【日常】オチのある映画とオチのない映画

私の趣味の範疇で、たまに映画を見ることがあります。
幼少期からの両親の影響もあり、かなりの数の映画を見てきてはいると思っているのですが、昨今はいわゆる明確なオチのない映画が散見されます。 

昔の、私が子供の頃や学生時代には明確な起承転結のストーリーがある、普通にオチのある映画の方が圧倒的多数でした。
例えシリーズものだとしても、明確に内容を引っ張るようなものは少なく、必ずその作品内で必ず結びを得て一端の完結をするという作品が普通の流れかと思っていましたし、今でも一定はその流れが正しいと思っています。

しかしながら、明らかに続編を匂わせる終わり方の作品や、これならまだしも結末の意味を観覧者に考察させるような投げ方で終わる、いわゆる結末のオチがない作品が増えてきている気がするのです。
先に述べたように、起承転結の鑑賞に慣れている私からすると、このような閉め方をする作品は何だか歯がゆいというか、もどかしさが残ってしまい、映画好きでも作品を見きった、という感情に至りにくいような気もしています。 

作品の作り手側からすれば、かつてないような展開や手法を用いた画期的な作品を作りたいという思いも分からないわけではありません。
私も同じクリエイター魂として、そういった部分は必要かと思いますが、解釈や結末を観客に丸投げするような手法は作品として本当に成り立つものなのかという疑問は残ります。

私は映画というのは作品の伝えたいことやその意味を個々が考えるエンターテイメントであって、結末や展開はある程度は作品内で示さねば意味のないものだと思っています。
結末や展開をみる人個々に任せてしまうと、逆に伝えたい意味が人によって大きく違う作品になってしまうからです。

映画の様々な手法や見せ方の新しいものが出てくることは、一ファンとしては大歓迎です。
要はこれらをうまく表現してほしいと願うばかりなのです。


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