひと味違うのです。 サッカーという競技事態が社会的に高い位置にある競技というか、生活に根付いている側面があるというか…どうしても日本と比較すると、そう見えてしまうのです。 公園などでも地元の少年クラブの練習をしているのは日常風景ですし、ファッションで地元チームのユニフォームを着ているのも日常のように見ます。 日本も決してそうではないとは言いますが、日本の場合、野球の方が歴史は長いですし、ある年代以降はサッカーよりも野球が根付いているといっても過言ではないような気がします。 昨今でこそサッカー日本代表の試合などでは盛り上がりはありますが、ワールドカップの優勝まで、私の生きている間に叶えばとこそ思っていますが…1990年にドイツが優勝したとき、あの地にいた私としては、日本でもあんな経験はできるのかと、思いを巡らせてみた、今日この頃です。

【精神疾患】やる気のでないときと睡眠欲

私自身、精神疾患の罹患時にも、今でもときどき、全く何事にもやる気のでない瞬間というのがあります。 そもそも気持ちの問題というより、体が動かないといった方が近い症状かもしれません。 今の私の場合、フリーランスという立場なので、まだ融通が利いているものの、会社員時代であればこのような状態では続けるのは無理だったでしょう。 こんなとき、私は何もせずできるだけ寝てしまうようにしています。 昼であろうと夜であろうと関係なしに… 案外、一眠りすれば気持ちも少しは切り替わるものです。 かえって夜が寝れなくなる心配もありますが、夜は夜で必要なときには睡眠導入剤なども活用することもありますが、無理して寝れないときは起きていてテレビを見ていたり、読書をしたりすれば1日くらい寝れなくても何とかなるものです。 食欲と一緒で、食べたいときは食べて、食べたくないときは無理して食べない…睡眠欲も寝たいときに寝て、眠れないときには無理して眠ろうとしない、これって結構重要だったりします。 何かのやる気と言うものは生きている以上、特に何らかの仕事をしている人には必要なものです。 要はこれを何処で培って維持、発揮できるかなのですが、そのための睡眠も一因として大切な要素のひとつだと私は思っています。

【過去】冷遇される日本のIT環境

ズバリ、仕事で使用しているパソコンのスペックは足りていますか? 私の過去の経験上、会社で使用しているパソコンというのは動く最低限のスペックしかないものが非常に多いです。 例えば、メモリが4GBしかないのを倍の8GB~さらに快適な16GBにすれば仕事が快適になりますし、HDDをSSDに変えるだけでも長い目で見れば時短につながる可能性が大きいです。 しかしながら、会社でこれらを訴えても通ることはほとんどないのが現実でしょう。 これらを本来必要とするエンジニアやクリエイターは専門職で、管理職のような決裁権を持ちません。 で、上記のようなことを管理職へ訴えても、管理側は必要なの可否を評価できないので、快適な環境よりもコストを重視して数万円の出費を抑えることを考えている…ということが多いのではないでしょうか。 だからこそ、私も会社員を辞めてフリーランサーの道を選択した一因でもあります。 必要なPCスペックを自身で選択して、仕事を進められますから! 話は少し変わりますが、先ほど専門職のエンジニアやクリエイターについて、日本においては彼らの仕事というのは非常に評価が低いように思います。 世界的に見て、給与水準がIT後進国となってきてしまっているのは周知されつつある事実ですが、これも正しく評価できる人材が育っていない、もしくはこの育成を蔑ろにしてきた結果だとも思います。 最近、Yahoo!JapanとLINE社の経営統合の話題が出てきまして、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)に対抗できると報道で語っていた気がしますが…私は上記の理由から無理だと思います。 日本はIT貧困国なのです。 エンジニアやクリエイターの評価は右肩下がりなのです。 では彼等の年収水準を国際的な水準に合わせればGAFAと対等に戦えるのか…恐らくそれでも無理でしょう。 本稿で述べている通り、そもそもIT環境に対しての考え方が国際的に見てあまりに違いすぎるからです。 ここまでにしてきてしまった日本社会にも罪はあると思いますし、声を挙げてこなかった我々にも罪はあると思います。 ここまで少々辛辣に述べてきましたが、これらの事実、現実に気付いていない人もまた多いと思います。 まずは日本の…我が国

【日常】ゲーミングスマホ…という分野で悩んでみた

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昨今ではスマートフォンでもゲーミングPCのようにゲーミング化が進んできており、「ゲーミングスマホ」なるものが次々にリリースされてきています。 スマートフォンとしてのスペックも高いため、ゲームに特化しているばかりではなく、普段使いの場面でもカメラなどにこだわりがなければ、そこそこ優秀なようで…私も気になっているゲーミングスマホをいくつか以下に列挙したいと思います。 ・ROG Phone 2 (ASUS)  基本はRAM:12GB、ROM:512GBのモデルのようですが、ROM:1TBのモデルも用意されているようで、多数のゲームアプリをインストールされる方でもストレージの不足を気にする必要はまず無いと思います。 また、バッテリーも6,000mAhと圧倒的な容量です。 前モデルと同様で、周辺機器も充実しており、コントローラーだけでなく、外付けの冷却ファンや、2画面でゲームをプレイできる周辺機器も健在です。 こちらの機種が現時点で一番新しいゲーミングスマホなので、今の時点で最強のゲーミングスマホなのかもしれません。 ※ Amazonへのリンクはこちら ・Blackshark 2 (Xiaomi) こちらはRAM:12GB、ROM:256GBのスペックを展開しているのですが、廉価版としてRAM:6GB、ROM:128GBのモデルが存在し、その分、本体価格が抑えられているのが特徴です。 また、好みは分かれるかもしれませんが、画面上での指紋認証機能を実現しています。 このメーカーのXiaomiは日本への進出もあるようで今後の展開も合わせて気になるとことです。 ※ Amazonへのリンクはこちら ・Red Magic 3S (NUBIA) こちらもRAM:12GB、ROM:256GBを基本スペックとして、特に冷却系にこだわりがあり、こちらは冷却ファンを内蔵している点が特徴的です。 コストパフォーマンスも素晴らしく、上記の機種と比較して、値段のわりに高いベンチマークの数値を叩き出す性能も持ち合わせているようです。 また、上記の2機種と異なり、カメラは単眼レンズで、日本の技適マークの対象ではない点も注意が必要かもしれません。 ※ Amazonへのリンクはこちら …私が現時点で購入を迷うところの3機種をご紹介させていただきま

【日常】確率の集約?

いきなりになりますが、宝くじは買い続ければ当たるのでしょうか。 今回は確率の集約とはあるのか、少し考えてみたいと思います。 例えば確率が1/5の場合、単純に5つの中に1つ当たりがあり、これを1回で引き当てる確率は20%となります。 しかしながら、これを5回引けばその内の1回は引き当てられると言う人がいます。 私は、論理的には前者が正解で、後者は不確実性を含むので確率の集約という考え方なのか?…と思っています。 宝くじを買うという行為だけではなく、他にもギャンブルのパチンコやパチスロなど、やり続ければ当たる的な考え方も多いようなのですが、当たる人は一回…とまでは言いませんが、少ない投資で当てる人もいます。 (今回は台の設定などは考えずです) 最初の話に戻りますが、宝くじなども確率を考えると、まずあり得ませんが、全てを買い占めれば当選するでしょう。 ですが確率はあくまで確率なので買い続ければいつかは当たる的な思考は、確率の集約があるだろうといった考えに基づくものに過ぎないこととなります。 もちろん、私自身もこういったくじ的なものに臨むときは一定の期待はしますし、少しでも当選に近づくため、口数を多く購入することもあります。 でもこれも当選確率に対しての確率の集約的な考えのためなので、当選するときはしますし、しないときはしない…だけのことです。 まあ今回は文系的思考の極みだと思いますので、ご容赦いただければ幸いです。

【日常】時代の波に乗れない会社

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会社員の方々からたまに耳にする話があります。 ある会社は、基幹のシステムを古いOSで構築しており、長年これを改編して使用しているため、切り替えられないとか。 また、ある店舗経営をしている企業は、このご時世のキャッシュレスの流れに乗らず、日本はまだ現金主義だと信じて対応しない方針を打ち出しているのだとか。 どちらのケースも、最新の設備を導入するとなると数百万~数千万、場合によっては億単位の改修費用がかかることも想定されるので、わからなくはないのですが、それぞれの企業のトップにこれらの話をぶつけるとそろって口をつぐむ傾向があります。 共に考え方は同じようで、顧客側ではなく、どうやらあくまで会社としての利便性を中心に考えているようです。 確かに今は上手くいっているなかで、急に古くなったからとか、国策での流れがそうなったから、というだけでは設備に数億円を軽く出すというのは難しい部分もあるかもしれませんが、先々を見た場合、いつかは必ず必要なときがやって来ます。 これらを今やるか、先延ばしにするか、これが時代の流れに乗れる経営者の資質の一つではないでしょうか。 企業でまず先を読んで行動できるのは、一社員ではなく、経営陣の役目だと、少なくとも私はそう思います。 企業は自社を本意で考えるのではなく、時代の流れ時流と市場社会にいる顧客の流れを読み、的確な対応をすることが一番に求められているのではないでしょうか。

【過去】始業風景を取材した企業の文化

私は企業コンサルのうえで、直接その企業の就業風景を取材することも時にはあります。 今回はとある企業の始業風景を取材してそのときに出た肯定的な意見、否定的な意見の二つをヒアリングしてコンサルした経験をお話ししたいと思います。 その取材した企業については、特徴として始業時に二つのことをしていました。 ひとつは朝の10分間のオフィスの清掃と、朝礼での指針の唱和でした。 しかしながら、このそれぞれに社員からは肯定的な意見と否定的な意見が出ていました。 まずは以下、 ・朝の清掃に肯定的な意見 オフィスを大切に扱う、これから皆で仕事を始めるとの切り替えがうまくできる、などの意見がありました。 ・朝の清掃に否定的な意見 一刻も早く業務に入りたいため清掃に使う時間がもったいない、ビル清掃も入っているのでその方たちの仕事を奪っている、などの意見がありました。 また、朝礼に関しては、 ・指針の唱和に肯定的な意見 お客様相手の仕事のため重要、法令遵守など業務にか変わる指針のために必要、などの意見がありました。 ・指針の唱和に否定的な意見 社長の講話だけでも十分な朝礼、今の時代に錯誤しており宗教的な唱和は必要ない、などの意見がありました。 …この辺り、世代間での意見の相違や、全くバックグラウンドの異なるところから転職してきた方々には違和感のある企業文化と思う方が多かったようです。 また、代々の社長からの慣習的なと頃もあったようなので、このときは人事部長の方とも話す機会があったのですが、やはり今のご時世で見直す必要のある部分はあるとの認識だったようです。 このときの私の役目は、ありのままの取材記事をコンサル方へ事実として書き示すだけだったので、その後どうなったかは分かりませんが… 朝礼をひとつとっても企業の文化ではあるものの、時代と共に見直すべき部分は見直した方がよい場合が多いのかもしれません。

【日常】朝は風呂とプロテインとお茶

私の朝のルーティーンなのですが、まずは熱い めの風呂に入って目を覚まし、朝食代わりにプロテインのドリンクと、ペットボトルのお茶を飲む機会が多い昨今の日常です。 風呂はもちろん寝る前にも入るのですが、こちらは頭の洗髪や体を洗うのが中心で、これに加えて、朝は残り湯を沸かし直して、単純に熱めのシャワーと、入浴剤を入れての入浴で一旦目を覚ますために入り直すことがあります。 無論、体調や仕事の時間の都合でどちらかになることもありますが、この時間はかなり優先的に取るようにしています。 次に朝食ですが、サラリーマン時代は時間的になかなか時間をとることができず、何年にもわたってまともな朝食を実家や旅行など以外でとることがなかったため、その延長線上でもある今では、何とかプロテイン入りのドリンクやゼリーだけでも取るようにして、これで済ませています。 あと、水分補給の代わりに季節を問わず、ペットボトルのお茶を一本、飲むようにしています。 冬場は時にお湯を沸かして急須でお茶を入れることもありますが、ほとんどはペットボトルの緑茶かほうじ茶か玄米茶がお決まりのパターンです。 以前に水は日頃から良く飲むという話は書きましたが、日中がそんな状態なので、朝はお茶がルーティーンです。 これら朝の生活パターンで、あくまで私の場合ですが、会社員でいた時代よりは確実に体調というか1日のバロメーターの始まりが良くなった気がしますし、悪い意味で時間に終われるという感覚がなくなりました。 この数日は寒くなって来ていることから、今期も布団から出にくい季節ではありますが、このルーティーンを初めて2~3年、フリーランサーの1日の始まりとして今回はご紹介させていただきました。

【過去】よい指導者にめぐまれれ組織ば伸びる?

会社でもよい上司、よい社長にめぐまれれば、組織は成長し、個々人も伸びて行くと思います。 その流れが次の後輩へと引き継がれて行く事が理想でしょう。 多くの組織ではそうなのですが、新規の事業を開拓する企業はそうも言ってられないのが現実です。 正解は市場や社会へ出てみないとわからないため、手探りで仕事を進める場合もあります。 そんな中でもよい指導者というのは、責任を全うして、属人的な仕事をしない、させない事が組織への貢献と言えないではないでしょうか。 過去にとある企業を取材したときの話になりますが、この会社は新興的な事業を展開していたものの、とあるきっかけで、社長が交代することとなりました。 それまで、完全な成果主義で、社内の給与差も大きく、人件費や、大きな広告費の展開で赤字ではなかったものの、かなり銀行からの借り入れが膨らんでいる状態でした。 新社長の体制は、あまりにも差のあった給与格差の是正、過剰な広告を抑えて、キャッシュによる内部留保などを断行しました。 これは当然ながら、給与の昇給があった社員もいれば、額面上で半分くらいにもなる社員なども出てきてしまいました。 また、内部留保を蓄えるようにしたため、業績面では数字上の健全化されてきた部分もあったようです。 しかしながらこの会社…社員の半分ほどは新しい人材に入れ替わってしまったようです。 当然ながら、収入面で不満のあった方もいるようでしたが、内部留保という考え方に不満を持った社員が多かったと聞きます。 確かに企業はバブル崩壊やリーマンショックの影響から、ある程度の内部留保を心配する会社が多いのは事実です。 しかしこれを過剰に経営で意識すれば、一見数字上は会社が健全化しているようでも、お金の流れ、回りは悪くなる部分もあります。 この会社では新卒、中途どちらの新入社員も給与面を見直し、この社長になって以降の採用は、それ以前よりも水準の低いものとなってしまったようです。 上記は、経営者としてのとある社長の一面ですが、これがよい立場の指導者といえたかは、人によって評価が別れることでしょう。 しかしこのように、指導者が変われば、組織が大きく変わることは現代社会では多分にあります。 そしてそれが自身にとって良い環境かどうか、離れてみるのも一つの手段だと思います。 今回紹介した取材事例は

【精神疾患】向精神薬と抗精神薬

私は医学的な専門家ではないですが、講演会や記事ライティングの中で、標題の件を使い分けて表現しています。 もちろん、これらの言葉に縁の無い方々への啓発としても一度ご説明させていただければ幸いです。 あくまで私の理解ですが、広義での意味ではどちらも向精神薬の部類に入るかと思います。 狭義的な意味では、向精神薬は興奮や幻覚などに作用する麻薬的な違法薬物、抗精神薬は精神疾患の治療で利用される鎮静や抗不安の効能がある薬品と考えています。 私自身は誤解のないよう、「抗不安薬」と記述する場合が専ら多く、恐らくその方が他者への誤解のない理解があるからだと思っているからです。 これら薬品に対する考え方は、まだ一般的にはマイナスなイメージが強いのが現状だと思います。 抗精神薬は、ドラッグストアで気軽に買える市販薬ではなく、処方箋を必要とする薬であるため、敷居の高い薬品であるのは確かです。 その上で、向精神薬とカナ読みは一緒のため、混同している方も少なからずはいることでしょう。 そして共に精神に作用するという意味合いから、精神疾患に縁の無い方からすれば、自と嫌悪感があるのかもしれません。 最初に広義では全て向精神薬の部類に入ると書きましたが、日本ではこれらは明確に分類されています。 ですので、これらの線引きが変わることは法律上、まず無いのですが、外国などでは医療用大麻などの研究や問題もあります。 では、日本においてはなぜこれほどまでに向精神薬と抗精神薬の線引きが明確と言えるのか…日本ではまず研究用の向精神薬も法的に利用ができないようになっているからです。 裏を返せばこれが新薬の開発等に影響しているのかもしれませんが、明確に「向精神薬はダメ」と啓発できている効果はあると思います。 また、最近ではアルコールやニコチンの依存度よりも向精神薬の方が依存度が低い何て意見もありますが、精神疾患の経験がある私たちの立場からすれば、今後も向精神薬と抗精神薬は明確に分けて考えていただきたいと望むばかりです。

【過去】責任を持たない社長

私が様々な企業を見てきた中で、最もダメな社長の特徴として責任能力を持たない社長のいる会社がいくつかありました。 この類いの社長の特徴としては、いくつかのパターンがあります。 以下にいくつか列挙します。 ・そもそも社員一人一人に責任を重くおいている ・先代社長の妻や子で、親族というだけで社長を継ぎ、全く社長の器ではない ・パワハラに近い激を飛ばす一方で、本人は本業以外に勤しんでいる ・代表取締役社長の肩書きなのに、会長などの役職者の傀儡となっている ・会議ばかりをやりたがるが、周囲は全てイエスマン …など、挙げればキリがないのですが、過激な言い方をすれば全て阿呆な社長です。 話を責任能力に戻すと、確かに業務遂行の責任は各社員の裁量にもよるかと思いますが、会社の利益に対しての責任は、代表取締役である社長そのものの責任です。 この責任を守るために必死すぎる社長もまた問題があるかと思いますが、少なくとも株主を納得させるだけの責任を全うさせるのが本来の社長業だと私は思っています。 であるからこそ、社長の周囲はイエスマンで固めてはならないと思いますし、ワンマン経営を避けるためにも、社長の短所をつつけるくらいの経営陣で固めるべきだと私は思います。 まあ私自身、会社を起こす気も、ましてや社長になる野望もないので…今回はただのぼやきというか、遠吠えくらいに思っていただけるとありがたいです。

【過去】相談できる職場作り

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私の企業コンサルティン後の中であったお話です。 その会社は比較的規模のある会社で成長企業の中に入る部類の会社だと思います。 問題としてあったのは、社員一人一人に対しての業務量の多さ…その上で残業をほとんど許可しないとのことでした。 そのため、社員同士のコミュニケーションが乏しい環境となってしまっていたようです。 私は直感や経験則から、すぐに管理職の日々の稼働状況をヒアリングしました。 管理職となる上司も業務量が大きく、管理機能が非常に低いような状況でした。 私は下記のような例を挙げて、改善を提案した経験があります。 以下、例を挙げます。 ・上司のもとに、お客様から問い合わせがメールでありました。  ↓ ・上司は中途採用の新人の部下にそのメールをプリントアウトし、返信を任せるとだけ言い、自席に不在の状態となりました。  ↓ ・その部下は周囲にどう返すか相談しようとしましたが、繁忙期により明らかに周囲も忙しくしていたため、自身の経験則と一般論を書き可能な限り丁寧な内容で書き上げ、上司にも確認を取ろうと思いましたが、終日自席に不在だったため、これをお客様にメールを返しました。  ↓ ・後日、再度上司へそのお客様より問い合わせがあり、更に知りたい部分がある、納得のいかない部分があった旨の内容が記載されていました。  ↓ ・上司はなぜ返信前に正しいかどうかの確認をとらなかったのか憤慨し、部下は最初に適切な指示を受けておらず、不在で確認も取れなかった…と対立してしまいました。 …上記の問題点はいくつかあるとは思います。 まず、部下に特に新人へ仕事を振るならば、もう少し丁寧な対応が求められるでしょう。 プリント1枚渡して、ハイお願いではいわゆる「丸投げ」です。 部下の行動、言論の一つ一つに責任を取れる覚悟があって初めて上司と言えるのではないでしょうか。 また、こういった上司は往々にして自席にいないことが多いです。 自身もプレイヤーとして動いてしまっているため、肝心の管理の部分が抜け落ちてしまうのも否めないでしょう。 上記の場合の部下も可哀相な立場です。 繁忙期に入社して、周囲となかなかコミュニケーションが取れる状態ではなかった…であればこれを見越して入社時期をずらすとか、例え忙しくても一人メンターとなる先輩社員を付けて

【日常】Webは結果がすぐに出るもの?

私がWebのコンサルで企業のマーケティング担当や広告担当の方からよく耳にするのは、「Webはすぐに結果が出るから…」というのを度々聞くことがあります。 これは私の思うところですが、半分は正解ですが、半分は不正解です。 正解の部分は前提条件として以下の二点がある場合のみです。 ①そのWebを集客として使用している場合のみ ②Webのバックボーンも含めて定期的なリニューアルのできる予算と人材のリソースが潤沢にある場合のみ 以上の2点がないと、Webですぐに結果を出すということはできないと思っています。 (ちなみに私はあまり上記の類の依頼は仕事としては受けません) 不正解と言った残りの半分は、私の仕事として、最低でも2年くらいをかける必要があると思っている部分です。 サービスを展開しているWebとは異なり、コーポレートWebなどの案件が多いのですが、Webを展開してから最初の1年目はまずは狙った検索クエリ、キーワードでの検索の順位を可能な限り上位で安定させることを繰返し、ひたすら狙います。 その間、定期的な状況は顧客企業と共有しますが、月次レポートなどは出しません。 業種により必ずと言って良いほど繁忙期と閑散期があり、月単位ではアクセス状況の季節変動が出てくるからです。 で、いよいよ2年目からはSNS等も活用した施策なども取り入れていくわけです。 この時点でSEOに詳しい方ならば気づく点があるかと思いますが、既にリンク施策などに頼ったWebにはなっていないので、Googleの検索アップデートが起こったとしても大きな軸はぶれないので、多少の検索順位の変動はあったとしても、余計なSEO施策に奔走することはない状態となっている場合が多いです。 …これが今々、私が導いているWebコンサルティング論みたいなものです。 無論、異論のある方々もいることでしょうし、正解ではない部分もあるでしょう。 そもそもスピード勝負の急成長企業にはなかなか通じない方法だとも痛感している部分もありますし… 正直、Webには正解がないとも思っています。 日々動くものですし、検索する側からすれば検索結果に解決する答えがない限りは意味のないもの、かつ人によって得たい答えが違ってくるからです。

【日常】仕事が途切れたときの過ごし方

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私はフリーランサーとして活動している以上、仕事の途切れるときというものがあります。 当然ながら収入も途切れてしまうため、節制した生活に入るのですが、情報収集だけは欠かさないようにしています。 例えば、自身以外のブログ記事から情報を収集したり、Youtube等の動画サイトでバズっているものを見たり、また物事を客観的に見れる時間と機会だと思っていますので、その中での気づきなども多くあります。 私自身、このように記事を書くことは苦にならないため、このブログでは好き勝手な意見を書いていることが多いのですが、ここからの発見や、仕事に活かせることも以外に多かったりします。 また、今ではクラウドで仕事の受注、発注できるサイトもあるため、時にはこういう種のサイトに頼ることもしばしばです。 時には計画的に仕事を空けるスケジュールを組んで旅行へ…なんてことも年に1回くらいはあるのも事実です。 私はこういった期間を旅行や、極端な話で完全な休みに当ててしまうのも良いと思っている肯定派です。 その間に何かしらのアイデアが思い付けば、次に活かせますし、ノートなどに書き貯めても良いと思います。 要は仕事の空きができたとしても、その時間をどう扱うかによって変わってくるということだけは自身でも押さえておきたいポイントだと思っています。

【日常】採用活動が下手な企業

昨今、人手が足りないと耳にして、企業の採用関係のコンサルにまわる機会があります。 多くの方は、転職の入り口として、転職サイトや企業の採用ページをまずご覧になる機会が多いのではないでしょうか。 今回はそういった場面でのキャッチコピーや会社の説明で下手をうった事例をよくあるものを中心にいくつか紹介したいと思います。 ・「アットホームな企業です」 ⇒よくあるキャッチコピーだと思いますが、会社にドライな関係性を求める方には、この時点でフィルターにかけられ敬遠されます。 ・「少数精鋭です」 ⇒これは、既に仕事が回っていない、もしくは予算をかけられない部署の募集であると誤ったイメージが先行してしまう場合があります。 (もちろん実際にそのような部署の募集である場合もあるので注意が必要です) ・「定期的な飲み会で懇親を図っています」 ⇒一昔前は多く見られたキャッチコピーですが…そもそもお酒が得意でない方からは敬遠されますし、飲み会イコール費用を割り勘で徴収される場合が多いので、月々にこれらの出費が…と考えるとマイナスなイメージが否めません。 ・「福利厚生で毎年の社員旅行を実施」 ⇒これも上記の例と同じで、会社とドライな関係性を保ちたい人にはマイナス訴求で、実際に福利厚生費用として、この社員旅行費用を給与から天引きで積み立てる企業もあるので注意が必要です。 ・「チームで仕事を進めて結果を出せます」 ⇒これは逆を返すと、個の評価がされづらい企業と映ってしまいます。 また、こういった企業はチームリーダの都合でスケジューリングが左右されやすい場合が多いので、できれば事前に残業や休日出勤の有無も合わせて調べておいた方がよいでしょう。 ・「業務のための学習であれば支援を惜しみません」 ⇒これもよくあるキャッチコピーですが、実際には就業時間後の勉強会の実施や、そもそもこのキャッチコピーで実績を記載していない会社は、このような暇もないほど忙しく回っている職場であることもあります。 …とまあ、私の見てきた事例に加えて、主観も少々入っていますが、企業は人を集めようと必死な反面、そのアピールや見せ方が下手な場合が多いです。 転職者の方々は、ミスマッチを避けるためにも、よく調べて、応募後も連絡の仕方や手段を見て、その企業の本質を理解してからの転職をしてい

【過去】親との意見の相違

誰しもが一度は経験したことと思われます。 私も学生時代や私の反抗期には特に父親との衝突はありましたし、二人きりで徹底的に話し合った経験もあります。 私も社会人になり独立して、父も孫ができた影響もあってか、少しは物腰の柔らかい人間になりましたが、実は今でも考え方の違いによる衝突はたまにあります。 まず私の場合、性格による違いが一つの大きな要因です。 私は神経質で物事を論理的に話す一方、私の親の世代は、悪く言えばガサツというか、デリカシー的な考えや話し方をあまり持たない気がしてます。 私はたとえ親からぶっきらぼうな言い方をされても、可能な限り冷静に、時にはわざと敬語で話を返すこともあります。 また、親が不満であろう点として、私が会社員ではなくフリーランスとして仕事を動いている点があるのかもしれません。 親の世代であれば20~30年、会社で勤めあげるのは当然だったのかもしれませんが、私自身、4~5回の転職歴で3年以上勤めた会社は1社だけですし、その後サラリーマンをドロップアウトしたわけですが…恐らくもう会社員として働くことはないでしょう。 当然ながら安定した働き方ではないですし、貯金との縁も昔よりほど遠く、世間で言われている老後に2,000万円の貯蓄が必要…なんてまるで意識できていない日々です。 話は少しズレましたが、これは時代の流れというか、潮流なのでジェネレーションギャップとして仕方ないことと半分くらいは思っていますが… ここまでだと、親との衝突とネガティブな話が続いていましたが、逆に自身が主導権を握っているというか…親から頼られている部分もあります。 実家に帰っているときはパソコンやスマートフォン等のIT機器関連のことはすべて私の主導で購入したり、設定したりしていますし、理解していないことは理解できるまで説明したりしています。 (時には同じことを聞かれることもあるので、本当に理解しているかは不明ですが) ここまで述べてきましたが無論、私にも親に対しては育ててもらった、様々な場面で助けてもらった…という一定の感謝や尊敬の念がありますが、時代と共に環境の変わるなかで、少しは私の話も尊重して欲しいという場面がある、といったのが今回のお話の総括です。

【精神疾患】話し方が苦手な方

私の仕事の中で精神疾患関連の講演会に携わることがあるのですが、お話しいただく方の中には、話し方に苦手意識のある方が少なからずいます。 もちろん、舌の疾患などの後遺症で話し方に難のある方もいるかと思いますが、今回は話し方がどもってしまったり、震えるような声で話す方などにスポットライトを当ててみたいと思います。 講演会と言えば、その分野に知識の深い方や、識者の方の講演も多いですが、患者の方や、疾患の経験者の方々の講演も決して少なくなりません。 で、その中には先に述べたような言葉での伝え方が難しいとしている方々も多くします。 では、なぜそのような方々も大なり小なりの講演という場で登壇するのでしょうか。 答えは至極単純で、彼ら彼女らにも伝えたいこと、意思があるからです。 話のうまい人は、人を引き込み感化される人も多いと思います。 しかし、たとえうまく話せなくても、たとえ言葉足らずな話し方だったとしても、その話し手の確固たる伝えたい意思があれば、案外最低限でも伝えたいことは伝わり、共感してくれる人も多いです。 私もこれらの場面を目の当たりにして、いくつも感化された話や、共感した話を覚えています。 疾患を経験したことがある、または今でも患者として戦っている…これらの人々も声をあげたいことはあります。 話し方に苦手な意識があっても、声の抑揚や、ちょっとした動作で経験したリアルな状況が伝わる場合もあるのです。 私自身も緊張して話下手になる方の人間なので、こういう経験も今でも非常に勉強の場となっています。

【日常】尊敬しあえる職場と人事評価

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よく雰囲気のよい職場、同僚が尊敬しあっている…などをアピールしている企業があります。 社長やある特定の上司を崇めている、といった例は今回は論外としますが、例として多いのは、営業成績が伸びれば皆で祝うなどがあるようですが、私は否定しませんが、昨今では何かちょっと違うと違和感を覚えます。 上記の例で言えば、営業成績を挙げた社員は尊敬されるかもしれませんが、そうではなかった社員はどのような気持ちを持つでしょうか。 話は少しそれますが、人事評価でのとある出来事の話をします。 ・Aさんは新しい仕事を多数覚え、比較的成長の見られる1年でした。 ・Bさんは仕事をそつなくこなし、ミスもなかったのですが成長に伸び悩んだ1年でした。 (Aさん、Bさんは同部署で同じ職位です) 上記の場合、上司の評価のつけ方として以下の2パターンがあるとします。 ①Aさんを基準で評価した場合、Bさんの評価は当然ながら下げられてしまいます。 ②Bさんを基準とした場合、Aさんには優秀な評価が与えられます。 穿った見方をすると、上司の評価として①を選択した場合、Bさんには納得のいかない部分が出て、Bさんはその職場を離れることを考え出すかもしれません。 一方で②の評価をした場合、Aさんは評価を認められたと実感して、Bさんは今よりもっと成長しようと奮起するかもしれません。 無論、企業である以上、売上げなどにより賞与の原資も変わってくるので①②それぞれの考え方があります。 また、多くの企業では部署ごとに貢献具合で部署に賞与の原資を分配して、社員の評価ごとに給与に反映するところもあるのではないでしょうか。 昔の学校などでは相対評価があり通信簿で誰が5で、誰が1にしなければならない…などがあったようですが、企業はそうではありません。 にもかかわらず、相対評価的な考え方で評価する上司がいる場合、上記の例での①が続く負の連鎖が発生することが多いのではないかと思えます。 話を戻しますが、営業成績のよい社員が尊敬される…とする企業はこれが当たり前のように見える反面、苦汁を飲んでいる社員がいるかもしれない社員が裏には隠れている可能性も孕んでいます。 上司も人間だから仕方ないとは言いますが、私は一局面での尊敬という雰囲気のある職場にはこのような危機感を覚えてしまいます。

【日常】利権がからむとロクなことりならない

日々の仕事をすることによって、様々な業界に触れる機会があるかと思います。 その中で、業界特有のルールやしきたりを定めている◯◯協会というものが時々散見されます。 この◯◯協会が定めているルールが時に厄介で、私などのコンサルティングの仕事をする者に足枷となる場合があります。 これらのルールは「昔からのものだから…」とか「この協会では一律に決まっているから…」という理由で、法的な拘束力のない決まり事も多いような気がします。 私自身、一つの文章を書き上げるにあたっても、「その表現はちょっと…」となぜだかわからない理由での書き直しなどを経験したことが過去にありました。 一定のルールや決まり事はどの業界でも仕事の上で大切なことだとは思います。 しかしながら、明らかに時代に錯誤したものは私は意味のないものだと考えます。 その決まり、◯◯協会のルールを通さないと世に出せない…とはよく言われたことですが、結局は◯◯協会の利権があり、これに従わないと仕事をさせないぞ…と言われているような気がして仕方がないのです。 それらの協会が、何らかの利権を経て、特定の業界を牛耳っている…(この利権で生活している人間もいるでしょうからそれは否定しません)それだけならまだしも、これに従わないものは世に芽が出ない…この構図だけは止めていただきたいと強く思います。

【日常】血液クレンジングについての話題

昨今「血液クレンジング」というものが話題としてよく耳にする機会があります。 要は自身の血液を一旦抜き出し、オゾンを加えたものを再び体内の戻すという点滴治療だそうです。 私のすむ町の医院にも数年前からこれを行っているところがあり、私自身も耳にする機会がありました。 しかしながら最近、この血液クレンジングにネガティブな話題もあります。 まず、この治療に効果があるという科学的エビデンスがないということ…今までは美容や健康に効果がある可能性がある、とのことで上記の医院も唱っていましたが、医学的には効果も確認できなければ、害も確認できないとの話を聞いたことがあります。 (人によりプラシーボ的な効果はあるのかもしれませんが…) 更にこの治療は自由診療になるので保険が適用されず、1回に数万円の治療費がかかり、複数回行わなければ効果が出ないと唱っている点です。 整形手術やエステと一緒で体のメンテナンスを考えるならば、この続けての負担が発生しているのは国としても最近になって問題視しているようです。 では、なぜ効果があるかわからないものに、高額の費用をかけて臨む人が多いのでしょうか。 もしかしたらこれらは、将来的に何らかの効果が証明され、とある疾患に対しての治療法として確立されるかもしれません。 現に世の中にはそういった効果を唱う薬品もあるとのことです。 しかしこの血液クレンジングは点滴という手法を用いた医療行為です。 治療の効果以前に、点滴針などでの感染症の可能性もありますし、先にも述べたオゾンの血液への作用もエビデンスがない状態では問題視されるのは当然と言えば当然です。 日本人はよく、皆がしていることが正義で正解という思考に陥りがちです。 私自身、今回取り上げた血液クレンジングを肯定する気も、否定する気もありませんが、この治療を受けた人が良いと言ったからそれが正解なのではなくて、要は自身にそれが必要なのか、自分はどう思うかを常に意識して選択できる日本人になってほしい、と今回は思いました。

【精神疾患】買い物依存症という人

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始めに述べておきますと、「買い物依存症」という疾患は正式にはありません。 では、世間的になぜこの言葉が使われるようになってきたのでしょうか。 人間には少なからず物欲というものがあります。 例えば身に付ける衣服のブランドや、仕事や日常生活を機能的にするための電化製品、コレクターの方々には収集するコレクション品など、挙げればきりがありません。 これらの買い物を計画的に行う場合は問題ないのですが、ストレスの解消のためや、欲しいものは借金してでも集めたいと思っている方も多くいます。 この後者に該当する人を「買い物依存症」と定義されているようです。 借金してでも~と述べましたが、これはギャンブルなどにも言えることで、精神疾患で外来として治療知る人も中にはいるようです。 また、昨今の買い物環境の変化も要因のひとつにあります。 ネットショッピングなどでは、早ければ次の日、極端に言えば注文した当日中にも買ったものを入手することができる場合があります。 過去にワークショップなどで聞いた中には年に約400回ネットショッピングでの注文をしているという人がいました。 つまり1日1回のネットショッピングではあきたらず、1日に複数回の買い物がネット上でできてしまう環境がそこにはあると言えます。 私自身もネットでの買い物はよくする方です。 家族の中では一番する方かもしれません。 それでも価格を見て、月々の経済状況を考えて購入を決めています。 依存症と言われる人は、上記のプロセスを経ないで、とりあえずポチるみたいな行動をするようです。 ネットやクレジットカードの利便性がある一方で、このような依存状況も生まれている…このような功罪はいつの世も生活の豊かさの裏には必ずあるものなのかもしれません。

【過去】骨折した経験について

以前のブログでも書きましたが、私は過去に一度だけ、骨折を患ったことがあります。 小学生の頃ドイツに在住していた時のことでした。 体育の時間にふとした不注意から手をついて転んだときに右手首の骨を骨折…最初は捻挫かと思ったのですが、長期間痛みが引かなかったため、後に骨折と判明しました。 当時はまだ石膏で固めるギブスが主流で、自身ももれなく手のひら~二の腕までをギブスで固定、はじめての経験だったのでショックは受けましたが、そこは小学生、学校にいけば友人は落書きに近いようなメッセージは書いて励ましてくれるし、実際に日常生活で不便だったのは風呂の時くらい。 これはギブスの箇所というか、骨折した右手を丸々ビニールで覆って、ゴムと養生テープで固定してようやく入浴できるという次第でした。 更に何よりタイミングが悪かったのが、ギブスの固定期間中にちょうど修学旅行が重なったことです。 小学校の修学旅行はドイツ~オランダだったのですが、かなり周囲の助けをかりながらの修学旅行だったような記憶があります。 これは別途また他の機会に書こうと思っていますが、小中高と、私は修学旅行で何かと災難を受けながらの修学旅行だったです。 話を戻しますが、結局のところ2ヶ月はそんなギブス状態でいよいよ外すときは電ノコなどで切ってようやく不自由から解放された感じでした。 普通に風呂には入れることをありがたく実感した、人生はじめての骨折体験なのでした。

【過去】ヴァチカンの思い出

この連休のことですが、久々に昔の写真アルバムを整理する機会がありました。 幼少のドイツ在住の頃、イタリアへの家族旅行でヴァチカンに立ち寄った時の写真が数点出てきたので、そのときの思い出を少し書き記しておこうと思います。 ヴァチカンと言えば映画の「 天使と悪魔 」の舞台としても有名ですが、小学校高学年に訪れた当時、そのときでもやはり、ヨーロッパ宗教の中心としての荘厳な大聖堂、システィーナ礼拝堂などのイメージは多くの方にもあるかと思います。 私的な視点で言うと、当時のヴァチカンで立ち寄ったレストランで食べたカネロニの味が記憶と共に写真にもおさめてあり、忘れられない思い出の美味として刻まれています。 イタリアへは他にヴェネチアやローマへの旅も共にしましたが、例えば本場で食べたカルボナーラのパスタや、ラザニアなど、食の思い出は多いのですが、やはり私にとってはヴァチカンのカネロニが特別な食の記憶です。 今回はちょっとしたことから、昔の思い出と共に食の思い出を思い出した瞬間でしたが、また機会があればドイツに在住していた頃のエピソードを書いてみたいと思いますので、よろしくお願いしますm(_ _)m

【過去】マネジメントの危険な会社

以前の仕事であった出来事です。 とある企業の人事面談のコンサルに関わる機会がありました。 (たまにはこんなことまでの仕事を受けるときがあるのです…) その企業は10段階の成果で人事考課の評定を設定しているとのことで、とある部署の評価パターンを見せていただくことに。 5人の部下をかかえる管理職の評定を見てみると、上から2番目の考課結果となっていましたが、管理下の社員の評定を見ると、5名中3名の評価が下から2番目の評価となっていました。 単純に疑問に思ったので、その状況を尋ねてみると、その管理職はプレーヤーとしての成果を十分に出しているとのこと。 逆を言えばなのですが、これはマネージャーとしての管理ができていないいわゆる名ばかりのプレイイングマネージャーなのでは?…とその場で思いました。 以前のブログでも論じた通り、私は基本的にプレイイングマネージャーなるものは成立しないと考えています。 この度のコンサルでは、まさにその問題が浮き彫りになった典型例だと思いました。 その会社の管理職は全て、担当課長とか、担当部長とかで、管下の部下の管理以外にも、現場業務をしている状態とお聞きしました。 ある程度の規模のある企業だったので、なぜそのような形を採っているか不思議だったのですが、典型的に現場業務での成績が、担当◯◯のようなマネージャーへの昇進という方法を採っていたため、結果として不公平な人事評価が出るという課題が露呈してきてしまったようです。 当然ながらマネジメントの出来ない、またはしない上司に当たると、そのしわ寄せは部下に響いてきます。 いくら1人プレーヤーとして優秀であっても、例えばですが、他部署と絡みたがらなかったり、話術や調整が下手な人材がマネージャーとして昇進していけば、業務が滞るのは当然でしょう。 話術や諸々の調整能力はマネジメントをする上で必須といっても良いスキルと思われるからです。 結果として、その企業は人事評価制度を見直すこととなりました。 以前にも書きましたが、昨今はこのような問題をかかえる企業が非常に多い気がします。 確かに年功序列や終身雇用は崩れ、成果評価主義に移行している企業は確実に多くなってはいるのですが、マネジメントに関する課題を解決しないまま、成果だけに移行するとこのような問題は必ずと言って良いほど浮上