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【精神疾患】無力だという思いにさいなまれたとき

 よく、自分は何もできなかった、あの時こうしてればよかった…などの後悔の念は、人間である以上、抱くことは少なからずあると思います。 これは心配性といわれる人ほど多く、後悔の念というものを抱く傾向があるようで、この念が大きく、あまりにも多いと不安障害などの精神疾患となるような場合もあるそうです。 また、これらの方々には多くの共通点もあるようで、自身よりも他人を優先し、細かい気配り、細かく分析して考えを巡らせる…などの性格もあるようです。 しかしながら、これらの性格は決してマイナスではありません。 自分よりも他人を優先するのは自己犠牲の精神のあらわれだと思いますし、細かい気配りができるというのは社会生活の上でも周囲にとってのプラスとなる場面も多く、分析力があれば見落としやミスに人一倍気づきやすく研究などのスキルにも活かせることがあるでしょう。 それでもこれが精神疾患の方向へ進んでしまうと、これが自身を見失うことにもならないのです。 例えば、自分はどうなってもよいが、配偶者や両親や子供、祖父母などの家族が窮地に対面する場面などに遭遇してしまうと、人一倍考え込んでしまい、不安にさいなまれ、結局自分は何もできないと、自己嫌悪のサイクルに落ち入ってしまうこともあるのです。 確かに人を思う心は大切なものだし、なくてはならないものだと思いますが、精神疾患治療の場面ではまずは自分、他人はあくまで二の次くらいに考えないとならないこともあるのです。 あなたの人生はあなただけのもので、他人にとって変わることはできませんが、考えを少し変えて、あくまで自分の人生という一つの念の中に、多くの他人が関わっているのだと、考え方の順番を変えるだけでも少しだけ楽な生き方ができると思いませんか? もしかしたらあなたの心配は、それ以上に考えている他人もいるかもしれない…それで社会活動は回っていると考えれば、心配や不安の一つ一つがもう少し小さなものに思えるかもしれません。 心配や不安を感じるなとは言いませんが、少しだけ目線を変えてみるのも一つの考え方だと思ってみるのも、これ幸いだと思います。 #無力 #心配性 #不安障害

【精神疾患】知ることと休む習慣を身につけよう

 誰だって疲れて思い切り休みたいということはあるでしょう。 しかしながら思うように休めない環境に置かれている方も多いと思います 精神疾患を抱えた方の場合、このタイミングと休める環境をつくることが治療の第一歩としてとても重要になります。 例えばある日、どうしても動きたくない(動けない)と思った日があったとします。 1日や2日なら、学校や仕事を休むことで解決できるかもしれません。 しかしこのようになりつつも、休めないような環境が半年間くらい続けばどうでしょうか? だんだんと感情のコントロールができず、怒りっぽくなったり、急に訳もわからず涙を流すような人も出てくるそうです。 そうなると体がサインを出してきている状況ともなってしまい、終いには昼夜決まった時間の寝起きができず、家から一歩も出れなくなるようにもなるそうです。 これには、いかにこのような状況に早く気づけるかも重要なキーポイントであり、気づくのが早ければ早いほど治療も早く済みますし、寛解までの道のりも長くはならないことが多いようです。 ですから、精神疾患の兆しとも言えるサインが出始めたら、とにかくすぐにでも必ずや「休む」ということが言われているのです。 一見遠回りとも思える休む行為で、どう休めばと思う方々もいるようですが、本当に横になって寝ているだけでもいいんです。 時間の無駄だと思う人もいるかもしれませんが、これが必要なことなのです。 そんな中でも、家族の心配や、経済面での収入の途絶える心配なども認めて頭をよぎることがあるかもしれませんが、こういった心配や不安を先延ばしにしてでも休むべきだと考えます。 こういったことは、国や市町村の制度で後から助けられることも少なからずありますし、何よりストレスを抱えていては身体的に休んでいても精神的には休めていないからです。 だから、可能であれば実家や近しい親類の家に身を寄せて休むということも一つの手段だと思います。 自分の状態を知って休む、そして休んだ上で自分というものを知るということが、まわり回って自身にとって一番よい結果が得られるのかもしれません。 今の世の中のスピードは早いと感じるかもしれませんが、急がばまわれの精神でのりきりたいものです。 #精神疾患 #休む #寝る #知る

【日常】遠方の地方で親や祖父母を持つ心配

例えばですが、高校や大学を卒業して、いざ上京して数年。 最低でも年に一度くらいは帰省していたものの、昨今のようなコロナ禍のような状況になるなど、ほんの一年前とか、誰が予想していたでしょう。 特に持病をお持ちのご両親や、介護が必要な祖父母をお持ちの方であれば、なおさら帰郷できない方も多いのではないのでしょうか。 実際に都市部から帰省できても、帰省先の家族の通院やリハビリが濃厚接触者となってしまうためできなくなったり、その反面お願いしている実家近隣の親戚や介護ヘルパーさんへの負担も限界に来ていて、その狭間でお悩みの方も現実に多いと聞きます。 また雇用の状況も悪化して、なかなか再就職も難しい中で、上記のようなお悩みを抱える方もいるでしょう。 自身の人生が大変なのに、親や祖父母も大変な状況…でも、絶対に自身を追い詰めるようなことは止めて下さい。 今は下を向いて考えなければならないようなことでも、何か些細なきっかけで光がさすことがあります。 人間に解決できないことはない…とまでは言いませんが、明けない夜は決してないのですから。 今は人に迷惑をかけていても、目先で仕事が難しい状況でも、時間は動き続け、いつかきっと自身の納得できる状況が来ると思ってみてください。 これは私自身にも言えることですが、追い詰めて精神的に参ってしまっては元も子もありません。 必ず何かしらの手段はあり、それは時間が解決してくれるかもしれません。 待つだけなのは辛い方も中にはいるかもしれませんが、それも人の人生だと考えて、ぜひ何かしらの好転材料としていただける方が一人でもいていただければ幸いです。 #人生 #両親 #祖父母

【精神疾患】予兆を正しく知る

 精神疾患は現代病としても一昔前より多くの人に認知されてきましたが、現状でも多くの方々が休職や精神障害者認定を受けている方々が増えている側面もあります。 では、実際に少しでも精神疾患を防ぐための手だては何かあるのでしょうか。 私の経験からすると、予兆を正しく、そしていち早く知ることなのだと思っています。 私の場合も含めて多くの場合は、体調不良で通勤できない、頭痛や腹痛で動けない…など、これらが心療内科への通院や、病欠や休職のきっかけになると思われます。 ですが同時に、この状態は既に精神疾患に罹患していることも意味します。 既に精神的な疲弊に加え、身体的な症状までも表面化してしまっているからです。 どうすれば自衛できるのか、よく時間外労働などのストレスを避けるなどの一例が言われていますが、残業の少ない職場でも発症する人はいます。 残業なしを唱っている会社でも、明らかに定時内で終わらない業務量だったり、常に緊張を強いられる職場環境で、誰とも話せないような働き方ではこれも大きなストレスとなります。 実はこのような点がまずは知っていただきたい予兆のポイントです。 このような状態が続くと、知らずのうちに苦手意識が生まれ、さらにこれが続くと気力が徐々になくなってきます。 私はこのような状態になったあと、なぜだか日々、焦燥感のような状態が出てきてしまい、不眠へと繋がっていきました。 私はこのようになってからのメンタルクリニックへの通院となってしまいましたが、これからその可能性がありそうな方はぜひ上記のポイントでの気づきを注意していただければと思います。 通院後は色々と対処法も知ることができ、自分でこのように考えていこうと思うことはできますが、私の場合は上司の対人関係もあり、会社へ上司のこういった点を改善していただきたいと訴え、実際に人としての接し方は改善されたものの、仕事に対しての丸投げの姿勢は変わらなかったため、休職 → 退職に至りました。 私は精神疾患への気づきも遅く、自分で環境を変えていこうと動いた部分はありましたが、一番変わらなくてはならないのは、自分ではなく、周りなのだと思います。 周りの環境や接し方が柔軟であれば、気づきも早く、休職してもすぐの復帰ができたのかもしれません。 もしかしたら、身体的な症状が出る前に気づいて、長きに渡る通院も避けられる結果もあったのかもしれ

【過去】大きなプロジェクトほど、煙たがられて嫌われる勇気を

 例えばですが、よく企業の勉強会や説明会での場面で、成功したプロジェクトの事例の話などを聞く機会があると思います。 あくまで私見ですが、私はこれを鵜呑みには聞かないことが多いです。 ひねくれていると言えばそれまでですが、プロジェクトの成功の裏では、同時に煙たがられるような人が寄与している場合が多いからです。 当然ながらこのような人は話す場に登壇することは、あまりありません。 話は変わりますが、私もかつて会社人時代にその企業の一大プロジェクトといわれるようなものに末端ながら関わった経験があります。 当初は社内会議などで楽観的な見通しのよい意見しか出ず、外部パートナーとの打合せなどでもよい雰囲気で明るい兆しのあるプロジェクトでした。 いわゆる最初の仕様やスケジュール感が出てくる最初のフェーズで中心メンバーにとある中途の新入社員がプロジェクトに加わりました。 まず彼はこのままの仕様では無謀だとダメ出しを、そしてスケジュールもデバッグや検証の時間が甘すぎるとして、社内からプロジェクトの立て直しを図りました。 聞けば、当然すぎる見落としや、計画性の甘さがあったのは事実ですが、プロジェクトの雰囲気は一変、時には彼と上司や同僚との意見の対立で激しく白熱していたときもありました。 末端の私でも彼の意見は正しいと思ったことも多々ありましたが、企業文化という点では彼は敵を作りかねない状況にもなってきていました。 プロジェクトのフェーズが進むにしたがって、彼と外部パートナーの折衝も、要求を満たす or 満たさない、でかなり厳しい当たりもあったようでした。 結果的にですが、私は彼の指摘や意見なくしてプロジェクトの成功はなかったと思っています。 新たな目線で見ることや、なるほどと思える指摘もたくさんありましたし…でも、社内での対立した遺恨は結果的に最後まで解消されず、彼は引き続き評価されたとは言い難い身の振りで働き続けることになります。 大きいプロジェクトほど、そして大きい企業文化ほど、恐らく彼のような人間像はまだまだ評価されないのが現実なのですかね… 確かに彼はプロジェクト成功のために今まで社内ではなかった目線で粗を探し出し、社内で対立してまで、そして外部パートナーにも厳しい要求を続けてプロジェクトの方針を転換しました。 ある意味プロフェッショナルだと思います。 でも中にはこのケースのよう

【過去】日本はまだ転職が許せない社会なのか?

 私は恥ずかしながらも、就職氷河期と言われる世代に入ってしまった者です。 会社員時代は少なくとも私より上の世代は、ひとつの会社で働き続けていくことを美徳としていた方々が少なからずいました。 終身雇用や年功序列の給与体系があった時代には、もしかしたらこれは正しいことだったのかもしれません。 しかし、現在ではこういった企業は少数派でしょう。 現に私が社会人となった頃も、自身に会わない会社と思っても3~5年は続けるべきとの話も聞いたことがあります。 しかし、今となっては能力や経験を重視した中途採用市場で、企業の採用担当も即戦力を求める場面が多く見られます。 ですが現実、採用当初よりも数ヵ月で給与が落ち込んでいくという方の話も聞いたことがあります。 採用時の能力や経験が良くても、いざその企業に就業してみると環境がまるで異なり、結果を出せずに生活がままならない収入となってしまっている…企業側も求職者側も頭を悩ます問題があるそうなのです。 無論、環境が変わっても能力を発揮して結果を着実に出していく人もいるでしょう。 では、これらの人の差は何なのでしょうか? 1つはその企業の教育の側面があると思います。 誰しも、新たな職場では少なからず慣れるまでの時間を要するでしょう。 環境が変わっても上司や部下や同僚、要はその企業の先輩から手解きの中で自身の能力を発揮していけるのがひとつの理想だと思います。 しかし、皆が自身の結果を出すための目標だけに走り、新人の上司、部下へ目をかけられるという場面が一昔前よりも少なくなったのではないでしょうか? もう1つは、日本の成果主義というものが過渡期になっているのではないかという危惧です。 最近の会社員には大手を降って残業などを露骨に嫌がる人も出てきていると聞きます。 今の上の世代の方々には考えられないという方もいるのではないでしょうか? 経済が発展しているときであれば、残業をしてでも成果を出せば、報酬として自身に返ってくる…という形でしたが、今では必ずしもそうではありません。 会社や仕事に時間を取られるくらいなら、これをソコソコにして、自身にとって有意義な時間を過ごしたいという価値観が変わるのは当然と言えば当然なのでしょうが… 昨今ではコロナ禍で転職を余儀なくされる方も多いと聞きます。 今回は、私の仕事の関係上、企業の採用担当の方々から聞いた話が主で

【日常】「仕事をください」本音は言ってはいけないのか

私自身にも言えることなのですが、このご時世「仕事をください」という本音はあります。 しかしながら、仕事を依頼する側の意見を聞くと、こういう本音を言う人間は敬遠したくなるとも聞きます。 近代までの日本人は本音を言わないことが美徳、みたいな雰囲気が確かにあったように思います。 痛かろうが辛かろうが、本音を圧し殺す。 全然大丈夫じゃないのに、人には大丈夫と言う…みたいなことです。 要は、集団の中で吐出した意見を出さずに、いい人を演じて押し黙る人が評価されてきたから、このようなことがあったのだと思います。 でも考えてみてください。 本音を言わないと言うことは、事態があなぬ方向へ進む場合も、更には悪い事態へ進んでしまう場合もあるのです。 話は少しそれてしまいましたが、仕事に関しても、やりたい仕事に手を揚げたとき、仕事は上の人間が割り振るものだから、あなたに直接割り振ることはできない、となってしまった場合、せっかく「仕事をください」と手を上げてもその人はチャンスを失うことになってしまいます。 そしてその人の評価も、組織にたてつく人間…となりかねないのです。 どうやら日本人は前例のないことを嫌い、変化を嫌います。 上記の関連で言うと、企業の人事評価も欧米並みなものかというと、そうではないのが現状。 一部、年功序列的なものが残っていたりもする会社もまだまだ多いのではないでしょうか。 昨今話題のテレワークにしても、なかなか企業は実施しようとせず、このコロナ禍に迫られて動いた会社も多い気がします。 最近でこそ、本音が通用する社会や、それによる助けの輪が広がりつつあるのかもしれませんが、正直、建前や集団の中での日本人と言った部分では、まだまだ民度の低い部分があるのだとも思います。 「仕事をください」は決して勇気のある発言でもなく、前のめりの卑しい発言でもないのです。 企業の担当者の方へ、一考してみてはいかがでしょうか? #仕事をください #テレワーク #コロナ禍

【日常】後遺症によるケアの現状

このようなことを書くのは今は適切ではないのかも知れませんが… 昨今によるコロナ禍で罹患してしまい、回復した方がいると、周囲に聞く方も少なくはないのではないでしょうか。 しかしながら、この中には陰性と診断されたにも関わらず、社会復帰が未だに叶わない方もいます。 後遺症により、発熱や咳などにとどまらず、慢性的な疲労感や倦怠感、焦燥感を患ってしまい、仕事に復帰できずにいる方もいるのです。 もしかしたらこのあたりまでの事は報道でもなされている機会があるので、ご存じの方も多いでしょう。 問題は、これらの方々への社会的なセーフティネットがまだまだ確立されていないことです。 内科などで陰性と受診されたあとでも、自宅療養が望ましいと診断され、でも内科以外の症状で心療内科にも訪れる方も少しずつ増えてきているようです。 しかしながら、時流や国の対策は感染自体の予防に目が向いている今、これらの後遺症のケアは対策や研究にまで目が向いていないのが実情のようです。 これら後遺症のある方々も、数ヵ月くらいであれば休職などで乗り越えられるのかもしれませんが、年単位で後遺症が残るようであれば、職を離れねばならない状況も予想され、早急な救済措置が必要です。 とはいえ、おそらくこれらの事象の実態解明にはまだ至っていないといってよい現状なのではないでしょうか。 恐らく、今後はこのような後遺症により就労できない方々のケースも増えてくると思います。 無論、そもそものコロナウイルスに感染しないことが一番なのでしょうが、もし感染してしまい、しかも治まっても後遺症が残ってしまったら… この研究と対策、早急にお願いしたいと思う状況なのかなと思いました。 #コロナ禍 #コロナウイルス #後遺症

【精神疾患】泣いてまで拝み倒すのは愚かな行為?

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なりふり構わず、どうしても目的を達成したいとき…誰しもがあることだと思います。 しかしながら親しき仲にも礼儀あり、というように、時にはある種の迷惑を他人へ被ってしまうこともあるでしょう。 人間社会である以上、こういったジレンマは常にあるのですが、精神疾患経験者の場合、このような状況を一番恐れる場合があるのです。 例えば迷惑と思うことでも、友人などの場合には手助けをしてくれる人もいるでしょう。 精神状態が不安にある場合は、これを過剰に意識してしまい、迷惑と思わず求める場合があるのです。 また、満員電車等をイメージしてみてください。 満員電車が苦手とかパニックを起こす人というのは、距離感をうまくつかめず、ちょっとした接触でも迷惑をかけたと思い込んでしまい、時には泣き崩れてしまうこともあるのです。 では、このような方々と接する場合はどうすればよいのか… たとえ泣きつかれても冷静に接してあげることです。 泣きついているのに無理に静かにしろといなすのではなく、相手が何を不安に思っているのか…余裕があれば考えてみてください。 それはその人の尊厳やプライドなのかもしれないし、親しき人の場合には、友情を失うことを恐れているのかもしれないのです。 だから、普通のことではないと恐れることもありません。 とにかく不安でいっぱいな気持ちが、人に泣きつくような感情で出てきているだけなのです。 中には愚かな様とか、あるいは気違いのような目で見る人もいると思います。 客観的に見れば、同じ人間ではありますが、気持ちの表現が全く違うように見えてしまいますから。 でも人間の社会ではこういった事象を理解するということもできるはずです。 確かに今の世の中、世知辛いことも多いと思いますが、人を思い、理解する気持ちがあれば少しは変わるのかな…とも思います。 #不安障害 #パニック障害 #満員電車

【精神疾患】コロナ禍での精神不安状態について

以前にも私事でこの時代における、先立つものがないための不安等を書かせていただきましたが、他の方々からもかなりこのようなお話を聞きましたので、改めて書かせていただこうと思いました。 コロナ禍で仕事の減った方、失業された方…日々のニュース報道などでも目にすることがあるかと思いますが、私の肌感覚では思ったより多く、精神疾患を抱えて来ている方々も出てきている現実があると思いました。 テレワークに対応できていればいい方で、中には自宅待機で給与も十分の一ほど。 失業された方にあたっては、雇用保険の給付手続きが精一杯でこの数ヵ月は次の仕事につなげられずブランク期間が発生している方も多いようです。 しかしこれらの方々にも健康保険や国民年金の支払いはイヤが応にも発生し、不安が募っているようです。 一部の報道でこれらの納付率が改善されたとのデータもあるようですが、これには免除や納付猶予措置を活用された方も含まれているようです。 更には昨今、就職氷河期世代への支援策も取沙汰されていますが、企業側の活用はほんの一部に止まり、この世代の再就職や、重要なポストに就けないなどの問題は引き続いていると思われます。 これは話が少しそれますが、今までの企業は新卒、若手の採用にばかり力を入れ、この就職氷河期世代への成長するための育成や、成功体験をおざなりにした結果、「5080」や「6090」などの引きこもり問題を生み出した功罪の側面があったと指摘する方もいます。 ですから、特にこの世代の方々に精神疾患が広がっているようです。 話を戻しますが、コロナ禍で先頃、我々は命を守るための自粛生活と言うものを余儀なくされました。 今は経済への建て直しへとシフトしてきているものの、上記で書いてきたような、あまりにも大きな犠牲は未だに解消される兆しが見えてこないと言う声をよく耳にします。 アベノマスクと10万円の特別給付金、これだけでは全く生活の見通しがたたないと言う人もいます。 このような精神状態が続くので、本当に精神疾患になりかけている方が多くなってきています。 第2弾、第3弾と施策を確実にしていただき、雇用を守る社内を目指していただきたいと思います。 #コロナ禍 #テレワーク #失業 #就職氷河期世代

【日常】声かけ不審者事案って…

スマートフォンで地元のニュースの通知などを受けとるようにしたところ、以下のような通知が最近増えてきました。 `下校途中の女子生徒が、後ろから来たスマートフォンを持つ男に「○○駅はどちらですか」と声をかけられる事案が発生しました。 犯人は、年齢○○歳位、身長○○センチ位、体格中肉、黒色短髪、白色マスク、Tシャツの男です。` …以前から噂を聞いたり、ネットで見かけるような笑い話かと思いきや、実際にあるんですね… 何というか…道を聞くだけ、話しかけるだけで犯罪? 世知辛い世の中になったものです。 中にはこれが当然と思う人もいるのでしょうか? 私が子供の頃には考えられなかったことが次々と現実や常識となってきている今の社会なのでしょうが、中にはこのように生きづらい、肩身が狭くなってきている人々も増えているのではないでしょうか。 この数十年で震災やコロナ禍などによる様々な災害を経験している私たちではありますが、自己防衛などの考え方でも意識の格差が出てきてしまっているような気がします。 #不審者 #声かけ事案

【日常】焼そばに合う紅茶

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私は焼そばが好きです。 かつ、紅茶も日頃からよく飲む方だと思います。 意識はしていませんでしたが、ふとしたときにこの二つの組合せで、最良なものは何なのか探してみたくなりました。 まずは焼きそばについて、カップ麺の焼そばから、袋麺や、自身で炒めるものまで、ソース・醤油・塩味と様々に試してみましたが、これはソースの濃いもので中太麺くらいのものが一番紅茶に合いました。 具体的な商品はここでは触れませんが、ソースのフレーバーがスパイシーなものよりもフルーティーなものがオススメです。 次に紅茶の方ですが、こちらもペットボトルのものから、パックのものまで試してみましたが、ピーチティーかアップルティーが合うと思いました。 個人的にはあまり甘めではないアップルティーをオススメします。 逆に香り高いダージリンティーやフラワー系の紅茶は香りが焼そばにあまり合わないと思いましたので、これらのものは別に楽しんだ方が良さそうです。 今回は需要があるのかわかりませんが、日常の何気ない1ページを切り取ってご紹介させていただきました。 是非とも試してみていただければ幸いですが、日常のつぶやき程度に思ってみていただければ幸いです。 #焼きそば #紅茶 #アップルティー #ピーチティー #ダージリンティー

【精神疾患】どうしていいか分からず体調を崩していました…

結論から述べます。 コロナ禍の影響で仕事量が激減したことにより、収入をはじめ先立つものが無くなってきまして、しばらくの間、体調を崩していました。  このような状況になりかけの頃は、テレワーク導入の相談や、これに関わる人事コンサルティング的な業務が一時的に入ってきてはいたのですが、大手企業もこぞって在宅のリモートワークを推進したことにより、テレワークが当たり前の環境が私の目の前にも出来上がっていきました。 実はこのようになってきて、我々フリーランスへ仕事がまわって来なくなった実情もあります。 リモートワークで自社の社員でできれば我々のような在宅ワーカーを入れなくても、その企業内で完結できる業務が出てきます。 また、テレワークでの生産性の向上により、本来私たちでお助けさせていただいたお仕事が発生しなくなるわけで… まあ、顧客としての企業を考えた場合は生産性の向上はプラスなのですが…実態は我々にマイナスな部分もありました。 正直、このような類いの仕事を中心に受持っていた私の見通しが甘かったと言えばそうなのですが… 結局今では、仕事を探しながらタスクやコンペをこなす、フリーランサー担った当初のノマドワーカーのような仕事を探してこなしての繰返しの日々です。 当然ながらこのような状態では、先々の心配も増えてきて、精神衛生上よくない状態の日々が続いてしまい、気疲れや焦燥感に体が蝕まれ、今の状態となっているわけです。 正直、私のような状況だと、国の制度による給付対象になかなか当てはまらないので、方々に助けを求めるようになるのも時間の問題だと思い、今回は久々に書き記させていただきました。 最後に言います。 フリーランスは全て自己責任です。 様々なしがらみを嫌がった私の選択は今も間違っていたとは思っていませんが、このような状況下でもやはりフリーランスも苦しくなるときはあるのだと実感しました。 いつかはフリーランサーとしての仕事も回復してくるのかもしれませんが、ただただ待つ、今のこの状況が辛いのも事実なのです。 #フリーランス #テレワーク #リモートワーク #メンヘラ

【日常】今に日本は外国人に人道的ではない…春休み51日目

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以前から申し上げているとおり、私のフリーランスとしての仕事の中に海外、特にドイツと関わる仕事がたまにあります。 実際に日本に在住しているドイツの方と進めることが多いのですが、中には現地に家族を残して生活基盤を日本に移して来日されている方もいます。 今回はこのご時世で起こった上記の方に由来する話です。 今々、日本は何らかの理由で海外に出た人の再入国を法務省は認めていません。 ただ、やむおえない事由があった場合のみ、特例的に認める場合があるようですが、この数ヵ月は数百の申請に対して、認められた例は数例に過ぎないとのことで、基本的に上記のとおりの姿勢があります。 我々日本人からすれば、感染のリスクからすれば当然とのことと思われるでしょうが、どうやらこのやむおえない理由の中には、家族を亡くされたなどの理由は含まれないようです。 ここで話を戻しますが、私がこの時流になる前に出会ったドイツ人の方はここ数週間前に現地で自身の奥さまを難病で亡くされたそうです。 無論、昨今のコロナウイルスとは関係ないご病気でです。 当然、葬儀やお子さまのこともあり、何とか一時的な帰国を我が国に掛け合ったところ、やむおえない理由とは認められず、もし現地に帰ったら、当面の再入国が叶わない状況となりました。 生活基盤も日本にあり、日々の生活ももちろんですが、仕事や収入、人間関係など、全てを断ち切らなければ母国に帰れない…ましてや家族の死であっても。 結局、その方は身の回りの全てを一度断ち切り、帰国する道を選びましたが、状況が状況だけに今すぐに帰国するというわけにもいきませんでした。 生活をただ止めればいいというわけではなく、仕事の引き継ぎや、人間関係の清算など、時間を要し、お子さまななどは両親や親戚などにも任せた中で、また渡航も自粛の影響でかなり減便の多い中でかなり苦労され、憔悴しきった中での帰国となったようです。 このような状況、最近では報道などで目にするかもしれませんが、同じような状況で両親などの家族をなくされても中には、再入国を認められないなら帰国できないと、この時流が終息するまで日本に残る外国人の方も少なくないようです。 正直、もし帰国の道を選んだとしても、現在では日本よりも失業率の高い国はたくさんあります。 ですからこのような状況でも、仕事を離れるリスキーさを選択できずに残る外国人の方も多いので

【日常】考えさせられる日々…春休み25日目

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またひとつ年を重ねた今日この頃。 最近では誕生日の祝いや食事も自粛な形で過ごすしかありません。 家族ならまだしも、友人などにできるのはせいぜいSNSでのコメントなど。 このような形、最近では考えさせられることが多いです。 ネット文化では一部を除いて大半が文字によるコミュニケーションです。 こんなときだからこそ、この文字で様々な感情を言葉にして伝えなければならないのですが…実はこれは結構難しいです。 ビジネスシーンであれば、要件だけを簡潔に文字に起こせば伝わるのですが、親しい人々へのコミュニケーションとなると、可能な限り文字に起こした言葉のなかで感情表現を示したいと思うでしょう。 一見簡単そうに見えて、その本質は誤解のないよう、人間性の垣間見える言葉でなくてはならないのだと思います。 これにはより多くの人へ発信するのであれば、責任も伴いますし、極端な話、逆の意味で取られてしまえば意味がないどころか、文字に起こした言葉に危険性も孕んでしまうことがあるからです。 SNSでよく、アンチコメントを見かける方も多いでしょう。 これらアンチコメントの言葉や文字は時に暴力となり、凶器となる場合もあります。 恐らくアンチコメントを書き込む多くの人はそのようなことまでは考えず、軽い気持ちで書き込んでいる方も多いのでしょうが… 私はこのアンチコメント自体は否定も肯定もしません。 人間の考え方は千差万別で、恐らくひとつの発信に対して、別の意見を持つ人、またはこれを看過できない人というのも必ずいるからです。 しかしながらそこで、人間性を踏みにじる行為や、根も葉もない言葉で人格を否定するのは、それこそ文字による凶器化や暴力です。 この点は私は強く否定します。 正直これについては何を考えているのか本当にわからないですし、限りある人生の時間を無駄に使っているとしか思えません。 長く自宅にこもっている今だからからこそ、このようなことが気になったので、今回は書き出してみました。

【日常】急に仕事が止まった…春休み19日目

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世間の潮流により、実質4月に入りほぼ全ての仕事が止まり、今では先の収入が見込めない状況になってしまいました。 Web関係全般をあつかうフリーランスである私でさえもです。 制作物であっても、コンサルのような提案であっても、4月に入ってからはたとえ納品できても、相手企業先の担当者や担当部署で、立ち行かない状況となっており、いわゆる検収が先延ばしになっている状態なのです。 貯金で切り崩し、政府の言う休業保障の支給策が実施されるまで待つしかない状況でもあります。 私の場合は法人化していない、あくまでフリーランサーなので、この分の休業保障と、国民全員に給付すると言う給付金が該当するのかな?…と思っていたりもします。 いずれにせよ、企業内でのテレワークなどで混乱の中、最短でもゴールデンウィークの連休明けまで私のようなフリーランスにはつけ入る隙はなさそうな流れとなってきているようにしか思えないような日々が続いています。 楽観的に考えれば、長い春休みと考えればイイのでしょうが、ここで以前に精神疾患で半年ほど休職していた経験が活きてくれば良いのですが、今回は治療による休業ではなく、自宅に込もっての自粛で、傷病手当金のようなすぐに見込める手当もなかなか確定しない中での、揶揄されている「コロナ鬱」には気をつけて何とか日々を過ごすしかないのでしょうか。

【日常】緊急事態宣言による遠方介護の影響

政府による緊急事態宣言が発出されて一夜、早々に様々な話が耳に入ってきています。 中でも気になったのが、遠方介護をされている方々のお話です。 自身の生活基盤は都心や首都圏にあるものの、親を地方の実家で介護なさっている方々のことです。 ケアマネージャーの方々からは、やはりこの1ヶ月は往来を控えて自粛していただきたいと言われているケースがすでに多く出てきているとのことでした。 そもそも国では不要不急の外出は控えるとのことで、今回の事態に至っています。 しかしながら、このような遠方介護をされている方は不要な外出ではないとも言えるでしょう。 反面、高齢者の命を守るためには、確かに頻繁な往来は控えるべきだとも言えます。 一方でホームヘルパーの協力でカバーできる部分もあれば、ご家族の方々からすれば、このカバーできていない部分での心配も尽きない現実もあるかと思います。 実は介護サービスってもの自体、契約で成り立っているものなので、手が出せる部分と、出せない部分の線引きがはっきりと別れているものなのです。 だからこそ、遠方介護されている方の不安や心配は多いのですが… だからこそ国、政府にはこのようなケースもあるのだと知っていただき、何が最善なのかを早急に対処していただきたいのです。 助けは必要だけど、命を守るために助けにいけない… そんなもどかしい思いをしている方々にも、若年者や健康な高齢者へ向けての報道に傾倒している昨今ではありますが、どうか遠方介護にも対応できる策を私たちは国に期待しても良いのでしょうか?

【日常】ウイルスは人類を蹂躙するのか…都市伝説の話も交えて

昨今の新型コロナウイルス関連の話題はつきませんが、同時に都市伝説的な話もあわせて耳にすることがあります。 今回のウイルスは人工的なものだとか、人口調整のための選別だとか、あきらかにデマとしか思えないような話も多いです。 でも、少しだけ考えてみてください。 このような感染症を疫学的に見てみると、人類はこのような感染症に打ち勝ってきた歴史もあるのです。 古くは中世のペストから、チフスや、大流行したスペイン風邪、日本においても結核などがありました。 しかし、私たち人間はこれらを克服して打ち勝って今があるとも言えます。 無論、これらには多くの犠牲を伴ったという事実もあるものも、人間のある種の進化があった歴史とも言えるのではないでしょうか。 私は専門家ではないので、病理学的なことは分かりませんが、これらの感染症には耐性を得ることで自身を守れるという見方もあるようですが、確かに犠牲者を減らすならばそのような考え方もあるのかもしれません。 しかしながら、そもそも感染しなければ、発病することもなく、重症化することもないので、まさに今、国ぐるみで個々人も気を付けなければならない、感染を防ぐことが一番なのだと思います。 我々ひとりひとりのこの努力がなければ、それこそ今回の騒ぎで亡くなられた方々のメッセージというか、意義が皆無となってしまいます。 ですから、鎮魂歌とまでは言いませんが、真剣に個々人で今、なにをするのが正しいのか、人類の歴史も鑑みて考えなければなたないことなのだと思います。

【精神疾患】非常事態と雇用状況

例えばですが、今世のような非常事態と呼べるご時世の中、精神障害者の方々の雇用状況にも少なからず変化が起きています。 内定の取り消しや、非正規での雇い止めは、健常者のそれと同等かそれ以上にはあるのですが、雇用の本質である収入減の事例が続々と出ているのです。 建前かもしれませんが、ある程度の規模の企業は、一定割合で障害者を雇用しなければならないこととなっています。 しかしながら、この障害者というのも精神障害者も身体障害者も含まれています。 中には昨今でのパラリンピックを見据えて障害者アスリートを雇用した企業も多いと聞きます。 彼らのほとんどは、正社員であっても時短勤務や時間給で勤めている方々も多いです。 ですから、現状のような事態となると、更なる時短勤務か、無給での自宅待機や出勤停止を命じられているケースが増えてきているようです。 雇用は維持されているので、欧米で言うレイオフのような状態なのですが、まだこれらは表面化されていないようにも見えます。 経済活動で問題が起きても、表面的に見えるのは、やはり普通と言われる社員のことで、どうしても障害者の問題は表面化することはなく、報道される機会も少ないので、知る機会は非常に少ないでしょう。 でも、こんな現実も確かにあるのだと、まずは知っていただければ幸いと思い、今回は閉めさせていただきます。

【精神疾患】治療とリハビリ

昨今の新型コロナウイルスの影響で、仕事上の影響もあり、久々の記事更新です。 永らく、様々な角度でメンタルクリニックや心療内科を見てきた中で、社会復帰のためにリハビリを必要とする患者さんも少なくありません。 しかしながら現実、これには壁があるのも事実です。 実はこのリハビリという行為は、治療の段階で行うことができません。 外科や内科もそうなのですが、治療の終了をもって、精神疾患においては、寛解という状態で初めて開始することができるものなのです。 この話だけ書いてみると当然ながらそうなのですが、問題は患者さんの抱える疾患が複数ある場合などです。 少なくとも、いや、ほとんどのケースでこれらの患者さんはリハビリの施設などから断られる場合があるのです。 例えば、精神疾患は寛解しているのですが、同時に内臓疾患を治療中の患者さんがいたとします。 この患者さんが内臓疾患の治療を続けながら、精神疾患からの社会復帰のためのリハビリをしたいと思っても、かなり狭き門なのです。 これが、高齢者の場合は更になおさらです。 話が少しずれてはくるのですが、寝たきりの高齢者が増加傾向にある一因にこれが関連しているのではないかという話も耳にするくらいです。 本来のリハビリは、身体機能を以前の状態に戻したり、一定の社会生活をできるようにするためのものなのだと思うのですが、現実は医療との連携がうまくできておらず、管理しやすいようにして予後を見守るだけだったり、また他の責任を負うのを恐れるがあまり、手をさしのべられない方々が多くいるのも実態なのです。 平等に社会復帰の得られるチャンスのある仕組みがあれば、それこそ社会で活躍できる方も増えますし、極端な話、救える命も多くあるはずです。 リハビリは医療とは別ですよと言われてしまえば一蹴されてしまう話なのかもしれませんが、是非うまく仕組みをつくって、そんな世の中になってほしいと思うばかりでした。

【日常】企業ブランディングの真髄と問題点

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最近よくコンサルティングの仕事をしていくなかで、ブランディングという言葉が飛び交うときが少なからずあります。 要はその企業のブランドイメージをどのようにしていくか、ということなのだと思っていますが、実情としてその企業が考えるブランドイメージと、世間の考えるブランドイメージは必ずしも一致せず、解離している場合が多いという現状がある気がします。 企業の担当者に伺うと、ある程度の愛社精神もあるためか、結構プラスなブランドイメージの意見を多く聞くことがあります。 しかし世間の我々消費庄側の考えを見てみると、CMや広告でのイメージが先行していて、何のサービスかよくわかっていなかったり、競合他社と比較して強い弱いのイメージがあったりと様々です。 ですが、ある瞬間で企業と世間のブランドイメージが合致する瞬間が、私はあるように思います。 かなりマイナスな感情の話になってしまうのですが、それはその企業が不祥事を起こしたときです。 例えばその企業が脱税したとか、社員の中から逮捕者が出たとか、こう言ったときは企業も躍起になってブランド回復に努めますし、世間もその企業にはかなりのマイナスイメージのレッテルが貼られます。 私自身はそういったブランディングのコンサルにはまず手を出しませんし、恐らく企業側も広報や宣伝部署でどうこうなる話ではないと思いますので、一定期間はブランドの回復というのは不可能に近い話だと思います。 このように企業の命運を左右しかねないブランディングというものですが、時には成長に活かせるものでも、時には廃業の危機もある諸刃の剣であることを覚えておいて損はないでしょう。

【精神疾患】薬に頼らない治療法もあるの?

あくまで精神疾患の治療の第一歩は選択肢として、今々は薬による治療が第一選択肢となっていますが、まずはその前提としてのお話をさせていただければと思います。 これらは多くの場合、抗精神薬に始まり、抗不安薬などの安定剤や、睡眠導入剤などの睡眠薬と併用して服用することが多いのが現実でもあります。 また、漢方薬による治療方法も一部には浸透しているようですが、そもそもこれらの薬に頼るのに抵抗のある人もいるでしょう。 かくいう、私も当初はそのような考えでしたが、とにかく気持ちの部分も含めて休む、というためのあくまで補助的な立ち位置で薬を服用した過去もあります。 しかしながら服用を続けると利点ばかりでなく、マイナスな面も出てくることもあり…例えば依存により、薬を服用しないと気分切替のスイッチがうまくいかなくなったり、薬がないと寝られなくなったり…という方も少なからずいるそうです。 では服用薬に頼らない治療法もあるのでしょうか。 私の聞いた限りでは、ごくごく限られた場合に少ないケースで適用されることもあるそうです。 症状が軽度であったり、毎日の睡眠リズムが十分にとれている場合や、定期的なカウンセリングのみで劇的な症状の改善が期待できる場合など…であるそうです。 無論、精神疾患は多くの場合、ストレスに起因する場合が多いので、これらのストレスを抱え込まず、うまく解消できていることも前提としてあるでしょう。 実はここでも気を付けなければならない部分があるそうで、例えばタバコを吸えば気分が晴れたりする人や、お酒を飲めばストレスが解消されるといった人では、副次的な害として肺疾患や肝臓疾患などの別の疾患まで抱え込むリスクがあるためです。 喫煙や飲酒が、抗精神薬の代わりになってはなんの意味もないですからね。 …これらが、今のところの実情のようです。 精神疾患の分野はまだまだ症例研究の余地もあり、今後も様々な治療法が確立される可能性があると、罹患時に主治医から聞いたことがあります。 私もそう思っていますし、今後もひとりひとりの個々人にあった治療法が広く認知去れていくことを心より願っています。

【日常】床屋は料金よりも…

私は調髪に行く場合、幼少期より昔から利用している地元の床屋を利用します。 しかしながら、昨今では1000円で利用できるヘアカットや、果てはワンコインの500円カットまで街で見かけるようになりました。 では、私がなぜこれらよりも数倍の価格がする地元の床屋を利用するのか…答えは簡単で融通が利くからです。 正直、昔から親の代も含めての付き合いという点も否定していませんが、やはりひとつひとつの仕事の丁寧さも格安カットと比べればその比ではないと思っています。 洗髪もあれば、シェービングもあり、これらを含めての価格に納得感があると思っています。 何よりお任せでも、好みがわかってくれているので、自身のイメージする調髪を大きくはずすということはありませんし… 今でもしみじみと思うのが、調髪中に私の首筋や肩のどの部分が凝るかも理解していただいているので、毎回のように調髪後はその部分をほぐしてくださいます。 これらがあるので、正直な話、コストパフォーマンスとしても格安カットに見劣りしないと思っていますし、毎回のように利用しているのだと思います。 無論、格安カットも調髪の安さは利点として頭一つ出ている存在だと思いますし、そのニーズにあったお店だとも思っています。 でも、私はやはりそれでも地元の床屋なのです。

【過去】転職活動でよく目にする企業を信用してはならないワケ

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私は過去に、今でもよくCMなどでもよく目にする企業へ転職した経験があります。 もしかしたら、誰しもがCMや雑誌の広告などで幅広く知られている会社で働いてみたいと思うことがあるかもしれません。 しかし、私の経験で言うと、ちょっと立ち止まってよく考えてから決断をした方がよい場合が多々あるような気がします。 確かに有名企業に勤められれば、ある程度のステータスや安定が求められることもあるかもしれません。 現に何十年も歴史があり、実績もある会社であれば、私もそれは恐らく否定しない場合が多いでしょう。 ちょっと問題意識を持っていただきたいのは、新興で有名となった企業のことです。 前述のテレビCMや様々な広告、果てはスポーツの冠協賛までしている新興企業もあるのは事実なのですが…これには少しのカラクリがあるのも事実です。 実は、一昔前まで通用した手法で、大量広告・大量採用というものが通用していた時期がありました。 まず、企業認知のために大量の広告費を投じて、ある程度まで世間の認知度を高め、その後に大量の求人広告を様々な求人サイトに投じるというものです。 一見、成長企業の成功事例のようにも思えますが、バックボーンに問題がある場合もあります。 大量の求人広告で採用している分、大量に退職している方々もいる…実態が人材の使い捨てとなっているような会社もあるのです。 そういった企業ほど即戦力なるスキルを過剰に求めたり、完全成果主義として、その会社に都合のよい人材ばかり厚待遇で、その他の方々は最初から異常に給与待遇が低かったり…とするわけです。 具体的には言いませんが求人広告で、やたらと店舗数業界No.1を強調する某フランチャイズチェーンや、相談件数業界No.1を強調する某相談事務所など、上記のようなバックボーンのサイクルがあるため、いくらこれらのアピールポイントがあったとしても管理体制が追いついていない会社があるのも実情です。 私個人としては、このようなアピールでは決して求職者にささるものではないと思うのですが… もちろん、すべての企業がこのようなことではないと思うので、転職活動中の求職者の方々は、自身にマッチした企業へと転職の道を開いていただければ幸いと思っております。

【過去】90歳を過ぎてからの老後の過ごし方

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私が過去、少し前にとある老夫婦を取材したときの話です。 そのご夫婦はお二方とも90歳を過ぎていたものの、お二人で日々の生活を続けていました。 お子さま方やお孫さま方も多くいらっしゃるようでしたが、皆さま遠方でそれぞれの生活をしているとのこと。 流石に90歳を過ぎれば、スポーツを続けている方などは稀で、このご夫婦もご多分にもれず、遠くに買い物へ出掛けたり、重いものを運んだりなどは、少々困難な状況も出てきているようでした。 お子さま方はホームなどの施設への入居も考えられていたようですが、幸い夫婦お二方とも頭はしっかりなさっており、炊事や洗濯などはまだ出来ていたので、可能な限りこれらはお二人で続けたいとのことでした。 結論としては、それまでの手をつけていなかった介護認定の申請を行い、しばらくはデイサービスなども活用して、お二方の希望を可能な限り続けられるリハビリもしながら、また介護保険で手すりなどの住環境も改善して、お子さま方やお孫さま方に加えて、近隣にお住まいの親戚方とも協力して見ていこうとのことでした。 介護関係は人によってはもっと早くに助けを求められる方もいらっしゃる反面、身の回りのことは可能な限り自身でやりたいという方もいるので、人によっては全く頼らない方もいらっしゃるそうですが、このケースでは、ご家族のすすめもあり、ようやく老夫婦お二人の希望に沿う形で活用されたといった感じでした。 そしてそれから数ヵ月たった現在、このご夫婦は今でもお二人で協力しながら生活を続けているとのことです。 確かにホームなどの施設に入居するのも、生活が楽になる部分もありますし、こういった考えを否定する気も全くございません。 しかし、ご家族で交代で見てでも、可能な限りそれまでの生活を続けさせよう、といった決断にも勇気を感じましたし、何よりお子さまたちの家族愛も感じました。 私はこの取材を通じて、本稿のような考え方もあるのだな…とただただ感心させられた出来事の一つでした。

【日常】テレワーク対応で更新頻度が…

情けないお話ですが、このところの重用されている在宅テレワークのコンサルティングが少々盛況なおかげで、極端にこのブログの更新頻度が下がっております。 本質的な根幹の部分である「精神疾患」について、なかなかお伝えを発信できずに苦慮していますが、昨今の影響で、勉強会などワークショップや、講演会の開催数が減ってきているのも事実です。 ですので、主に日常や過去の話についてお伝えすることも多くなるかとは思いますが、引き続きまして、何卒よろしくお願い致します。

【日常】在宅でできる仕事、できない仕事

私の考えですが、恐らくは会社員のほとんどの方々は在宅でのテレワークに対応できると思っています。 管理関係の人事や経理、制作関係のエンジニアやクリエーター、恐らくは営業などの一部も環境が整っていれば可能でしょう。 逆に対応が難しいと思われるのは、実店舗を伴う販売関係とか、特殊な機器に頼らなければならない生産工場などでしょう。 よく、フリーランスである人間と、在宅テレワークを混同される方もいるのですが、これは考え方が全く違います。 例えば私の場合は在宅のフリーランサーですが、フリーランスの中には会社通勤されている方もいますし、この度の会社員でも通勤せず在宅テレワークで働いている方もいらっしゃいます。 では具体的にはなには違うのか。 恐らく、会社員の方であれば、その会社内で構築されているネットワーク内でテレワークされている方も多いのではないでしょうか。 逆に私のような在宅フリーランサーは、そのような制限は求められないものの、ある程度のネットセキュリティは求められますが、逆にSNSを使ったやり取り等が多いのも事実です。 要は企業でも、必用な権限の与えられたものであれば、何処からでもその企業のデータにアクセスできる環境作りが在宅テレワークをできるか、できないかの第一歩なのだとも思います。

【日常】危機意識のない日本人

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新型コロナウイルスの影響で、日本はもはやパンデミックな状態といっても過言ではない状態に近づいています。 そんな状況におかれた私たちでも、未だに信じられないことを耳にします。 とある会社では、マスクの着用を認めないとか… 正直、このような潮流のなかでも信じられない事実に私は耳を疑いました。 例えば、役所の窓口へ赴いてみても、窓口の方々はマスクでの対応を余儀なくされています。 しかしながらある会社では、業務中はおろか、顧客と対面するときも、顧客側がマスクの着用を認めない例まであるそうです。 これは、いつの時代の話なのでしょうか?…と思ってしまいます。 礼節の以前に命を守る行為を否定するとは… 無論、逆に顧客側からマスクの着用を求める例の方が多いとは思いますが。 以前も論じましたが、日本では非常事態宣言や外出禁止令などは法的には定められていないのが現状です。 ですのでこのような感染症に対しても、正直な話、打つ手が限られてくるので、日に日に感染の拡大~パンデミックに至る状況が安易に広がる状況も否めない事実があります。 また、ある話では、「私はウイルスに負けない」と意気込む人がいるようですが、今回のような特効薬がまだない未知のウイルスがある以上、感染しても発症しない、という可能性はあるとしても、周囲のご家族やご友人、大切な方へ感染させてしまい、発祥させてしまう、ということが大いにある可能性を考えてみてください。 正直、私はこの度の話、これからまだまだ拡大して、ピークはさらに先の話だと思っています。 マスクや消毒は当然として、自衛ではなく、周囲の方々を守るための行動を個々人にしていただきたいと切に思っています。

【日常】愛する最強チーズ男子をフューチャー

チーズと言えば女性受けと、いささか妙な風潮はありますが、私もご多分にもれず、チーズ好きなのです。 主食として、パンに合うチーズトーストやサンドウィッチ、ご飯にはピラフやリゾット、デザートにもティラミスやスフレ…などなど、日々チーズを食べれる生活を送っています。 種類もスーパーなどで手に入るクセの少ないものから、専門店でもクセのあるものまで、様々なものを試したりしています。 最近では、チーズ料理の専門店などで、チーズを中心としたコースも味わう機会がありました。 家庭で身近に食す機会が多いのはピザや、この季節ならではでチーズの鍋、チーズフォンデュなどもありますね。 ではなぜ、これら身近なチーズ料理まで女性をイメーしたものが多いのか…確かに男性硬派なイメージからはチーズはかけ離れているのかもしれません。 でも、例えば肉料理などと一緒で、チーズ料理の中にもガッツくように食べられるものはたくさんあります。 男のチーズ、私はコレを推していきたく思っています。 チーズ自体は、比較的に好き嫌いが極端に分かれるという側面もあるかと思います。 私の場合、ヨーロッパにいた経験もあり、好きすぎるのかもしれません。 本当にチーズというのは身近にあるものでもあると思うので、気がついたときに探してみてください。 必ず貴方のそばにチーズはありますよ!

【日常】フリーランスは相手に主導権を取られないこと

私の仕事の上でのモットーにもなりますが、フリーランサーとしての仕事では、相手の言うがままに業務に取り組むということはしないということです。 無論、決められたスキームやレギュレーションには合わせての上でのことですが。 例えば、記事執筆の依頼があったとします。 私の場合、構成案などはある程度は守った上で記事の執筆を行いますが、文字数や本数はケースバイケースで、記事自体の質に完璧さを求めた対応をします。 SEOのキュレーション記事などは別として、実は上記のような対応をした方が、顧客の満足も得られ、次の仕事へと繋がる場合が多いです。 コンサルティングの場合は更にこちらが主導していく要素が必要となってきます。 私が対応する場合、可能であれば、企業先の担当役員級の方までとお打ち合わせを希望しますし、最低でも部長級の方までは参加をお願いするケースが多いです。 細かい技術的な話は現場の方々で構わないのですが、これらの予算や決済の話となると、その職権を持つ方々と直接話す場を持った方が話が早いからです。 このように、少々ながら一見、不躾?失礼にあたるような対応かとも思えますが、このような心構えでいる方が、スムーズに進むことが多いですし、実際に業務が早く進むことも多いです。 フリーランスは相手にマウントを取れ…とまでは言いませんが、これって以外と、会社組織の中にいるとできないことなのかな?と、自身を振り返ると思うことでもあります。

【日常】テレワークに切り替えたいのにできない会社

私の企業コンサルの仕事のなかで、よくテレワークを導入したいものの、勤怠管理をどうしてよいかわからず、踏み切れない企業の話を耳にすることがあります。 そんなときにまず私は、会社に在席している時間での労務管理という考え方をまず捨ててくださいと言います。 会社からすれば、確かに出社している時間で管理をするというのは、最も簡易的な方法かもしれません。 しかし、実際のテレワークを考えてみてください。 まず、通勤時間という概念が排除されることにより、この時間までも有効活用できることから、さらに満員電車によるストレスの軽減や、このご時世の感染症などのリスク回避もできます。 ではタイムカードなどの勤怠打刻はどうするのか? 初期費用の投資は必要かもしれませんが、オンラインでの勤怠システムも現代では、世にあまたあります。 この費用予算がとれないという企業は、上記の通勤によるリスクとを天秤にかけて考えてみてください。 更には、オンラインでの会議やミーティングのツール、サービスも今では多々あります。 少なくとも、これらでテレワークの実施に踏み込めないということはないのでは?と思います。 とある世代の方々では、まだ会社へ出社することが仕事のひとつで、時間拘束による給料だ…という方もいるかもしれませんが、私はもうこのような考え方は時代にそぐわないと感じています。 今一度考えてみてください、テレワークで得られる効率化やプラスに働ける部分は必ずあるので、企業の柔軟な思考に期待します。

【日常】初めて在宅ワークを始めるとき

いざ、在宅ワークを始める…といっても、何から始めればよいのか、分からない人の方が多いと思います。 私自身も初めての在宅ワークでは何から始めればよいか、分からなかった経験があります。 既にある程度の人脈や、個人に頼った仕事を持っている方であれば、今の会社を退職してもこれらの仕事を引き続き、フリーランスとして続けられるかもしれません。 しかし、スキルはあるのに何から手をつければよいか、という人もいると思います。 在宅ワークのサービスを展開しているサイトなどで仕事を得ることもできるかもしれませんが、単発の仕事も多く、安定した仕事とはほど遠い場合もあります。 また、私の場合は割りきって何にも繋げないようにしていますが、このようなブログや、TwitterなどのSNSなど、そこから仕事に繋げようにも、恐らくはよほど影響力のある方以外は難しいのが現実だと思います。 では、どのようにして稼ぐ在宅ワーカーとなるのか… 要は初動でどのくらい動けるか、というのがひとつのキーとなるかと思います。 これは、初期投資などの話ではなく、何でも良いから手をつける、そして何かしらの反応を得られそうな感触があれば、可能な限り毎日のように続けてみる。 とりあえずこれが出来ることなのかな?と私は思っています。 最近では在宅ワーカーの数も増加傾向にあり、ひとつの仕事にも多くの方々が集まり、それを勝ち抜いていくという傾向もあります。 これを狙うのもいいかもしれませんが、まずは日々コツコツできることから手をつけてみるのもアリだと私は思います。

【精神疾患】神経質はマイナスではない

私も性格柄、神経質だなあと自身で思うことがあります。 細かいことが気になったり、物事を大体~という感覚で終えることができなかったり…時にはガサツな人間に羨望の眼差しさえ向けたこともあります。 精神疾患になったときには、この性格を恨んだりした事も事実です。 しかし、考え方を変えてみると、この神経質というのは、マイナスな側面ばかりではないことにも気づかされます。 細かいことが気になるというのは、それだけ物事に対して注意深く見れるというスキルになりますし、常人とは違った視点で様々なことを思慮できる点でもプラスに働きます。 要はこれらを周囲が理解して、うまく立ち回れれば、これ幸いなのですが、理解ない人間が周囲にいると、これはとたんに壁となることもあります。 しかしながら、少なくとも私自身は人よりリスクヘッジできている人間だとは思っていますし、検証、検品、検閲…なども人よりは自信のある方だとも思っています。 このように、実はマイナスだと思っていることも、プラスとして転換してスキルのある能力として活かすことも、神経質だからこそできたものなのだなあ~…としみじみ思うこともあるのです。

【日常】バレンタインデー…選ぶのも自分、選ばれるのも自分

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私はあまりバレンタインデーに縁のない人間です。 以前までチョコレートが苦手というのがあったからです。 それでも義理でもらうこともあります。 若い頃は本命とかあったり、なかったり…バレンタインを切っ掛けにお付き合いをしたこともあった…かな? まあ、それでも今は独り身ですので、これを選択したのもジブンの意思です。 20代の頃は結婚とか真剣に考えたような出来事もありましたが、結局タイミングや、自分の回りの環境がそれを許さない状況にも直面していたこともあり、結婚の適齢期を過ぎれば、自然とあきらめや、独り身の楽しさを覚えてきたことも重なり、また、今のご時世のメリットも感じなくなってきたので、結局は今の状況です。 無論、今でも異性とのお付き合いや、結婚ということを否定するつもりはありません。 自身の兄弟姉妹も結婚していますし、甥っ子や姪っ子だって、愛しいと感じる感情もあります。 でも、日々の生活炊事で困るような能力ではないと思っていますし、何より自身がフリーランサーという立場なので、余計に今は結婚などが意識できない状況でもあるのかな?とも思っています。 今回は、バレンタインデーという日に、自身のことを振り返ってみた、改めてのボヤキだと思っていただければ幸いです。

【精神疾患】回復期にすべきこと?した方がよいこと?

精神疾患の治療が始まり、しばらくはとにかく休むことに集中、そして少しずつでも外に出歩けることができれば、いよいよ回復に向けてのリハビリというか、トレーニングを始める方が多いと思います。 私のケースでは、医師からは次の2つを提案されました。 ①毎朝決まった時間に起きて、決まった時間に外出~帰宅、毎晩決まった時間に寝る ②毎日でなくてもよいので、自身にとって良かった事、悪かった事を紙に書き出しておく 私の場合は①は特に実践しませんでした。 通勤が必要な会社員へ復職されることがある方には必要なのかもしれませんが、この回復期に入った私はこのとき既に会社の退職と、フリーランサーへの転身を見据えていたので… で、②については数ヶ月間だけ実際に実践してみました。 これは、通院時のカウンセリングの材料にもなり得ましたし、逆に「毎日」と強制されていれば逆に私はやらなかったでしょう。 しかし色々な方に話を聞くと、毎日この②を実践するように奨める医師も中にはいるそうです。 …個人的には、毎日、良い事、悪い事なんて、そうそう起伏のある日々を過ごしている方の方が稀だと、個人的には思ってしまうのですが… 他にも話を聞いた中では、①に近い話かと思われますが、平日は決まって図書館へ通うなどのトレーニングを経験した方もいるようです。 私の罹患中は、文字がゲシュタルト崩壊を起こしている時期もあったので、なかなか考えられないことでしたが… こうしてみると、これらも共通の回復方法ではなく、個々に異なる場合が多々あると言うことに気づかされます。 要は自分で考えて、自身で思うように行動できれば、かなり回復期も進んでいるとも考えられるのですが。

【日常】なかなか日本に浸透していないと思われるプリペイドsimカード

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携帯電話・スマートフォンについて、今では、少し海外にいくくらいであれば、私はキャリアのローミングサービスを使用する事もあるのですが、一昔前では、現地の空港でいわゆるプリペイドsimカードを購入して利用することもありました。 そもそもプリペイドsimカードとは何かというと、決められた期間内で決められた容量、ギガ数が既にチャージされているsimカードをあらかじめ購入できるというものです。 実は日本でも家電量販店やコンビニなどでこのようなサービスがあることはあるのですが…海外でのそれとは少々事情が異なっています。 日本の場合は、まずほとんどsimカードを店頭でおいているケースが無いです。 事前に店頭で利用する容量と期間を決めて金額を支払い、ネット上でこのサービスを登録して、後日初めてsimカードが手元に届く場合が多いようです。 また、利用期間も月単位のものが多く、日本に短期滞在する方々は少々使いにくい面があるかもしてません。 私が見た限り、一昔前のことではありますが、欧米の場合はこれと異なり、店頭で決められた日数、容量が既に設定されているsimカードが店頭で販売されており、現地に着くとこれを買い、simカードを入れ換えて使用したことがあります。 期間も1週間単位くらいからのものがあり、自身も1週間未満での滞在もあったことから、気軽に利用できたことを記憶しています。 このように、プリペイド…という考え方自体も、日本と欧米では異なっている部分があるのだと思います。 確かに日本でのプリペイドケータイ…などというと、使い捨てで犯罪に使われた報道も過去にあったことから、あまりよいいイメージを持つ方も少ないと思います。 だから現在にような、使うまでに少々複雑な手続きを踏んでのサービスが展開されているのでしょうけれど。 海外への短期滞在の方や、逆に海外在住で日本への一時帰国が多い方など、プリペイドというのは必要なサービスだとも思いますので、今後も注視したい展開があるかと思います。

【日常】南町田クランベリーモールへ

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今日も少しばかりの遠出で南町田クランベリーモールへ行ってみました。 今回は初めてで、電車にて出掛けたのですが、ここは駅を出てすぐのショッピングモールなのですね! 平日にも関わらず、子連れの方々や、ペットの犬をつれた方なども多かった印象です。 郊外のアウトレットモールなどよりは規模が小さかった感じですが、反れでもちょっとした買い物や食事には困らず充実していました。 超個人的な、たまにの遠出外出シリーズですが、よいものですね~

【日常】マスクが売っていないんです…問われる日本人の民度

昨今話題の新型コロナウイルスの影響で、この数日、薬局やコンビニ、100円ショップなども覗いてみましたが、やはりマスクは売っていない場合が多いようです。 仮に売っていても、一家族で一つとか、朝から入荷待ちで薬局に並んでいる列までもできていた光景も目にしました。 一方で、インターネット上のフリマサイトやオークションサイトでは10倍以上の値をつけている、いわゆる「せどり」販売も横行していることが目につきます。 私は上記を頭ごなしに悪質と否定はしません。 要は需要と供給を見て、これをチャンスと見た人がいたに過ぎないことだとも思っています。 問題はこの様子を報道するTV各局やネットニュース、あとは元々のマスク需要を見越せなかった各メーカーの動きです。 前者は、このような報道が過熱すれば、模倣する人が増加することは見越せたでしょう。 なのに毎日のように、同じような報道を続ければ、需要が満たされるまでは、「もしかしたら私も稼げるかも…」的な思想を持つ人が増加するのは当然です。 後者はメーカー側の打算もあってのことなのか?と勘ぐってしまいます。 冬季シーズンを迎え、これからは花粉の季節なのに、在庫が枯渇するということは、どこかで在庫をため込み、高騰するのを待っているのか…あるいは中抜きで在庫の流出が起こっている可能性すら頭によぎります。 私は、マスクを高い値段で売り付ける人よりも、上記のような2点の方が民度の低いことをしているのだなあ…と感じてしまうのです。 今シーズンは花粉も少ないなんて予測を耳にすることがありますが、その頃にはこのようなことは解消されてほしいと切に願うばかりなのでした。

【日常】グループなのか、ソロなのか

今回はアイドルに限った話ではありません。 働き方についても、グループとして結果を出すのに向いているのか、または個人として仕事をするのが向いているのかということです。 私の現状は、結果的に後者を選択している現状です。 正直、会社人時代も上司からよくグループとして結果を出すように言われたことがありましたが、未だにその方法がよくわかっていません。 こう言うと、社会不適合者見たいに聞こえてしまうかもしれませんが、私は要は適正の問題だと思っています。 組織やグループの中で輝きを見いだし、成功する人も確かにいると思いますし、それを否定する気はありません。 しかし私の場合は、思い返してみると、会社員時代もある程度の裁量を持って仕事をしていたときの方がうまく業務を回せていた気がしますし、フリーランスとなった今でも、この働き方がまるで適職だったと思えるほど、うまく仕事で活きていると思っています。 個人としての仕事で生きていくと、確かに時には責任の重いときもありますし、面倒な事もないとは言えません。 でもこれらを含めて、働き方や日々の生活を、誰に指図や指導を受ける訳でもなく、自身で考えながら物事を色々と組み立てていく楽しさはあると思っています。 正直、まだフリーランサーとしての経験は浅い方だと思いますし、偉そうなことは何も言えませんが、何年も続けてきた会社員人生を否定してでも、私は今の方がだいぶマシだと考えます。 私の場合は、会社や組織の中ではなかなか結果が出せず、フリーランスとしてようやく手応えをつかんだ…という極端な例なのかもしれませんが、今の時代、より多くの方が個々人にあった生き方のできる社会へ…と日々祈ってやまないことは確かなのです。

【過去】ハローワークと本音

私は過去に2度ほど、職を離れていた期間にハローワークを利用したことがあります。 主な利用理由は雇用保険の失業給付のためですが、実際にハローワークでいくつかの求人を見たこともあります。 当時からハローワークの求人は検索機による条件など絞りこんだ求人を見て、時には検討してみたり、窓口を利用して求人内容を詳しく聞いてみたりとしたこともありました。 ちなみにですが、私が利用した当時は検索機で検索して、雇用保険の実績として受給資格者証に判子を押してもらう形で認定をいただいていたと記憶していますが、今では更に窓口で職業相談として出向いてから判子を押してもらい、実績認定するという流れだそうです。 話を戻しますが、私が実際にハローワークの窓口を使ってみての応募には至ってはいないものの、相談ベースであれば、よく耳にするような悪い噂は特には感じませんでした。 例えば、よく国がしていることなので、あまり真剣に取り次いでくれないとか、態度が横柄だったとかは、私の知る限りではなかった気がします。 代わりに、明らかに質の悪い求人、嘘だろうと判るような内容だとか、窓口の相談員も言っていましたが、小規模で融通の聞かない会社の求人はどうしても多くなっているとの事情はあったようでした。 とはいえここ10年前くらいの話なので、今では更に改善されている部分も多いかと思います。 なぜ今さらハローワークのことを、と思われるかもしれませんが、今では利用する側ではなく、逆に仕事としてハローワーク利用者の方々から話を聞く機会があったからです。 転職サービスはインターネットを軸に多くの人材企業が参入していますが、これらはあくまでビジネスで求人企業が掲載のための費用を出して求人広告を掲載しているという側面もあります。 例えばですが、大企業の求人はインターネットでの転職サービス、小規模企業の求人はハローワーク…など分けて利用するのもまた、今では賢い転職活動の手段なのかもしれません。

【精神疾患】処方薬のなくなる怖さ

よく精神疾患の通院時に、どうしても次の予約まで間が空いてしまうため、薬の処方が途切れるような状況が発生してしまうことがあります。 親切なクリニックであれば、緊急的な措置として、電話診療など通院での診察なしに処方箋をいただける場合もあるようですが… こと、抗精神薬についてはその治療の特性から、急に薬が途切れる、断ってしまう状態をよしとしていません。 これらの処方薬は、常備薬のように即効性ではなく、服用を続けることによって、その効果が少しずつあらわれるものも多いからです。 ですので、断薬するときにも、少しずつ服用量を減らし、薬のない体の状態を作っていく必要があるのです。 薬の急な断薬は、状態を悪化させるばかりか、さらに状態の段階を落とし、最悪の状態と思っている以下の状態まで体調を落としてしまうことまであるそうです。 場合によっては、このような状態から更に薬を処方され、過剰摂取して、さらに段階を落とすような負のスパイラルが続いてしまう人もいるようです。 ですから、こと精神疾患に関しては、必ず定期的な通院をして、決められた処方薬を決められた分量だけ飲みきり、日々の生活をしていく必要が、絶対的にあるのです。 上記の通り、規則正しく管理できるのであれば、処方薬がなくなるという焦燥感にかられる事もないですし、少なくともこの部分は悩まずに治療に専念できます。 どれだけ悩まずに治療に専念できるかも、精神疾患では大切なことですので、小さな悩みもひとつひとつ取り除きながら、治療に専念できる環境を作るようにしてください。

【日常】ネット上では常識が非常識になる?

日々のインターネットに触れていると、現実世界のそれとは常識が異なる場面を多々目にすることがあると思います。 例えばクラウドワーカーの方であれば、素性を示さずとも仕事に携われる場合もあるでしょう。 会議や面談も声だけだったり、日々のやり取りもメールなどの文章のみという方も少なくないのでは? この例の場合は、求められているものが素性よりも、スキルなどに重きを置いているため、またインターネット上の匿名性も相まって、成り立っていることなのだと思います。 現実世界へ目を向けてみると、会社へ入社するのであれば履歴書で自身の素性を示すのは当然なのでしょう。 企業によっては住民票や戸籍を求められる場合もあります。 面接だって、基本は対面で行うの場合が大半でしょう。 このように会社で社会活動を行うのであれば、自身の身分を明かして仕事に就くというのが常識となっています。 上記の例で、このように解離のある常識があるのですが、この差を埋める方法はないのでしょうか。 私はこの第一歩として、昨今話題のテレワークが位置付けられていると考えます。 テレワークでは、自宅にいながら仕事を進めることができますし、会議などにもオンラインで参加することができます。 しかしながら、企業によってはこれを嫌がる場合があるのも事実です。 彼らの言い分は、勤怠時間を管理できないから…会社に出社して仕事をするのが常識というレッテルを掲げるのです。 でも、考えてみてください。 有事の際、東日本大震災の時を思い出してみると、運行しない電車の駅でうろたえるサラリーマンを目にしたこと。 彼らにとっては仕事=会社へ行くこと、だったのでしょう。 実際にこのときも、テレワークで対応できたのは、ネットのインフラを整備して備えていた一握りの企業だけでした。 これらの常識を非常識と考えるかは、あなた次第ですが、常識というのはその人にとって都合のいいものとも思えるので、私自身は常に疑いを持つべきものと考えています。

【日常】能ある鷹は爪を隠さない?

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日本のことわざに「能ある鷹は爪を隠す」というのがあります。 私はこれは能力のある人は、それを大っぴらに出すことはせず、または人に見せつけるようなアピールをしない人格者…と解釈しています。 しかしながら昨今、標題にある通り、能力のある人間はそれを最大限に活用して、世間にアピールし、生活力をつけていく、というような潮流もあるのかなと思いつつあります。 例えばある著名人(アイドルやユーチューバーなどに置き換えてイメージしてみてもよいかも?)が、過去には家に引きこもってばかりのインドア派で…何て話を耳にすることがあるかと思います。 それでも彼ら、彼女らは明確な目的を持って、努力しながら目標に突き進み、著名になりました。 これがもし本当に何もしたくない引きこもりであれば、動く努力もせず、著名になるなどあり得ないことなのですから。 本当に著名人になれた一握りの人は、持てる能力を最大限に使って、その能力を隠すことなく、ただただ目標に突き進んだ結果なのだと思います。 でも、これらの逆も考えてみてください。 要はある環境下において、必要な能力に恵まれず、それを隠しながらでも突き進めなくてはならない状況だったら…ということです。 こういう状況に陥った人は、単にその環境で能力が発揮できなかっただけかも知れず、他に才能を持っていることに気づいていないだけかもしれません。 また、能力を発揮できていないことを回りに悟られない…これだけでひとつの才能と言えるのかもしれません。 もしかしたら、今の私もそんな状況に遭遇していた可能性も大いにあります。 このように「能のない鷹は爪を隠す」は、決して悪いことでも恥ずかしいことでもないのかもしれません。 今の時代、「能ある鷹は爪を隠さない」に越したことはないのでしょうが。

【過去】会社に立ち向かった人の話

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サラリーマンというのは安定的な生き方と思いきや、結構厄介なはみ出しもの的な生き方をする人も中にはいたりして…今回は過去の私の会社員時代にあったお話をひとつします。 私は以前、とある会社にいたときに一時期だけ出向という形でその会社の子会社で働いていたことがありました。 親会社はいわゆる殺伐とした皆が忙しそうに動いている雰囲気の会社で、会議などでも皆が静か上長の報告を聞いているような感じ… 子会社の方はというと、殺伐で忙しそうと言うよりは、個々に集中して業務に取り組んでおり、会議でも結構フランクな形で議論しているような雰囲気がありました。 私は同僚と3名で2~3年ほど、上記の子会社に出向していたのですが、出向期間を終えて親会社に戻ったとき、ある出来事が起きました。 人間、慣れというものほど怖いものはありません。 共に出向していた同僚は管理職に昇進して、子会社の文化や方法で部署を変えていこうとします。 しかしながら、彼の上司はそのやり方に猛反論で、今までのやり方に合わせろと言わんばかりでした。 同僚の彼いわく、今までのやり方では、会社の歯車にすぎず、創造性や本質的な問題解決の意識が持てないとのこと。 しかし彼の上司は、今までのやり方で大きな問題は起こっておらず、業務に滞りがないので余計なことはしなくて良いとのことです。 私自身は事の顛末を待たずにその会社を退職したため、その後どのような展開をむかえたか、知る由もないのですが、今ではその会社の経営陣も交代しており、同僚の彼も一時期だけ執行役員として名を連ねていたときがありました。 文章の途中にも書きましたが、人間の慣れというものは厄介なものです。 例えば、無事にサラリーマンを数十年勤めあげた…という人がいるとします。 その人は仕事で何をしたかと聞かれれば、声高々にいくつもの実績を述べるでしょう。 しかし、その人は勤めあげた会社にどのような影響を与えたかを聞くと、答えられる方は一気に少数になるかと思います。 そのくらい、組織の中にいると、その環境に馴染んでしまい、客観的に何かを変えるという思いなく、どれだけこの環境で続けるかという方向に考えが向かってしまうことが多いかと思います。 上記のような思考だと、組織の一員のサラリーマンとしては最適な部分があるのかもしれません。 しかし何か新

【精神疾患】何もできない、したくない…

精神疾患を患うと誰しもが通る道ですが、動きたくないし、ただ何もせずじっとしていたい瞬間があります。 これは人によっては長引くことも少なくありません。 当然ながら、仕事もできず、日々を過ごして行くのだけがやっとの状態。 休職しても、傷病手当は出ますが、これは1年半が限度で、この時間だけでもとに戻れる人はまた限られた人といっても過言ではないでしょう。 就業不能保険などもあるようですが、これも同じく精神疾患の場合は支給期間に限度がある場合がほとんどのようです。 ご家族がいる場合には、収入補償保険もあるようですが、独り身の方は最終的に実家に頼る方も多いようです。 しかしながら、本当に働く意欲が減退してしまった方は長期にわたり、アルバイトでさえ足を延ばせない実情もあるようです。 精神障害者として認定されれば、段階により障害年金の対象となる場合もあるようですが、同時に仮にいざ働ける状態となったときにその間口が一気に狭くなっている現実の壁に突きあたる方もいるそうです。 障害者として雇用されれば、時間的な融通はきくものの、その分の収入は健常だった頃と比べると大きな開きが出てしまうということです。 私のようにフリーランサーで常に副業状態に至ればまだましなものの、企業に再就職してしまうと最低限な生活は送れるのかもしれませんが、まず副業をしようという余裕もあまり考えられないでしょう。 上記、決して私のような転身や生活を奨めるわけではありません。 私だって時に最低限度ギリギリの生活を経験したこともなきにしもあらずです。 しかしながら、昨今での社会の潮流として、企業の副業解禁や、同一労働同一賃金の流れがあるなかで、精神障害者の社会的な向上も少しずつですが見えてきているのではないでしょうか。 未だに精神障害者への偏見や、犯罪的なイメージもまだあるのが事実だと思います。 しかし、前にも述べましたが、犯罪は健常者が起こしているものが遥かに多いという事を忘れないでください。 今年はオリンピックに続きパラリンピックもあるので、障害者にとって、良い社会進出のきっかけが生まれる年になって欲しいと切に願うばかりです。

【日常】感染列島パンデミックの日本

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昨今、新型コロナウイルスの感染が世界規模で日々報道されています。 私たちの日本でも感染を赦し、広がりつつある状況をニュースで目にすることが多いと思います。 発祥と言われている中国の武漢市より現地邦人の帰国も始まってきている状況ですが、彼らの中にも感染が確認されていると言われています。 私はこの帰国自体は何ら否定する気はありません。 彼らも感染地から逃げ出したい一心で帰国を希望した気持ちも理解できます。 しかしながら今回のウイルスは発祥までの潜伏期間がある程度あり、既に感染している状態で飛行機に乗り帰国…結果ウイルスを国内に持ち込むリスクもあるのは事実です。 話は変わりますが、現在の日本には戒厳令や非常事態宣言にあたる法令はありません。 例えば外出禁止令などを実施しようとすると、日本は災害対策基本法により内閣総理大臣が発でなければ実施できません。 これにより安易な空港閉鎖や、経済活動の停止などが避けられる側面もあるわけですが、パンデミックとなると話は変わります。 誰しもが感染する治療方法の確立されていないウイルスの蔓延や、今回は異なりますが仮に致死率の高い感染症が広がった場合、どのような対策をとるか、国の舵取りと、個人の万全な対策があったとしても防ぐのは難しい状況も出てくる可能性が今後はあると思います。 今回の件で何か教訓を得られれば、それを最大限に今後にも活かしていくべきですし、我々個人も深く思慮する必要がある出来事になるのだと思います。

【過去】最近のWebデザインについて

自身はWebのデザインや制作から離れて数年たつのですが、いまだにコンサルティングやディレクションの立場でデザイナーなどの制作側とかかわる機会が時々あります。 これらの制作陣の声を拾うと、たまにそんなことまでするの?という事がいくつかあります。 上流行程から仕様やラフ案がおりてきて見てみるのですが、まず「レスポンシブデザイン」であること。 これって言葉の響きや、ただの流行に流されていないかってことです。 確かに「レスポンシブデザイン」が制作過程で有用なサイトもあるでしょう。 でも、デザインも完成していないのに、これってどういうことでしょう? もちろん、見るデバイスによって表示が崩れないことは最低限必要ですが、そもそも私の意見ですが、スマートフォンで見るWebサイトって、デザインなどある必要がないと思っています。 また、別の理由で制作陣を泣かせる場合もあります。 明らかにテキスト量、画像量が多いのに、レスポンシブデザインを求めること…これは矛盾です。 これならば正直、私はデバイス別のページを作るべきだと思っています。 確かにGoogleはレスポンシブなウェブサイトを推奨はしていますが、レスポンシブじゃないからといって評価が下がると言っているわけではありません。 小手先のテクニックでSEOをしようという方がよほど悪質です。 まあ、このような話の場合に私が入って制作側の立場で上流行程の方々をなだめることも多いのは事実ですが… 一時期Flashによるホームページが流行していましたが、正直今では一部を除き、かなり淘汰されてきていると思っています。 このように、Webデザインも流行に乗るだけでなく、本質的にどのように使うものかを考えて制作したいものです。 真面目に正しく制作したものであれば、Googleだって決して悪い評価はしませんから。

【過去】保険契約は保険ショップじゃないところで

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少し前に論じました「 保険ショップが跋扈する理由 」でも書かせていただきましたが、彼らの事業が成り立っているのは、契約時の手数料です。 本稿ではもう少し掘り下げて、金融関係の会社へ勤めていた当時の私の意見や、同僚の保険ショップ担当者の主観も含むので、必ずしも今現在の事実とは異なっている場合があるということをあらかじめことわっておきます。 保険ショップの命題はいかに無料相談を受けるかではなく、あくまでそこで契約をいただくことです。 保険ショップにいる彼らは、無料の相談を行い、現在契約中の保険よりも、更に相談者へ合った保険を提案するというのが一般的な流れだと思います。 相談員は基本的にノルマといったものがないそうですが、その裏では何の保険を契約いただいて、どのくらいの手数料を挙げているかが挙績という形で出ています。 これらが人事考課などで彼らのお給料に反映されていく仕組みだとイメージしてください。 ですから保険契約の変更をまず念頭に置いて話す相談員は要注意です。 保険契約の乗り換えを奨めるような勧誘は、保険業法でハッキリと禁止されているからです。 ですが、市場心理や同業他社との競争を考えれば…言わずもがなな保険ショップの相談員はどうしても出てきます。 また、保険の契約手続きというのは以外と面倒で、手伝ってもらいたい…という心理に突き入るのも保険ショップの特徴です。 どうしてもというのであれば、かしこく使うのは、本当に無料の相談だけを保険ショップで行い、手続き等は持ち帰って自身で保険会社へ直接行うという方法でしょうか。 結局のところ、契約書類は自筆で書かなければならないものですし、何より我々の見えない手数料というのに気を配る必要がないですからね。 最後に何故、ここまで保険ショップでの契約を勧めないのか、間に入る不透明な手数料もさることながら、定期的な見直しを促されたり、間を挟むことによってその文の時間を要する事があるためです。 これは同僚から聞いた話なのですが、お客様から一向に保険料が引き落とされないので不審に思い、保険ショップにヒアリングすると手続きを放置していたとか、契約の謝絶があった事実をお客様に連絡していなかったということが、ままあった事があるそうです。 ですので、重要な契約は自身の責任で、完璧に理解してから行った方が良いと

【精神疾患】メンタルクリニックでの混雑

私が通院していたときの話になりますが、昨今メンタルクリニックや心療内科というのは非常に混雑しています。 例えば予約時間を入れたとしても、そこから1~2時間待つのは当たり前で、混雑がひどいときには、半日くらい待つことも… では、何故メンタルクリニックは待ち時間が長いのか、答えは簡単で、診察にかけるカウンセリングの時間がかかるからです。 普通の内科といえば、問診と言ってもせいぜい5分がよいところ。 (メンタルクリニックにも診察時間が5分くらいのところもあるようですが…) 私の通院していたメンタルクリニックは一人にかける診察時間が大体15~20分くらい。 これを1~2名の医師で日々行っているクリニックでしたので、待つのは当然の環境でした。 (もちろん医師とは別に数名の臨床心理士も常駐していましたが…) 回復期にあるときは特に問題なかったのですが、罹患した当初の通院はどうしてもソワソワした焦燥感にさいなまれながらの通院でしたので、個人的には結構大変でした。 特に処方箋や診断書は医師の診察でないと出せないので、臨床心理士の方々で代わりに…というわけにもいかず。 休職に入って診察日を平日に変えてから、多少は混雑を軽減できる日を選べるようにもなりましたが、連休明けなどはやはり混雑に悩まされたときもありました。 今から思えば、ある意味、混雑が苦にならなくなったことが、回復の一つの兆しではあったのですがね。

【日常】シニアの活躍できる場

人生100年とも言われる今の時代、第二、第三の人生を謳歌する方々がいる一方で、定年後の人生を生きるための準備や貯蓄が欠かせない時代ともなってきています。 多くの人は60~65歳くらいで定年を迎えるでしょう。 しかしながら、 年金の受給は今後、75歳から…になるとも一部では言われています。 更に今は退職金があるのは一部の大企業のみで、ほとんどの企業ではないのが実情です。 では定年を迎えたときにどうすれば良いのか、先に話した準備や貯蓄があれば良いのですが、現代社会はそれも厳しい世の中です。 うまく嘱託社員として雇用を続けられた方々は別ですが、実際には会社を興したり、自営業を始めたり…と働き手として続けなければならない現状もあるようです。 ここは国も腰をあげなければならないところだと思います。 人手不足が叫ばれている昨今、彼らの活用というのも真剣に検討すべきだと思います。 しかしながら、企業はまだ、若年者を安価な労働力として使おうという考えがある限りは、シニア世代の活躍というのは社会には浸透しないでしょう。 私の周囲に話になりますが、実際にフリーランサーの方の中にも60歳を超えている方というのはいます。 実際の話、クリエイティブな発想を持つ方々であれば今後はこのような方も増えてくるのではないかと、私は思っています。

【日常】正社員でいることの不便さ

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以前にこのブログで「 同一労働同一賃金って本当に実現できるの? 」について論じましたが、これに関連して、不穏な動きが見られてきているようで、私の仕事の中でも話題に上ることがいくつかあります。 今までは、正社員でいることで、給与の優遇はもちろん福利厚生の充実や、ある程度の雇用の保障もあったかと思います。 同一労働同一賃金の改革で、これらが非正規の社員に適応されるのが理想の政策とはされているのですが…現実は異なる動きが出てきているようです。 上記とは逆の動き、つまり非正規社員の現状に、今の正社員の扱いを合わせるという動きが出てきているところです。 実際に一例として、日本郵便は先んじてこの動きが出てきているそうです。 同一労働同一賃金には特に罰則が規定されているわけではありません。 ですから、非正規社員の待遇を正社員に合わせるより、企業としては人件費のかからない非正規社員の待遇に正社員を遇わせていくという流れは当然ながら出てくると思います。 では今後、正社員で居続ける意味はあるのでしょうか。 本当に上記のような流れが主流になるのであれば、収入は減り、リストラされやすい立場で働き続けることとなってしまいます。 これからは社員という考えではなく、何かが一つでも尖ったスキルがあれば、それを活かして仕事をしていく、というスタイルがより増えていくかもしれません。 フリーランスの場も、もしかしたらより激化してしまうのかもしれませんね…

【日常】スーパーマーケットの利便性

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スーパーマーケットは誰しもが利用する場所だと思います。 日用品から食料まで、自身の住む近隣にあれば、便利この上なく、毎日利用する方も多いのではないでしょうか。 そんなスーパーマーケットにも進化というか、大きな変化が昨今では起きてきています。 まず、昨今話題のレジ袋の有料化。 これは携帯型のトートバッグやエコバッグで私は代用していますが、時代の流れを見れば当然の事なのかもしれません。 また、セルフレジというのも最近では増えてきています。 これは無人のレジで、バーコードや量りでの重さを通して会計するといったもの。 私の近隣のスーパーマーケットでも対応しているところがありますが、まだまだ対面レジと併用しているとことがほとんどで、完全無人化は少し先の話になるかもしれません。 他に、都心部のスーパーマーケットなどでは配達のサービスも一般的ですし、少し地方のスーパーマーケットでも車があればある程度のまとめ買いでも利便性があるので、生活に根付いた商店と言っても過言ではない気がします。 最近ではネットショピングでも定期便などのサービスがありますが、スーパーマーケットのチラシを見る機会があると、やはり自分の足で労力がかかってもスーパーマーケットに足を運ぶ私がそこにはいる気がします。

【精神疾患】ゲシュタルト崩壊を起こしやすい日本人

ゲシュタルト崩壊とは…あるまとまりのある構造のものが突如としてそのまとまりが失われてしまい、バラバラに切り離されたものとして認識されてしまう現象のことを言います。 自分で書いていて何の事?みたいな感じですが、例として、以下の数行を最初の一文字から順に何分間か凝視し続けてみてください。 仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏仏 …単純な仏(ほとけ)という文字の集合体ですが、ある瞬間、突如としてこの文字を認識できず、カタカナの「イム」と見えてしまった人もいるのでは…これが「ゲシュタルト崩壊」の一例です。 これは漢字やひらがな、カタカナを使う日本人には起こりやすく、アルファベットを使用する欧米の方々には起こりにくいという一説もあり、健常者でも起こりやすい人と、全く感覚として感じられない人に分かれるそうです。 で、私の場合ですが、自身の趣味のひとつに読書があるのですが、精神疾患の罹患時にこれが全くできない時期が一時期ありました。 要するに、本の文字を読んでいくうちに、これが文字と認識できなくなり、ただ何かが羅列しているだけのものと感じてしまうのです。 最大は新聞で、文字がぎっしりと埋め尽くされている紙面を読もうとすると、全く意味をなさない文字の塊となってしまい、読めないのです。 私の場合はこれらは一時的なものでしたが、精神疾患の経験者の方の話を聞くと、少なからず同様の経験をなさった方々もいました。 しかしながら、精神疾患との因果関係は未だにまだ解明されてはいないようです。 やはり、この辺りは個々の感覚にもよるかと思いますが、昨日投稿した、「 デジャヴ(既視感)の感覚 」と共に感じる人は感じますし、感じない人は全く感じないことなのだと思います。

【精神疾患】デジャヴ(既視感)の感覚

まず、デジャヴというのは「既視感」のことで、現実にはじめて見聞き経験したにもかかわらず、過去にそれを経験したように感じることです。 これは、夢や錯覚とは異なり、あくまでその感覚を神経が感じてしまうことと言われています。 よく精神疾患を経験するとこれらの経験をする方が多いとの見解もあるようですが、一般の健常者の方々でも約7割の方が経験しているそうです。 精神疾患を罹患した場合、治療薬による悪夢の症状もあるため、先に述べた夢による錯覚とは混同している可能性もあります。 しかしながら、精神疾患を経験した方の多くはデジャヴを経験した…という話も聞いたこともあるので、これはあながち嘘とは言い切れない側面もあると思います。 人は考えたことを実現しようとします。 その過程で、イメージしたとおり、そのまま寸分の互いなく実現したとします。 実はこれをデジャヴと感じる人も実際にいるそうです。 考えていたイメージが強ければ強いほど、こういったことはあるそうです。 最初にも述べましたが、デジャヴはあくまで神経の感じる感覚だと今は言われていますが、その本質は人の考えるイメージや思考などが根っこにある可能性もあるのではないでしょうか。 また、何かの変化の際にも感じることが多いと言われているデジャヴ、これを読んだあなたも感じたことはありますか?

【過去】保険ショップが跋扈する理由

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私が過去に金融関係の会社で働いていたときの話です。 この会社では保険も代理店として販売している事業がありました。 保険と言えば、多くの方も保険会社や保険代理店で契約するのが今では一般的だと思います。 保険会社の保険商品というのは、皆さんが毎月契約後に支払う保険料で成り立っています。 では、保険の代理店や、昨今町中でも見かける保険ショップというのはどのように成り立っているのでしょうか。 答えは簡単で、販売した保険商品に対しての手数料で成り立っている事業なのです。 銀行を利用する際もATMお金をおろしたり、振り込みの際は時間帯や日によっては手数料が発生することがあるでしょう。 これと同様で、例えば保険ショップなどでもお客様に保険商品の契約をいただいた際には、販売商品に応じて、手数料が支払われる仕組みがあります。 保険ショップは昨今、CMなどでも目にする機会が多いかと思います。 実のところ、これほどの広告費をかけられるのは、やはりその手数料の大きさに比例しているところもあるというのが実情のようです。 保険代理店や保険ショップがある保険商品をご成約いただいたとします。 するとお客様は毎月、契約した保険会社へ商品に応じた額を毎月支払うこととなります。 で、手数料というのはこの毎月の支払いに対しても発生していて、今ではどうかわかりませんが、お客様の支払われ多額の半分から100%にほぼ近い手数料が発生する商品も過去にはあったくらいです。 このような商品があるため、以前は多くの手数料が望める商品を優先的に販売するようなライフプランナーが跋扈した時期もあり、問題になりました。 考えてみてください、先に述べた銀行での手数料が一回数百円でもあれだけのメガバンクが存在するのですから、上記のような形で手数料を得る保険ショップなどは、毎日のように今のようなCMで広告を打つことは言わずもがな…な訳です。 私自身は直接この保険販売や、保険ショップの事業に関わったわけではありませんが、会社に在職中も金融庁による多くの問題の指摘や規制を耳にすることがありました。 最後に一言、保険代理店や保険ショップでの無料相談が成り立っているのは、販売の際の手数料で成り立っているから…これを理解した上で保険に対しての相談というものを是非考えてみてください。

【過去】ノマドワークで騙されないために

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私がノマドワークしていたとき、かなり怪しい案件への誘いがいくつかあったことがありました。 まあ、フリーランサーを自称している今も、ノマドと言えばノマドであることに変わりはないのですが…今回は自身の経験を踏まえてその特徴などを中心にいくつかご紹介したいと思います。 いかはあくまで一例ですが、列挙させていただきます。 ・明らかな簡単作業でありながら、報酬が高額 ・コピペのみという内容 ・契約前、具体的にどのような作業が発生するかの説明を示さずに、SNSなどのIDを聞き出そうとしている ・具体的な内容を示さず、違法性がないことを強調している ・まずはセミナーや説明会を受けてからと言って、何をするのかを一向に教えようとしない。 …基本的にこれらの誘いや案件には乗らないことです。 下手すると、ネズミ講やマルチ商法などに加担するはめになってしまうこともあるそうです。 そもそもこれらのノマドワーカーに対するクラウドワークの案件は、どうしても依頼者側が利を得るような構図で成り立っていることが多いです。 ですので、それだけ安価な案件も多い分、高額な案件となると、逆に依頼者側が稼げる上記のような案件が多いのも事実です。 今では、依頼者側の実績や、本人確認、また、こちら側から秘密保持契約を含めた諸契約も結ぶことができるサービスもあるようですので、クラウドのお仕事初心者の方はこれらを利用するのも良いかと思います。 適正なお仕事を適切な形でこなすのもノマドワーカーとしての立場を守るためには必要なことですので、本件もその一助になれば幸いです。

【精神疾患】介護と介助とプライド

私自身、介護と言えば、自身の祖父母で親の手伝いで関わった程度のものですが、精神疾患の現場でも介護や介助の必要な方という場合があります。 多くの方が介護と言えば、お年寄りの方の介護をイメージすると思います。 この場合、要支援から要介護まで、段階を分けて、受けられるサービスが異なります。 精神疾患の場合は、もし精神障害者と認定されれば、その制度に応じた支援を受けることができますが、中には前述で述べた介護が必要となってくる精神障害者の方も中には存在します。 そしてお年寄りの方の介護と同様なのですが、中には見た目には健常者の方と変わらず、プライドも高いため、こういった国や市町村のサービスを積極的に受けようとせず、遠慮する方も多いそうです。 確かに、ある一定の体調や時間であれば、健常者と同様の生活が送れているのかもしれませんが、いざというときに家族や周囲の人間のことも考えれば、あまり言葉のイメージとして良くないのかもしれませんが、介護や介助の支援サービスは当人が考えているより、メリットがあるものだと私は思いました。 以上、ワークショップで見聞きしたお話となりますが、書き留めておこうと思い、この場に残させていただきました。

【過去】逮捕経験のある方への取材

私は過去にWeb記事の執筆のあたって、何らかの理由で逮捕された方への取材をしたことがあります。 この場では詳しい説明は省きますが、簡単に言うと無論、送検~起訴にあたらない方々で、主に軽犯罪から、暴行罪や器物損壊罪、公務執行妨害罪…などで逮捕された方々です。 まずはなぜ彼らが逮捕に至ってしまったのか、主には職務質問に対しての抵抗や、ストレス過多である一線を超えてしまったなどの理由がありました。 確かにストレスから、といった理由は多く、仕事や会社に対して、現代社会を象徴していると思われる事由が多々見られました。 話を続けますと、現行犯で逮捕となった場合、よくあるイメージでの手錠による拘束などはほとんどないようです。 手錠をかけられるのは、事前に逮捕状が出ていて、直接留置場などに連行される場合が多いようです。 で、まずは最寄りの交番などで簡単な聴取と所持品の検査が行われるようです。 それが済むと、ほとんどのケースでは更に逮捕された場所の管轄する警察署に連行されるようです。 ここでよくある警察の個室に通され、本格的な聴取が行われます。 この聴取は場合により数時間~一両日ほど続いたという方もいました。 更には顔写真の撮影も行われ、警察のデータベースに登録される作業もこのタイミングで行われるそうです。 軽犯罪であれば、数時間の取り調べと事情聴取ののち、解放されるようですが、その犯罪が起訴された場合は後日、裁判所への出頭などが生じる可能性があるそうです。 また、被害者や損怪物のある犯罪の場合は、実況見聞などで立ち会わされることもあり、犯罪現場で別途、写真の撮影に応じる必要もあるようです。 彼らに共通して言えるのは、私の取材した方々は至って普通の人間だったということです。 逮捕の事案後に仕事を辞めざるをえなくなった方や、精神疾患を患った方もいましたが、町中にいれば普通に歩いているような方々なのです。 彼らは口を揃えて言っていましたが、私たちはこの社会になかにいる以上、気の緩んだ瞬間、何かしらの理由で、いつでも警察に逮捕される可能性があるとのことでした。 例えば、職務質問に答えるのは任意とされていますが、答えなければ警官は次々に同僚を呼び、しまいには公務執行妨害、また体に触れようものならば、暴行罪というケースもあったようです。 これらとは

【日常】ほとんどの場合が課題を把握していないWebコンサル

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私の仕事の話になりますが、Webのコンサルを請け負うとき、その企業のほとんどがWebの現状の課題を把握していない場合がほとんどです。 もっと手広くサービスを展開したいとか、集客力をアップさせたいとかの要望は多々あるものの、そのために何をすべきか、どのような壁となっている問題があるのか…ここからがWebコンサルタントとしての見せ所です。 まずはアクセス状況の把握は必須です。 必要であれば、アイトラッキングなどのテストも複数回おこないます。 ここではこれ以上は詳しく説明しませんが、上記を含めた結果から、現状のファインダビリティをお出しして、リニューアルが必要かの戦略を決めていきます。 時にはターゲットを変更するためにペルソナを設定してユーザーテストを繰り返し行うこともあります。 リニューアルで方向性が決まれば、ドラフトを出していく…コンサルティングとしては一旦ここで手を離れます。 (離れるというよりは制作側へバトンタッチということです) 時間を置いて、いよいよリニューアルWebがローンチされると、再びコンサルとしてアクセス解析に入ります。 できればリニューアル前と同様の期間での比較が必要なので、その期間分…季節変動もあるので月単位でアクセス解析できれば、といったところです。 で、以後はというと…納得できる結果が出るまで、最初に戻ってこれの繰り返しです。 Webの世界ってデジタル的なイメージが先行しているかと思いますが、ことコンサルに限っては以外に泥くさい仕事なのです。 今回は、Webでサービスの問題を解決したいが何をすればよいか分からない、という方々のために一例を示してみました。 もし、具体的なWebコンサルが必要であれば、私自身にご連絡いただいても構いません。 コンサルティングの始まりはまずはヒアリングからですので、お気軽に。

【精神疾患】個の社会から見る精神疾患

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現代社会は個の社会と言われています。 かつての日本社会は何でも集団で、型にはめ、個を許さない社会でした。 事実、私の学生時代も、部活動などで上下関係がある程度は厳しく、練習方法も型にはめて行うといった時代でした。 今の社会はというと、個性が大事、重要視される時代へと変わってきています。 一部企業などでは、昔ながらで個性というものをはみ出しもの扱いするようなところもあるようですが、社会に影響をもたらす仕組みやサービスは、今や個から生まれる時代と言っても過言ではないでしょう。 この個の台頭により、変革を続けるなかで、精神疾患というものも増えている現状があります。 医学的な関連性はここでは示せませんが、急に集団的活動がよきとされていた状態から、ある日突然、個性をもって活躍してくださいと言われれば、人間何をしてよいかわからない場合がほとんどでしょう。 社会の潮流が変わるのはわかります。 しかし人間には変化に対応する時間が、人によって様々です。 すぐに対応で来る人間が時代を先取り、適応に時間を要する人間が、悩みに悩んで、鬱や適応障害を発し、精神疾患となってしまう側面が少なからずあると思うのです。 これは私の考えですが、社会の流れに即適応できる人々と、適応に時間のかかる人間にある隔てがあるからだと思います。 極論を言えば、適応できる人間は物事の支配的立場となってしまい、それ以外の人間を従わせようとします。 しかし、被支配的人間は理解に苦しみ、何の説明や助けも受けないまま、時間だけが過ぎていきます。 気づくと、自身はかつてはある集団の一端を担っていたはずなのに、突然孤立無援のはみ出しもの、一匹狼みたいになっているのです。 想像してみてください、もし自身がその立場に置かれたら… 相当にメンタルが強い人は別として、普通の人であれば精神的にある程度のところまで追い詰められてしまうのではないでしょうか。 この事実があることに気づいている人間はどのくらいいるのでしょうか。 恐らく国も気づいていないと思います。 精神障害者の福祉は充実させているのかもしれませんが、正直、精神疾患を出さないための対策は、少なくとも私の目には今は皆無に見えますから。 このような問題に対して、どのような答えが出せるか… もしかしたらそれこそが、社会での個に求められて

【過去】本物よりレプリカ品や互換品

私はよくレプリカ品の購入で活用することがあります。 ここで言うレプリカ品とは、違法なコピーやスーパーコピー品などではなく、あくまで公式販売されているレプリカ品と思っていただければ幸いです。 例えば、スポーツのユニフォーム、観戦や応援用に着用するのであれば、選手支給品と同等の昨日は必要ありません。 中には選手と同様のものでなければ、という方もいるかもしれませんが、安価で洗濯の耐性があるレプリカモデルが同様のメーカーから販売されていれば、私はこちらを購入するようにしています。 また、互換品というものも世の中には存在します。 こちらは家電品などで多くある場合がありますが、高いメーカー性のモデルがやはりブランド力も信頼性もあるのかと思いますが、マイナーなメーカーが出す後発モデルの方が実は自身にとってよかったり、ということも過去にはありました。 この考え方は、ジェネリック医薬品のそれと似ているようにも感じます。 先発品が一般的なものが、成分や効能が同様で後発医薬品というだけで安価な医薬品を調剤薬局で選択することができます。 もちろん医薬品の場合、先発の医薬品が出てから、後発の医薬品が販売できるようになるまで、薬事法などの関係で一定期間は時間が必要となっていますが… 話を戻しますが、確かに本物を買い、利用するのはロマンがあり、格好のよい生き方だと思います。 しかし、公式なレプリカ品や、違法性のない互換品も、場面によっては利用価値の十分なものが世の中にはたくさんあると思っています。 本音を言えば、いかに節約して潤いのある人生を得るか、こんなときに活用できる品々の選択手段が増えればより良いのですがね。

【日常】エナジードリンクの活用方法

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エナジードリンクと言えば、「レッドブル」や「モンスターエナジー」など、スーパーやコンビニでも販売されているものを多くの方がイメージして間違えないものだと思います。 少しだけ頑張りたいときや、眠気覚ましなどの時に飲用する方が多いと思います。 私も多分に利用している方だと思いますが(私の場合どちらかといえば「モンエナ」派です)、上記以外の場面でも、結構飲む機会があります。 例をあげれば、以下のようなとき。 ・朝の寝起きが悪いとき ・単純に体力的に疲れているとき ・お酒を飲んだ後(あまり気持ち悪くならない気がします) このようなときは結構飲んでいる気がします。 逆に意識的に飲むのを避けるときもあります。 もちろん、寝る前に飲んでしまうと、カフェインのせいか、リラックスが切れて寝られなくなりますし、食事のときも、過去に食べ合わせ次第ではお腹を壊すこともありました。 あと、飲むときは基本、一日(24時間内で)に一本、多くても二本までと決めています。 逆にそれ以上は飲用した記憶がありません。 医薬品ではないのでしょうが、カフェイン効果でアドレナリン過多も怖いですし、実際に飲んだ後は脈の鼓動がドクドクと鳴りますし… また、海外では死亡例もあるとかないとか… いずれにせよ、エナジードリンクもうまく使えば、生活内での一助となることもあるのでは、と思う私なのでした。

【日常】最近のフリーランスの大変さと補償について

最近になって思うのですが、フリーランスやノマドワーカーが私の周囲でも増加傾向にあります。 当然ながら自分で仕事を取っていかねばならないので、しのぎを削るわけなのですが…この影響もあってか、一本の案件の単価が著しく下がってしまう場合があるのも事実です。 そもそもフリーランサーは個人事業主ですので、企業の会社員よりも、社会的な補償の面でも決して優れてはいません。 国民健康保険や国民年金という制度はありますが、大手企業の健康保険組合や厚生年金ほど手厚いわけではありませんし、これらと同等の水準を求めるならば、貯蓄が重要になってきます。 このあたり、会社員時代であれば給与からの天引きで計算されるので、さほど意識はしていませんでしたが、実際フリーランスに転向してみると、税金などで出ていくお金も以外に多いことにも初めて気づきます。 中には例外的に上手くやり繰りして投資に手を出している人もいますが、実際にうまくいっている人はほとんどいないです。 話を戻しますが、フリーランス案件の単価が下がっている問題について、日本の企業ってどうしてもエンジニアやクリエイターを安く使おうとする傾向があります。 これは開発会社や制作会社よりも、事業会社などであれば如実に現れます。 以前にも書いたかもしれませんが、事業会社はその事業には長けているのかもしれませんが、開発や制作に対しての評価が疎く、事業の根幹を支えているにも関わらず軽視している風潮があると思うのです。 私たちフリーランサーも少なからずこのような影響は受けていると思います。 でもこのような状況が続くと、とてもではありませんが経済が活性化するとは思えません。 お金の回るサイクルがなく、貯金はおろか、生活するのにギリギリの働き手も多いと言われているのですから。 そこに、投資を積極的にとか、老後に数千万円必要とか、もはや訳がわからない社会になってきているのでは?と思うのは私だけでしょうか。

【日常】採用広告の是正などについて

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昨年くらいから継続してこのようなコンサル案件が増えてきている気がします。 要は採用広告を出すものの、欲しがる人材が求人へ来ない、また募集要項が関係各所の機関から是正するように勧告を受けている…などです。 前者は若年層の採用を厚くしたいものの、求人へ来るのはいわゆる就職氷河期世代の人材が多いとのこと。 社会の流れを見れば、当然と言えば当然なのですが、企業としては年齢層が高ければ、それなりの給与を用意して、スキルの高い人材を欲しがります。 これが、一般の常識範囲ならば良いのですが、あまりにも高いスキルを要求してくるのに対して、就職氷河期世代の方々はそもそも割りを食う形で人生を歩んでいるので、そこにミスマッチが発生している問題があるのです。 つまりは、求人側と求職側の双方に教育の機会が丸々と抜け落ちているのです。 求人企業はある程度の年齢に達している人材には積極的な教育をしようとしません。 これに対して就職氷河期世代の方々はそもそも教育を受ける機会を逸しているのにです。 この問題は根深いと思うので、双方の意識というよりは、社会の仕組みや考え方が変わらないと解決しない問題だと思います。 後者については、未だに年齢や性別をあまりに差別的に指定している企業が多い点です。 先に述べた問題のように、少子高齢化にも関わらず、ある一定層の年齢を避ける求人内容。 業務内容は性別や年齢を問わないような内容なのに、明らかに若い女性のみを制限として唱っている求人内容の企業もありました。 また、昨今の働き方改革で、定時と時間外労働を明確に書く企業ならまだしも、残業時間が明らかに非常識に多く明記する企業や、定時に括弧書きで「この時間で帰宅する社員はいません」…なんて堂々と書いている求人企業までもありました。 何というか…非常識にも程があるというか、炎上でも狙っているのでしょうかね? もはやここまで来ると、是正のレベルを超えてしまっているので、私も然るべきところへ通報するしかないと思うのですが。 今回はコンサルというか仕事にもならないような一例でのご紹介となりましたが、企業の求人も、その時代と社会に合わせた適切な求人が行われることを願うばかりなのでした。

【精神疾患】今年初のセミナー

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標題のとおり、今年はじめての精神疾患関連のセミナーを見学してきました。 私が参加したセミナーは、主にハラスメントから精神疾患へ至ったケースの内容でした。 やはりというか…この時期の特徴として、退職関連でのハラスメントや、退職代行サービスの事例にもいくつか触れられていた講演を聞くことができました。 つまり、退職の相談をきっかけに、引き留めのハラスメントを受けるようになってしまい、精神疾患に至ってしまった結果、退職代行サービスを利用せざるをえない状況が増えてきているとのことでした。 昨日のブログで書いたような出来事がまさに、精神疾患にかかわる状況で起きているのです。 今は当然のようにニュースなどで報道されていることなのかもしれませんが、これは社会問題になり得ることが現在進行形で起きているのでは、という危機感から、2日連続でにたような内容からも、筆をとらせていただきました。 セミナーを聞き終わって、私はなぜ人が人を追い込む形で接しなければならないのか、改めて考えさせられました。 退職を止めたいのであれば、追い込む必要などなく、むしろ円満に話し合うべきことなのではないでしょうか。 追い込んで止めたとして、果たして今までの関係性で仕事ができるのでしょうか。 逆なことばかりしている人間があまりに多いように思います。 そこまで頭が回らず、その場しのぎで人間性を否定するような叱責をする人間ならば、ただの嫌がらせでしょう。 その会社にも、そのような人間にも関わる価値はありません。 一つ私が懸念するのは、このようなケースが増加傾向にあり、今後爆発的に増える可能性があるということです。 だからこそ、先に述べたとおり、社会的な問題として考えておく必要があるとの警鐘の意味も含めて今回は筆を置かせていただきます。

【日常】会社員による叛乱と逆襲

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年始が明け、仕事初めとなる今の時期、退職を考える、またはこれを実行している会社員が急増しているようです。 私自身、会社の様々なしがらみが嫌で企業の組織を外れた人間ですが、今回の話は私同様にフリーランスへの転向を奨めるような内容ではありません。 この時期に退職をして、新年度の4月から新たな道を目指そうとしているか方も数多くいるでしょうから。 まず、正月で家族や親戚と集まり、自身の今の会社人生を客観的に見れる機会が生まれます。 そんな中で、自身の置かれている状況をまざまざと見つけられるのです。 年齢も若く、自分より労働時間も短いのに、自身の方が給与が少ないとか… 兄弟、従兄弟の職場環境が素晴らしく恵まれている話を聞き、自身のパワハラやセクハラまがいに近い職場環境だと気づいてしまったり… と、改めてその場で思い知らされるのです。 また昨今ではこの時期の退職者は、新卒者よりも中堅やベテランの会社員、あるいは管理職クラスの幹部などの方々が多いようです。 同時に今噂の退職代行サービスもかきいれ時だとか、そうじゃないとか。 当然ながら会社側は留まるように説得することもあるでしょう。 時にはパワハラまがいの方法で。 だからこそ、退職代行サービスも繁盛するのではないでしょうか。 欧米の企業を見てみると、このような事例はほぼ無いと言ってもよいでしょう。 そのときの会社が気に入らなければ辞することは普通ですし、何より入社時の契約もしっかりと定める場合が多いので、引き留めなどの問題は皆無と言っても良いくらいです。 さて、問題を元に戻すと、会社員側からすれば、この年末年始を過ぎた時期であれば会社に大きな迷惑もないと思い、この時期の退職を選択しているそうです。 辞める側の社員がここまで気を遣っているのに、会社は引き留めや、人手が足りない…など、まずは職場を改善するという考えは日本の企業にはないでしょうか。 私は日本は世界的に見ても、古き良きを美徳として、あまり変化を好む人種ではないと思っています。 今このとき、この瞬間が、社会を変えていくべきではないでしょうか。 少々壮大なテーマで終わりとさせていただきますが、まずは現状が本当に正しいのか、日本の会社は問うて考えてみていただきたいと思います。

【過去】趣味を仕事にする人生と…もうひとつのif

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誰でも人生の進路を決めるのに迷った経験はあるのではないでしょうか? 高校生にもなると進路指導は当然のように出てくる話ですし… 私の場合も高校の頃に大きく二つの道、どちらを選ぶかで迷ったことがあります。 当時はWindowsやインターネットの対等で黎明期ではありましたが、デジタル、IT業界に興味があったので、情報処理関係の学部がある大学へ進学するか… あるいは趣味で続けていた料理の腕前も自負していたので、調理師関係の専門学校へ進学するかを、随分と長い間、迷っていた記憶があります。 当時の恩師に何度も相談して、時代の背景もあったのかもしれませんが、まずは大学、専門学校は大学進学後でも考えられるとのことで結局のところ、一浪はしたものの、情報処理学科のある大学に進学しました。 大学4年間の在学中に社会のIT関係は加速度的に進歩していきました。 しかしながら私は依然として、これらを仕事とすべきかの迷いはあったので、大学の卒業を控えても新卒での就職活動はせず、アルバイトでためたお金と親からの補助で1年間、Web関係の専門学校へ進むことにしたのです。 (結果的にこれが続き今に至るのですが…) 実は私、今でも料理人への憧れはあるのですが、結果的にこれでよかったのかなと府に落ちているところもあります。 今ではインターネットやWebというのは趣味や好き嫌いではなく、私にとっては仕事の主戦場と割り切って考えています。 普段使いで検索などすることはありますが、これにも上記と同様の考え方です。 一方、料理については趣味と思っていますし、胸を張って好きなことと言えます。 よく、好きなことや趣味を仕事としてしまうと、これらの想いが無くなるとか言いますが、確かにそうなのかもしれません。 嫌なこと苦手な部分も受け入れて仕事として考え、こなして行かなければならない壁に必ずと言ってよいほどブチ当たるからです。 私にとってのもうひとつの人生、ifは料理人。 でも第2、第3の人生でこれも実現してしまえばifではなくなるのでしょうか。