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【日常】学習の時間が必要なAI

AIと聞いて想像するものは…スマホやパソコン、GoogleやSiriなどが思い浮かぶでしょう。 これらは常に人間の行動を学習しながら最適化を繰り返していると言われています。 私の経験上ですが、これらのサービスははじめて触れた頃を思い出すと、最初はまるで使い物にならなかった記憶があります。 最近、ここ数ヵ月の話ですが…とある端末を初期化する機会があり、最初からモロモロノ設定をやり直したことがあったのですが、やはり思った通り、最初の数日はまるで使い物にならないような状態に戻ってしまい、まともに自身にしっくり来るまで約1ヶ月はかかっていたような気がします。 当然ながらその間は不便な状態が続きましたし、日々、自身の最適な設定を探るような状態…と同時にAIは学習を続けていたのでしょうが… 使用する端末にすべて最初からフルパワーな状態で諸々の設定ができるようになってないのは理解できますが、このAIの制約というか制限で不便な状態になっているのも困り者です。 もちろん出力前回で端末が傷つき、寿命が短くなるのを避けるというのはわかるのですが、私の場合は制限をかけられたような状態の方が、ハッキリ言って不便で、どちらかを選択するなら、確実に前者を選択します。 このように今はまだ、人を待たせるAIなのかもしれませんが、いつかその人の意図を瞬時に読み取り最適化できるAIの登場を強く待ち望んでいる…ということなのです。

【精神疾患】不安障害という発作的症状

以前のブログにも書き記した通り、私は精神疾患を寛解した今となっても、年に数回、発作的な不安症状に襲われることがあります。 そのため、今でも年に1~2回はメンタルクリニックに行くことがあります。 いわゆる「うつ病」とした精神疾患から、不安障害の残る今に至るわけですが、元々の自身の性格もあがり症というか、物事に対して緊張する方なので、過剰な不安が症状として出る、不安障害と診断されているわけです。 自身の場合、たまたま精神疾患から通院していて、今の診断結果があるわけですが、上記のような性格の方々が全てその診断に当てはまるかと言えば、必ずしもそうではありません。 自分で不安な気持ちや症状を押さえ込める方もたくさんいると思いますし、ましてや緊張やあがり症の症状だけで心療内科などに通院しようという人は希でしょう。 私の場合は、カウンセリングや時に薬にも頼ってしまうというだけの話です。 人間、生きていくためには必ず不安なときというのが訪れますし、緊張する場面にも直面します。 ただ、そうではない場面での緊張や不安を発作的に感じてしまう方はカウンセリングとまではいかなくとも、誰か頼れる人に話してみるのも一つの選択肢としては良いのではないでしょうか。

【日常】家電が一気に壊れるとき

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家電などが立て続けに壊れるなどの経験をした方は多いのではないでしょうか。 災害などは別にして、テレビや冷蔵庫、洗濯機にパソコンや電磁レンジなど…挙げればきりがありませんが、これらが立て続けに故障することがままあります。 特に家電品には必ず寿命があり、自身の感覚ですが、同時期に購入した家電であるほど、近い時期で寿命を迎えることが多い気がします。 無論、中には高耐久のものや、数十年前のものが今でも稼働しているなんて例も多くあります。 現に私も最近購入した家電よりも、十数年にわたり使用を続けているものの方が使えている、長持ちしているものも中にはあります。 これとは別に家電メーカーが想定している買い換えのサイクルというものが存在しています。 恐らくその家電の耐久年数や新モデル発売のサイクルと共に考えられているのでしょうが…逆に昔はこれらのサイクルはあまり考慮されていなかったようで、何年も前のものが今でも使えている事もあるようです。 例えばですが、十年前の携帯電話を修理やバッテリー交換もせず使い続けられて入る人は希でしょうが、扇風機やヒーターなどの季節限定で使用する家電は十年以上前のモデルでも現役で使用して入る人は多いのではないでしょうか。 家電に詳しい方は、新モデル登場の度にチェックしてその機能により買い換える人も入るかと思いますが、多くの人は長年に渡ってその家電が使えれば、使い倒すことでしょう。 話を戻しますが、多くの家電が一度に壊れると、買い換えや修理のための経済的な負担が発生します。 メーカー側からすれば、利益追求のため当然のごとく新商品への移行を促すのは当然なのですが、使い慣れた愛着のある家電はどうにか直してでも使いたいという人もいます。 保証期間内であれば、修理の経済的な負担が軽くなる場合もありますが、古い家電となると、そうもいかないのが実情です。 中には自身で修理して使い続ける人もいますが、これで対応できない場合はいよいよ買い換えになります。 家電の中には人により生活必需品となっているものもあります。 安くて質の良いものを長く使えるのが一番なのは、今も昔も変わらないような気がします。

【日常】ソーシャルアプリの終演

スマートフォンには各々SNSアプリやソーシャルゲームなど、お気に入りのものから、日常的にインストールされているアプリがあると思います。 しかしこれらは永遠に続くものではありません。 アプリの配信元がそのサービスを終了すればそれまでです。 例えばソーシャルゲームなど、日常的に遊んでおり、ある程度課金している方でも、サービスが終了すれば何も手元には残りません。 家庭用ゲーム機、コンシューマゲームのソフトを買い切るか形とは大きく異なります。 また、SNSなども生活の一部として根付いている方も多いのではないでしょうか。 こちらはソーシャルゲームとは多少異なり、突然サービスが終了しても、もしかしたら代替えの利くサービスがあるかもしれません。 しかしながらこれらのSNSを収入源としている方々からすれば死活問題になりかねません。 よく無人島に何か一つだけ持っていくとしたら…スマートフォン、という回答は今でも多いそうです。 ソーシャルアプリはインターネットと密接に繋がっていることを表す一つの良い例かもしれません。 あなたはソーシャルアプリ無しでも生きられますか?…という質問に多くの人は生きるのには必須ではないと思われるでしょう。 数十年前の生活のを見れば明らかではありますが、逆にSNSなどがないと生活に楽しみを見出だせないという人は多いのではないでしょうか。 今やインターネットは嗜好品と呼ぶ人は少ないでしょうが、多くの人が思うよりも、日々の生活と密接なものになってきてしまっている現状だと思います。

【日常】Noと言えない日本人は…馬鹿?

よく、日本人はビジネスシーンでNoと言えないと見る海外の方は多いです。 日々の仕事を見てみてください。 急に慣れない、全く経験のない仕事を割り振られたとします。 恐らく数多くの日本人の方は、契約外だから…と断る人はいないでしょう。 日本人の美徳なのか、ビジネスシーンでは専門性に尖った人材よりも、ユーティリティープレーヤー的な人材が好まれる傾向はないでしょうか。 海外の方と仕事をすると、出来ないことはできないとのハッキリ言われますし、契約外のことをお願いしようとすると逆に注意されるのが当たり前のシーンもあります。 よく日本人は右へ習えで、集団で同じことをするのを好み、外れたところでプレーをする個人を好まず、場合によっては排除しようとします。 例えば…スマートフォンはiPhoneという人は日本人では多いです。 何故かと聞いてみると、回りが皆そうだからという話もよく聞きます。 これは日本人の美徳とするところの反面、先に述べた尖った個性の排除という動きに繋がる懸念があります。 ですから最初に述べた、ビジネスシーンでなぜかNoと言わない誤った人間が評価され、Noという正しい人間を外れた人間としてつま弾きにするようなことも十分起こり得る社会があります。 海外の方々とのギャップはこのストレートにNoと言えないことにつきますが、Noと言うための日本人の根回しや接待という行為も理解できない海外の方が多いようです。 私もケースバイケースでまだまだな部分がありますが、ストレートに思ったことを言えるビジネス社会へと変わっていって欲しいと切に願っています。

【日常】メガネの役割

私は普段からメガネ使いな人です。 学生時代~成人くらいで乱視がひどくなったのと、コンタクトレンズがどうしても装着できず…というか眼内の異物が耐えられないため、メガネを愛用している人です。 元々はひとつのメガネを使い回して、壊れたら次のメガネを購入としていたのですが、今では安価で多機能、ファッション性も兼ね備えているものも多いので、様々な場面で使い分けています。 パソコンを使うときなどはブルーライトカットのもの、冬などは曇らないレンズのもの、また自宅用に外出用など、複数本を場面に合わせて使用しています。 ある程度の年齢にいくと、度数も大きくは変わらないため、ネットで買った時もありました。 特別に自身のご褒美として、高価なフレームのメガネを購入したこともあります。 自身にとってのメガネはいつの間にか、顔の一部…もちろんかけないと見えないのでそのように思うわけですが…まさにアイウェアという言葉そのままのものだと思っています。 もちろん、つけるフレームによって顔のイメージや、人から受ける印象も変わるので、シチュエーションに合わせたメガネで楽しんでいる自身もいます。 反面、旅行での入浴時など、見慣れない場所でメガネを外しての行動には苦労することもあります。 (一時期、風呂用メガネ何てのもありましたが、使い物にならなかった思い出があります) メガネは医療品としていた時代もあるようですが、今ではファッションの一部…いつか様々な医療機器もファッション性が出てくる時代も来るかもしれません。

【過去】パソコンのスペックは自分で決められますか

私は過去に所属した企業のうち、ひとつだけ自身でパソコンのスペックを決めて業務利用できる会社にいたことがあります。 ほとんどの会社では、予算の関係もあり、ビジネス最低限のスペックのパソコンを貸与されることが多いでしょう。 しかしながら、ビジネス用パソコンと言っても、実際にはあまり多くのシーンではそのスペックが足りていない面が多々あります。 ネットでの調べものや、社内外でのメール、資料などの文書作成であれば、最低限スペックのパソコンで事足りるでしょう。 私自身、このようなスペックで事足りる会社に在籍していたこともあります。 経緯としては、制作職に就いていたとき、当然ながらこのようなパソコンでは処理能力が足りず、イラストを使用する場面や、動画を編集する場合にらちが明かないことがあったので、パソコンに必要なスペックを提示して、会社へ申請して認めさせた次第です。 同じ制作職の同僚の中にも、何故かパソコンのスペック等に疎い人間も多かったので、この時は自身が矢面に立ち、会社とすったもんだで折衝した感じだったのですが… 如実にパソコンのスペック不足で困った例もあります。 その会社は勤怠時間をパソコンのとあるソフトで勤務の開始と終了を打刻する必要のある仕組みだったのですが、如何せんパソコンのスペックはビジネス最低限で、出社してすぐに起動するようなものではなく、かなりの時間に余裕を持って出社する必要があり、ギリギリに間に合う出社でもそのソフトを起動して打刻しなければ1~2分打刻が遅れても遅刻扱いでした。 例のごとくパソコンのスペックアップを要望したものの、この時の会社では一台だけスペックが異なるものだと管理ができないとの理由で却下でした。 パソコンのスペックが高いものになれば、確かに高額で会社の負担となる部分はあると思います。 また、業務により必要以上のスペックを求めるのもナンセンスでしょう。 しかし、パソコンを使用して社内の諸々管理をしたいというのであれば、私は社内のパソコン全てのスペックアップをしてでも対応すべきだと思います。 例えばパソコンの起動に5分かかるパソコンと1分かかるパソコンでは、前者に対して4分の時間的な無駄が発生しており、週に5日で20分の無駄、4週の1ヶ月で80分の無駄な時間が発生します。 金額は時間に換算できませんが、だから

【日常】愛国心と郷土愛

私は日本人ではありますが、特別に日本というものを意識したことはありません。 もちろん、親戚のいる土地など、幼少期に過ごした土地にある程度の愛着はあります。 また、私の場合はドイツという土地も人生に大きく関わっているため、日本人ながらこれは意識する部分があります。 ではこれは愛国心と思うかというと、そのようには思っていません。 日本人の多くは日本に対しての愛国心を意識してないように思います。 欧米ではよく愛国者を自負する方も多いのですが、日本の場合、愛国というと国を称えて中性を誓うような軍国主義の結びつきを考えて、あえてこれを意識しないようにしてきた教育の面もあるかと思います。 私自身、こういった側面があったとしても、否定も肯定もしません。 ですが先に述べたように故郷や過去にお世話になった土地にた対する愛着は誰にでもあるかと思います。 これが郷土愛といった部分なのではないでしょうか。 例えば生まれは、いわゆる地方でも、進学や就職を期に首都圏や都市圏に移住する人は多いと思います。 これらの方々に郷土愛がないとまでは言いません。 生まれた土地で進学~就職を過ごし、住み続ける人もいますが、これらの方々にも郷土愛を意識している人も少ないでしょう。 最近では「ふるさと納税」などもありますが、この中で本当に自身の故郷に納税している人はどのくらいなのでしょう? 要はその人の思いにしか過ぎないのかもしれません。 私の場合のドイツへの想いや、地方の親戚が住む土地への想いは確かに郷土愛とは言えると思っていますが、日本やドイツの愛国者かと問われれば、そうとも素直に言えないような気持ちがあります。

【過去】「任せる」と「丸投げ」の違い

仕事をよく任されるというのはビジネスシーンでは良くある話だと思います。 ここでよく考えてみてください。 その任された仕事を取り組むときに、上司から「責任を持って」などと合わせて言われたことはいないでしょうか? この時点でその仕事は任せるものから、丸投げに変わっています。 よく職場での新人はある仕事を任せられるレベルとなるとその事に盲信的になり、責任はともかくその仕事に影響のある部分まではなかなか見えません。 これはなぜなら本来、業務としての仕事は任せられて良いものであっても、この責任を請け負うのは上司であり、場合により社内での政治的な調整をするのも上司の仕事だからです。 私の場合、これができていない上司から言われた業務は全て勘違いしている丸投げだと考えています。 昨今のビジネスシーンでもこれらのマネジメントがしっかりできている上司というのは、私の経験上でも非常に少ないです。 また、こうした丸投げ体質を指摘したとしても、上司の更に上司にもこのような丸投げが横行しているので、そのような会社社会の中ではなかなか理解されません。 あからさまに何も知らない顔をして、責任逃れをしている上司と同罪な気がします。 業務を指示するだけが上司の仕事ではありません。 管理下の部下が日々の業務に集中できてこそ、よき職場環境に近づけるのだと思います。 あえてもう一度言いますが、業務に必要な調整などは、これまでを部下に指示するのではなく、これこそ上司が率先して動くことが上司の仕事の大部分を占める真のマネジメントだと思います。

【精神疾患】とある恐怖症

「恐怖症」と言えば、何を想像しますか? 代表的なものでは高所恐怖症や閉所恐怖症などがあるかと思いますが、今回は私が講演会やワークショップの中で見聞きした恐怖症のお話をいかにいくつかご紹介したいと思います。 ■高所恐怖症 恐らく大部分の方はプールのジャンプ台や、東京タワーやスカイツリーなどの展望台の高さをイメージするかと思いますが、中には、高層オフィスでの就労を苦にしている方から、自身の身長よりも低い踏台や脚立の高さにまでも不安を覚える方もいるそうです。 ■閉所恐怖症 よく、混雑するエレベーターや満員電車など、自身の動ける空間に限りある場所で不安を覚える方が多いようです。 また、窓の内打ち合わせスペースや、小さい会議室など見渡せない空間を苦手とする方もいるようです。 ■対人恐怖症 日常生活の中では苦がないものの、会議での発表やプレゼンに恐怖を感じる方や、知り合いでも三人以上なら問題ないものの、自身ともう一人だけの、二人だけになってしまうと全く会話ができなくなってしまうという方もいらっしゃるようです。 ■先端恐怖症 裁縫の針や、病院での注射針、また工作で使うキリや千枚通しなどを苦手にする方はもちろん、円を描くコンパスの針や、鋭く削った鉛筆なども苦手にする方もいるようです。 学生時代の家庭科や図工の時間を苦労された方が多かったと聞いたことがあります。 ■ピエロ恐怖症 道化師の無機質な笑顔のようなメイクや、場合によっては仮面などに恐怖…というか狂気を感じたという方がいました。 いわゆる普通のホラー映画などは平気なものの、ピエロが題材のホラー映画は気を失うほどの恐怖を感じてしまうとのことです。 これら一例に過ぎませんが、中には克服できたという方も少なからずいるようですので、今後の活動の中でまたお知らせできることがあれば、続報としてブログに記したいと思います。

【過去】クローン人間の是非

私は過去、学生時代にクローン人間の是非についての課題を受けたことがありました。 当時はまるでSFの世界かの如く、学級で議論していたように記憶していますが、世論で臓器移植の例などもあったことから、私自身は臓器移植としてのクローンは許されるのではと意見したように思います。 その意見に対して教師は、では臓器移植のために産み出されたクローンの人権はどうするのか…と諭され、考えさせられた場面がありました。 今思えばまるで映画「 アイランド 」のような世界の話です。 現代では人間のDNAもほぼ解読され尽くされて、倫理的な問題は別として、その人間と同様の性質を持つ一個体としてのクローン人間は技術的にかなり実現可能な部分まで来ていると思います。 実際に人間以外の動物例でいくつか、真しやかに成功例があると言われているくらいですから。 では、考え方や記憶まで同一の個体を作り出せるかというと、これはしばらくの間は実現できないことだと思います。 人間の脳内には電気信号によりその行動や考えを司る機能があると言われています。 仮にこれを数値化して、コンピューターと同様にダウンロード~アップロードできればかなり近い形で実現可能かとも思えますが、人間の脳を数値データ化するコンピューターは近い将来では実現できるとは思えませんし、これを脳へ戻す技術も今のところはまずできないと思います。 例えこれらが将来実現できたとしても、先に述べた倫理的な問題もあるでしょうし、まるでSFの実現を地で行くような、神の諸行のようなことになってしまいます。 また、臓器移植としてのクローン人間だけでなく、記憶まで受け継ぐクローンとなればそれこそ形の上での不老不死のようなスキームができてしまい、死すら超越するまさに不自然な社会が成立してしまう可能性すら出てきてしまいます。 昔のことを少し思い出して、考えを巡らせてみたのですが、未来ではこれら私の考えは全て間違っている可能性もあります(むしろ間違っていて当然の考えだと思います)。 しかしながら、私たち人間は今を精一杯生きて、定められた死まで生き続ける、ということだけは変わってほしくないと願う今日この頃です。

【日常】本社と支社の温度差

私がとある企業のコンサルティングに関わったときの話です。 その企業はWeb上でサービスを全国展開しており、顧客がWeb上でそのサービスを申し込むと、各地方などの支社の営業職員がその申し込んだ顧客へ対応するという方法をとっていました。 で、その企業のWebも含め、管理関係が本社の中へ集中しており、本社としてはサービスを展開、サポートしているというプライドがあり、支社の営業職員としては直接顧客へ対応しているのは我々というプライドで、互いのプライドがぶつかり合って対立している状態でした。 本来、私のコンサルでそこまで手を出すことは非常に少ない事例なのですが、話を聞くと、その本社と支社の温度感があまりに大きいと感じ、また集客という点でもあまりうまくいっていなかったようでしたので、広告代理店などでの集客のテコ入れを提案しようと考えました。 更に話を聞くと、本社の中にもそのような機能の部署もあるとのことでしたが、話を聞く限りは、集客ではなくまるで送客のような話でしたし、何より各支社から本社への意見や提言が非常に多いようで、本社でそれを処理、管理しきれていないような規模感で、問題を抱えているようでしたので、結局は予算の関係もあり、私の仕事としては離れてしまったわけですが… このような会社は、昨今少しずつながら増えてきている体感があります。 まず、サービスを広げるだけ広げて、管理できる体制が整っていないこと、そしてコミュニケーションをネット便りにしているため、うまく伝わらず、その社内ストレスがある時点で爆発して対立構造が生まれてしまうことが大きな原因だと思い、私自身も仕事の際にはこれらの点は大丈夫か、お聞きするようにしています。 規模の大きい会社ほど、これらに関するプライドが大きいのでヒアリングできないことも多いのですが、Webでサービスを展開している以上、すでに発信している責任は各企業にあるわけで、私のようなコンサルはそれをサポートする手段の一つにすぎないわけで…  本来は企業内で解決すべき問題という人も多いかと思いますが、当事者だと見えない面もあると思ったこれら事例の話を今回はご紹介させていただきました。

【日常】転職の相談

私はよく日々の仕事の中で、転職するかどうか迷っている、という悩みや相談を耳にすることがあります。 現状では私の答えは、迷っているならば、今すぐにでも今の会社を退職して転職すべきだと思っています。  終身雇用がないと言われている今の社会では、特にサラリーマンならば毎月の給与というのはあるかもしれませんが、会社はその方の家族や将来の面倒まで見てくれるわけではありません。 また、会社の中に長年いる人ほどこのような感覚は麻痺しているようにも思います。  世の中には数多くの企業があり、今のあなたのしている仕事は、その他多くの企業でも同じようなポジションがあります。 今の会社であなた自身に不利益や、なにか都合の悪いことがあるのだとすれば、それだけで十分転職理由になるでしょう。 中には年長者の中で、これを逃げという人もいるかもしれませんが、世界的に見れば当たり前のことです。  同じような仕事でも、会社を変えると今よりうまくいくことは多々あります。 企業は自身の意思とは関係なく、環境の変化を続けていきます。 そしてその変化が自身の身にふりかかり、自身の思惑とは異なることは多々あるのです。  私自身、今のフリーランスとなるには、人生で初めて経済的な面を犠牲にして会社を退職しました。 私の会社人生は数度の転職がありましたが、どの会社にいても愛社精神や、社長への忠誠など、全く意識したことはなかったですが、自身の携わる仕事だけには忠実でいたかったので、いつかフリーランスとなることは考えていましたし、それに向けたスキルを培ってきたつもりです。 私の場合、たまたまそのタイミングが精神疾患と重なり、会社員としての限界を悟ったときでした。  今のご時世、転職は決して逃げではありません。 むしろご自身のために積極的に環境を変えてみてください。 長く働いたからと言って評価される会社があるならば、それだけの薄っぺらな会社です。 特に新卒者は初めての会社で愛社精神などを意識してしまい、いざ転職したいと思っても、他社で融通の聞かないような状態になっていることも多いようです。 必要なのは、会社内で仕事のできる人ではなく、世の中で通用するスキルを持っている人なのだと思います。

【過去】Web制作と各事業の解離性

私がWebのコンサルティングをするとき、よく制作会社と各事業会社の間に入って双方の調整をおこなうこともあるのですが、この仕事を始めた頃は、両者の温度感を合わせるのに、非常に苦労した思いがあります。 Webでサービスをしたい企業は、あれもやりたい、これもやりたい…と要望が多くあるのは分かるのですが、制作会社によって出来ること、出来ないことが当然ながらあります。 また、顧客企業の考えうる全ての機能を実装できたとしても、予算が大幅なものとなったりするケースもあります。 これらを説明して理解いただける企業であれば助かるのですが、中には知識がないので、制作から運用まで任せるといった案件もあります。 この場合は残念ながら自身の場合はお断りするようにしています。 企業のサービスを利用するのはその先の顧客で、全ての機能を実装しても、顧客の企業とユーザー双方に利便性がなければ何の意味もないからです。 また任せた結果、制作会社の主導になってしまって、全く使い勝手のよくないものが出来上がってしまった例を過去に何度も見てきているからです。  また運用面を願われた際には、その企業に最低限一人でも良いのでWebのスペシャリスト、またはWebマスターを置くように進言しています。 Webページは制作完了で終わりではありません。 むしろその後の運用管理に最大の労力を置くべきで、そこから初めて利益が発生するものだと考えているからです。 だからこそ、制作の外注は良しとしても、管理運用はその企業が負うべきだと思っています。 それでも無理だという顧客企業もありますが、その場合は私は広告やWebの代理店へつなぐこととしています。 何よりWebを企業の顔としてのみの満足として欲しくないですし、またWebはただの広告媒体だけのものではないからです。 少々、上からのような意見になってしまい、申し訳ないのですが、とくに日本の企業は、上記のように考えがちの会社が多いと思いましたので、私の考え方や思いとして記しました次第です。

【日常】察知する力と採用基準

よく、感が鋭いとか、空気が読める人と言われる人がいます。 私自身もよく言われることがあるのですが、一般的な人と何が違うのでしょうか? 私はあまり意識していないのですが、話を細かく聞く、物事の記憶がよく忘れない、といった傾向は確かにあるかもしれません。  無論、人の考えていることを読めるような能力まではないですし、加齢による忘れっぽさも年齢相応にあると思います。 かと言って、場の空気を読んだ行動や発言はそれなりに出来ると思っていますし、「何でそれを忘れるの?」ということはまずありません。 逆にこれらを苦手とする人もいると思います。 これらの察知能力ともいうべきものはなぜ人によって差があるのでしょうか。  例えば、学力が高い人だとしても、物事を忘れっぽい人に、スケジューリングなどの仕事をあてたとして、その仕事には穴が開くかもしれません。 学力や学歴で培われる能力ではないといえるでしょう。 また、幼少気の記憶を鮮明に覚えているという人がたまにいます。 これらの人は、生まれつきの才能、もしくはそれまで生きてきた環境がこの能力に関係しているのかもしれません。 日本の採用市場はまだまだ学歴を見るところが多いです。 特に新卒採用など、学歴や学力で見て、仕事をあてがい、業務を与えた結果、仕事が合わず…何て言うのは日常茶飯事です。 海外では…自身の場合とくにドイツでの話ですが、仕事において学歴を聞かれることはまずありません。 何ができるか、どのような能力にたけているか、を重要視されます。 また、何十年もの長期雇用が前提でない場合も多いので、会社本意な採用とはまずなりません。 私は以前の転職活動で、最終面接までいき、とある企業の社長と面談する機会がありました。 十年くらい前のことでしたが、当時でもその社長は「可能な限り長く働いてもらいたい」と仰りました。 企業目線であればそういった思いもあるのかもしれませんが、私自身、勤続年数よりも自身としてのステップアップのある働き方を当時から望んでいたので、「御社で成長できれば幸いですが、更に上の段階に進めるなら、数年での転職も考えています」と言い切りました。 結局のところその企業とはご縁がなく…当時としてはかなり過激な意見かとも思いましたが、今思えば、やはり自分の根幹としては偽りのない意見だとも

【日常】パソコンとスマホの修理

私はこの1年でパソコンを4回(デスクトップ3回、ノート1回)、スマートフォンを2回修理しています。 こういった物の故障はある日突然まとまって来るようで…当然ながら出費を抑えるために自分でパーツを調達して修理といった流れです。 デスクトップパソコンについてはまず、ある日電源が入らなくなり、電源ユニットを交換(この時点で配線のやり直し)。 そして電源は入るもののOSが立ち上がらなくなり、OSが見つからないと表示されOSをインストールしているSSDが認識されなくなったため、SSDを交換してWindowsを入れ直し。 このあと1ヶ月後くらいに本体から異音が発生して、CPUクーラーのファンが原因と発覚、CPUクーラーごと新しいものに交換しました。 ノートパソコンは、ある日HDDからカチカチと異音がするようになり、経験則から寿命が近いと感じ取ったので、こちらもSSDへの交換で対応。  スマートフォンについては、徐々にスマホ本体の膨らみが発生、バッテリーの膨張だと分かったため、バッテリー単体を購入して分解、交換。 これは問題なく成功したものの、この際にバックパネル&一部のケーブルも破損してしまい、こちらも同様に交換品を取り寄せ、再度分解して交換しました。 パソコンについては、多少いじれる自作などの知識のある方であればお分かりでしょうが、スマートフォンについては、キャリアに持ち込んで修理の選択肢もありましたが、データが初期化されるのが嫌だったのと、代替機の設定などが煩わしいと思い、また過去に故障~機種変更で余計な出費を経験していたことから、自身での分解修理にチャレンジした次第です。 ただ、自身でこれらを修理される方が他にも、もしいらっしゃったら注意すべき点があります。 メーカー製のパソコンや、キャリアで購入されたスマートフォンなどは、一度でも分解をしてしまうと補償の対象外となる場合が多いです。 知識のある方であれば問題ないのかもしれませんが、私のように特にスマホなどはチャレンジして成功する例は必ずしも多くないと思います。 分解修理に限らず、興味のあることに、とことん学習してチャレンジしてみるのは良いことだと思いますが、常に失敗した場合のリスクや、リカバリできるのかを考慮した上でのチャレンジが望ましいと思います。

【精神疾患】破滅願望と生きる目的

精神疾患の考え方の中に、破滅願望というものがあります。 これは自身の破滅ではなく、外界を取り巻くもの…例えば、家が災害にあうとか、会社が倒産するとか、究極は地球が滅ぶといった考えが頭の中を支配してしまっている状態です。 これらはいつかはなくなる可能性はあるでしょう。 明日かもしれないし、1ヶ月先かも知れなければ1年先かもしれないし、もっと先の出来事かもしれません。 恐らく健常な方であればそのようなことを考えたとしても、頭をよぎるだけですぐさまそんな可能性は捨て去れることでしょう。 しかしながら、精神疾患でマイナス感情が働くと、このような考え方に固執してしまい、まるでこれが願望のように思えてくる場合があるのです。 世の中に存在するものは必ずいつかはなくなるものですし、永遠に続くものなどまずないと思います。 私たちはその中で精一杯日々を過ごして、喜びや悲しみを享受して、運命づけられているであろう死へと向かっていきます。 確かに有事に備える姿勢は大切ですが、有事を自ら願うのはお門違いだと思います。  私自身、そのような考えに囚われた時期もありました。 一日中、自宅に隠って体は休めているとはいえ、そのような考えがよぎる状態が続くのもやはり精神疾患の一環ではないでしょうか。 ようやく外出できるようになれば人間、目的の定まる行動が少しは出来ると思うので、その目的に集中した考え方が出来ると思います。 常に目の前に目的を持ち続けて生きるのが人間性のある考え方が出来るという状態なのではないでしょうか。

【精神疾患】季節に左右される体調と助け

私は季節の変わり目、特に春や秋に毎回のごとく体調を大きく崩す傾向があります。 風邪っぽくなるのはもちろん、鼻炎ぎみになったり、腹痛が続くこともあります。 これらばかりは、どうしても防ぎようもなく、仕事ばかりか、日々の生活もままならず、床に伏していることもしばしば続きます。  よく、雨の日に古傷が痛むなどはよく聞きますが、私の場合、雨上がり後の体調管理が非常に難しい状態なのです。 確かに寝ていれば楽になることもありますが、どうやったらこの状態から抜けれるか、先々どうなってしまうのか…などを考え込むと、余計に気が滅入ってしまい、塞ぎ込んでしまいます。 精神疾患を患ってから、寛解しても、このような状態は度々起こり、以前にも書き記したとおり、発作的に起こることもしばしばです。 結局のところ、このようなからだの状態とはうまく付き合っていくしかないのですが、このような状態が続くと、家族はともかく、外での様々な方との繋がりが断絶しがちです。 私自身、罹患時には、他人とのコミュニケーションなどもうどうでも良いと思っていましたが、場合により、人間はどうしても人の助けが必要なときがあります。  そんなときに遠慮してしまい、後に良くない結果を招くこともあります。 仕事で必要な助け… 日常生活で必要な助け… 経済的に必要な助け… 人により様々だと思いますが、これらの必要な助けは、自身が声をあげて行動しなければなにも始まらないと言うことです。 ほんの一言、声をあげれば、何らかの形で助けてくれる人は必ずいるかと思います。  確かに体調が悪い状態でこれらを行動するのは厳しいときもあると思います。 無理のない範囲で甘えるところは甘えて、日々の生活を過ごすことが当たり前のようで最も重要なことだと思います。

【日常】災害後のために備える

かつてないほどの台風が首都圏に直撃している今日、災害のために備えている方々が多いと思います。 災害自体は決して防ぐ事が出来ませんが、台風の場合は突然の地震と違ってある程度は備えることができます。 また私的意見ですが、台風の通過中はほぼ屋内でじっとしていることしかできないと思いますので、災害後のもしもの備えが重要だと思っています。  私の場合は最低限ですが以下の用意を常にしています。  ・3日分の非常食と飲料水 ・3日分の下着など衣類の着替え(夏でも冬でも対応できそうなもの) ・タオル ・ブランケット ・水を使わないシャンプーや歯ブラシ ・携帯用のコンロや発熱材 ・マッチやライター ・モバイルバッテリー ・携帯できる救急箱  ・酸素マスク ・ドライバーやハサミなどの十徳ツール  今回は確認も含めて、開封してこれらを確認しましたが… これらをリュックサックに入れて寝室においています。 またこれらとは別に、  ・上記のリュックサックとともに折り畳み式のテント ・枕元には懐中電灯 ・風呂に水をためておく これを台風の前日に用意しています。  有事の際、水道、電気、ガスが断絶したとしても、災害後72時間分の用意があれば、助けを求めながらでも何とかしのげると思っての準備です。  災害後の二次災害が最も恐ろしい場合もありますので、ご参考になればとの思いだけで、非常用の簡易的なバックパックだけでも用意しておくと心理的な安心につながると思います。

【精神疾患】人はなぜ人を憎むのか

よく怒りやすい人、短気と言われる人がいますが、これらの人々に対して人はどのような感情を持つでしょうか? 怖いと思う人もいれば、逆に気にしない人もいるかと思いますが、実際に怒られている人の中には、怒る人に対して憎しみを抱く人もいるかと思います。 この憎しみという感情は必ずその次のアクションがあります。 先の例を見れば、怖い…や、気にしない…はその場でアクションが終わる形が多いでしょう。 しかし憎みというのは、逆に怒りの感情へ変わったり、ストレスに変わったり、果ては報復や復讐に至ってしまう場合があると思います。 人はこの状態まで至ってしまうとその感情を解放するため、手段としての暴力や犯罪、また人の歴史を見れば紛争などにも発展してしまう場合があります。 私自身、かつては過去の記憶の中でどうしても許せない人が何人か思い浮かぶこともありました。 精神疾患となった際も、これらの思考が影響していた感は否めませんが、考え方次第で、人の怒りを享受して許す、または支離滅裂な怒りであれば自分の中でその人を哀れむ、等の考えを持てばそこで一端の人の怒りに対してのアクションは終わると思います。 まあ…後の思い出しての「納得できない」といったストレスはあるのかもしれませんが… 人間が皆、そのような感情を持てば争いがなくなる…とまでは言いませんが、弱者による変な憎みが渦巻くような社会になるのだけは避けられるような精神衛生状態を維持していきたいと思っています。

【過去】サブカルにかかる費用

私がちょうど成人した頃~初就職した当時、某アイドルグループのファンで、学生の頃の友人とともに、よくライブなどに行く、よく言う追っかけをしていたことがありました。 もともと私自身、アイドルなどの情報や知識には造詣がある方だと思いますので、今でも多少はその辺りに志向があるとは思っています。 また、今ではそうでもないのですが、子供の頃から学生時代にかけてゲームやアニメなどにも興味が強かった方ですので、いわゆるサブカルチャーにどっぷりハマっていた過去があります。 これらの趣味には当然ながらある程度の費用がかかるのですが、例えばゲームソフトの購入には当然ながらその価格を支払うのですが、アイドルの追っかけをしていると、ライブチケットの費用、また住まいの近郊であれば良いのですが、地方でのライブにまで手を出すとその遠征費用、さらにライブの都度のグッズ購入費用など、毎月の給料のほとんどを注ぎ込んでいた時期もあったくらいです。 しかし私自身は今では後悔はしていません。 当時はそれなりにストレスの発散になっていましたし、何歳まで生きるか分からない自身に貯金するよりも、友人とともに駆け抜けた青春…といったら美化させ過ぎですが、それでもある程度は青春を駆け抜けたと思える思いでです。 サブカルチャーは日本が世界に誇れる文化の一つと言われていますが、自身もこれには全く同意です。 ドイツへ行く機会のある自身でも、ヨーロッパでは日本ほど多種のアニメはないですし、むしろ日本のアニメが翻訳されて放映されている場合があります。 ゲームに至っても、少し日本よりも遅れがあるような感覚で、ヒットしているジャンルも全く異なっていると思います。  (その代わりにサッカー熱などが日本と比較にならないくらいスゴいのは事実ですが…)  よく、サブカルチャー分野でのマニアが日本の経済を支えている、といった意見を耳にしますが、お金の流れを考えると、本当にそうなのかもしれないです。

【日常】国民年金は税金か

私の仕事の関係で個人の諸々コンサルティングに関わることがたまにあるのですが、昨今の国民年金についての話題が出ることが少なからずあります。 このところ、急に催促の郵便物や電話が来たりして徴収が厳しくなった…とか言う話をよく耳にします。 国民年金の納付率は現状で対象者全体の7割ほどのようで、その中の更に4割ほど免除となっている方々が占める割合だそうです。 自然と未納者の割合は残りの3割が該当しますが、なぜ借金でもないのに催促が厳しくなっているのでしょうか。 ここでタイトルの「国民年金は税金か」と言うことが関係してきます。 私的な結論からこれは半分正解だと思っています。 日本は国民皆保険ということで、現状の国民年金の制度は現役で支払う方々の年金で、受給者の方々に支払う年金をまかなっています。 当然ながら日本は同時に少子高齢化の問題も抱えているため、上記の賄えない部分を税金で補っている形です。 この形は制度の発足時から変わっていないので、超少子高齢化が加速している現代社会では税金の負担分も増えてきてしまっています。 これが私的に半分正解と言う意味で、残りの半分はと言うと… 国民皆保険ということで、国民年金の支払いは国によって義務化されています。 多くの会社員の方は厚生年金を積み立てているかと思いますが、簡易的に考えるとこれは「国民年金 + α」の金額を積み立てているとイメージしてもらえればと思います。 で、この徴収強化の問題ですが、上記の少子高齢化の問題もあり、国としては税金の負担分を少しでも軽減するため、義務化されている国民年金の徴収強化に踏み切ったと思われます。 ですので、残りの半分の正解は税金ではなく、義務と言うことに尽きると思います。 しかしながらこの国民年金の金額事態、少しずつ上昇してきているので、会社員ではない方々、特に自営業の方々や20歳以上の学生の方々、失業中の方々や障害者の方々には毎月のこの負担は大きいものがあるかと思います。 他に払わなければならない税金もありますし、私自身も失業中はギリギリで生活していた苦い思い出があります。 そこで冒頭でも書いた、催促の郵便物や電話などですが、裏を返せばこれらは免除や納付猶予の制度の手続きを勧めているとのことなのだそうです。 例え前年の所得がない状態で確定申告をしていたとしても、

【過去】Web業界から徹夜をなくす!

私自身、現状で日本のWeb制作に携わる機会は少なくなっていますが、過去にWebの技術者として携わっていた者として、タイトル通りの宣言をしています。 以下のようなリンクを見かけましたが、現状でWebに携わる仕事をしている方々はいかがでしょうか? Webデザイナーが徹夜仕事から脱出する方法 私も過去にチームでの作業を強いられ、そのチームリーダーが徹夜込みのスケジューリングをしたがる者だったので、会社のホームページリニューアルの度に休日出勤や徹夜をチームでするという雰囲気があった職場にいたことがありました。 しかし、私は本件のような信念があったため、多少の残業でチーム連携はとっていたものの、休日出勤や徹夜には従いませんでした。 当然の、上司に呼ばれたこともありましたが、信念は貫き、チームの方針が良い結果に繋がるとも思えなかったので、休日出勤や徹夜ありきでスケジュールを組み時間を使うことが正しいのか、逆に上司へ問いただしたこともありました。 そもそも数年前の出来事とはいえ、このご時世、24時間体制で人が張り付き、Webを見張って、夜間の作業でリニューアルする…何てことはナンセンスだと思いますし、効率やWebというものの本質を理解していない人間のやることだと思っています。 確かにWebページは企業の顔でしょう。 サービスを唱っている会社は「24時間いつでもWeb予約」何て会社もあるでしょう。 でも本当にそこへ24時間体制で人を置く必要があるでしょうか? TV放送だったら放送波が止まれば放送事故になりますが、Webページが表示できなくなって落ちても、どれだけの損害か、考えてみてください。 確かにクレームを言う顧客の方々もいるかもしれませんが、例え一晩ホームページが表示できないとなっても、損害額はたかが知れていると思います。 だから私はWeb業界に徹夜なんてないですよ…と声を高々にして言いたいです。 「Web = 徹夜」なんてイメージを払拭するためにもね!

【精神疾患】お金の心配

精神疾患の治療で一番金額の張るものは、やはり薬価代かと思います。 診察の頻度にもよるかと思いますが、私の場合は最多で月に3回くらい通院していたので、その1回の通院の診察代で1,300円くらい(診断書などの書類も必要な場合はプラスで3,000円くらいでした)、薬の代金は1ヶ月で約6,000円ほどかかっていました。 幸い、途中からジェネリック薬品へ変更して1,000円くらい安くなりましたが、それでも毎月の薬代だけで5,000円というのが数ヶ月間続きました。 精神疾患の薬価代が比較的高価な理由には、現代病と言われる由縁なのかもしれませんが、現在進行形で研究中の分野でもあり、新薬が現状でも出続けていることから、後発薬が出るまで時間を要するため、良薬が安価にならない背景があると思います。 確かに以前の抗不安薬などは副作用が大きいものが多かったと、今でもお聞きすることがあります。 しかしながら、これら治療代を補助する制度もあります。 「自立支援医療制度」というもので、私自身はこの制度を利用した経験はないのですが、聞くところによると、診察代や薬価代など医療費の負担を約半額まで公的に補助していただけるそうです。 確かに、疾患になりたての頃は休職や退職で傷病手当のみの収入や、長くかかれば場合により失業保険のみで治療費のやりくりをしなければなりません。 これに生活費や税金などもかかるわけですから、利用しなかった自身でもお金の心配をしていた時期はありました。 これはいくら治療に励んでいたとしても心身的なストレスになりますし、私も実際にここから節制の生活を続けることになりました。 精神疾患は数週間単位で改善する方もいれば、数ヶ月または数年単位でようやく寛解に至る方もいます。 後者の方々は積極的に公的な補助制度があれば利用すべきかと思われます。 自身はその中間くらいでの寛解となりましたが、やはりお金の心配は精神的に悪かった思い出があるので、まずはこの心配を解消する上で、今回は「自立支援医療制度」をご紹介させていただきました。

【日常】Red Bull Box Cart Race(レッドブル・ボックスカート・レース)

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本日は Red Bull Box Cart Race(レッドブル・ボックスカート・レース)Tokyo 2019 の会場へ観戦に行って見ました。 ここ最近の私にとっては珍しく盛況な場への外出です。 元々、モータースポーツは好きな方ですが、これはモータースポーツではないカートレースです。 いわゆる手作りのボックスカートで下り坂のコースを踏破するというものです。 レッドブルの主催とのことである程度のにぎわいもあり、また会場が、よみうりランドと少し遠出となりましたが、一緒に誘っていただいた友人、知人には感謝です。 仕事柄、また性格的にも完全なインドア派な私ですが、たまには…とのことで、今回は疲れながらも、日々の日常とは違った刺激を受けることができてよかったかなあ~と思う次第です。

【日常】電子タバコVape(ベイプ)はどうなの

以前のブログでも記したことがありますが、私は喫煙者の部類にはいるものの、加熱式タバコやVape(ベイプ)を中心に常用する形となっています。 更にこのところの増税から、ややVape寄りにシフトしていっているのも事実です。 ここで少し、電子タバコのVapeについて説明しておきます。 加熱式タバコは煙草の葉っぱを加熱して熱することによりニコチン成分を摂取するものが多いと思います。 当然ながら煙草の葉を使用しているので特有の臭いからは免れません。 対してVapeと呼ばれるものの大半はある香料、例えばフルーツなどのフレーバーを液体のリキッドとして熱し、その蒸気を喫煙するという嗜好品です。 日本の場合、このリキッドにニコチンの入ったものを販売するのは違法とされているため、あくまでリキッドのフレーバーを喫煙で楽しむに限ったものだと言えます。 では、これらは一般的な「タバコ」とどう異なるでしょうか。 まず、そもそも日本ではニコチンの摂取の対象となってはいませんが、喫煙する電子タバコに分類されていつと思うので、使用するならば、喫煙所での利用が妥当とされています。 次に多くの嫌煙家が非難の対象とするタバコ特有の臭いですが、この部分についてはほぼ無害と言っても良いのではないのでしょうか。 臭いの出やすいVape機種であっても、アロマを焚くのよりは少ない臭いのものの方が多いようですし… 最後に安全性の観点から考えてみようと思います。 たとえ紙巻きタバコのようにタールやニコチンが出ないとしても、肺に煙を入れて吐き出す…という喫煙行為をすることには変わりないので、非喫煙者の通常の呼吸とは異なり、何らかの呼吸器への影響があるかもしれないとは自身も思っています。 この辺りの事情は、紙巻きタバコや加熱式タバコの有害性が最近でハッキリしてきたこともあり、まだまだ解明中の分野だとも思います。 自身としては急な禁煙や節煙ではなく、少しづつでもその方向に傾ければと思ってはいますが… なお、煙草は20歳から、法律やマナーを守った上で!

【日常】フリーランスのお金にまつわる話

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私の場合、サラリーマン時代の毎月給与生活と異なり、フリーランスのため、収入のある程度ある月もあれば、仕事の状況によっては収入が少ない月もあり、決して安定的とは言えない生活です。 しかしながら、私生活としては会社人の時代よりも充実していると考えてるため、この生活を続けているのが本音です。 確かに、税金の支払等で面倒なことも多い反面、ある程度の節制した生活を意識的にできるようにもなりました。 まず、無駄な買い物は確実に減ったと思いますし、娯楽費用も必然的に少なくなりました。 また、食費も自炊を中心とすることで、あわせて家事、特に料理のスキルは向上したように思っています。 しかしながら、フリーランスという宿命なのか、貯金はサラリーマン時代よりもしにくくなっている環境であるのも事実です。 特に体を壊したときは医療費もかかりますし、そんな月によっては自転車操業的な月またぎとなることも過去にありました。 また、私の場合、毎月の国民健康保険、国民年金、住民税の他に毎年とある県の市町村へのふるさと納税も毎年続けているので、税金の負担は中々大きいものとなっていると思います。 税金の支払は義務と言っても、他に消費税や、私の場合に限ってはたばこ税などの間接税も人並みにあるので悩ましいところです。 ふるさと納税やたばこ税は止めればとも言われるかもしれませんが、私にとっては習慣的というか、これもまた人生の一部となっているため、続けたいというか、止めたことのデメリットの方を多く考えてしまうため、支払うときは支払っておきたいのが本音です。 フリーランスとしての立場、個人事業主というのは社会的に、まだまだ一般的なサラリーマンよりもその信用度や認知度は低いと思っています。 法的にも国から何か大きく守られている訳でもないと思っています。 国は会社員の正社員としての雇用を進め、「一億総活躍社会」と唱っていますが、中には私のようにどうしても会社員としての働き方が合わない人間もいます。 私たちフリーランス、個人事業主も、サラリーマン並みとは言いませんが、現状よりも少しは安定的に働ける社会を考慮していただけるとありがたいと思う次第です。

【精神疾患】久々に発作が出ました

私事になりますが、本日の午前中、仕事中久々に動悸が止まらない発作に襲われました。 今は少しは落ち着いているので、記録としてブログに残しています。 幸い、自宅での作業中の出来事でしたので、周囲への迷惑はありませんでしたが、主に動機から始まり、吐き気、冷や汗と、まさにあの時の症状と同じような感じが出てしまい、しばらくの間、横になっていました。 きっかけは、とある経済的な貧困の記事の編集だったように思います。 お金の心配は一番心身に悪いというのは心得ていたのですが、その記事を見て、まるで自身の重ね合わせて見てしまい、大きな不安や心配が急に湧き出してきた気分になりました。 そこから休むところまでの記憶はあまり覚えていないのですが、午後のこの時間になり、ようやく少し落ち着いて来たので、今を記している形です。 残念ながら、今日はもう仕事を休んで床に伏している状態が抜けられそうにないので、少し寝て違うジャンルの記事編集に取りかかる次第です。

【精神疾患】薬による慣れと常習性

私が精神疾患の罹患時、当然ながら薬による治療も行っていたわけですが、治療開始時には2種類、最高に多いときで、この最初に服用していた2種類とは違う5種類まで試して治療していました。 まず、メンタルクリニックへの通院当初は一般的かつ副作用の少ない常用する抗不安薬と睡眠導入薬の2種類でした。 次にこの抗不安薬を自身にあったものに変えるため、自身の場合は計3種類の薬で合ったものにたどり着くことができましたが、これは3ヶ月ほどかかりました。 同時平行で、常用する抗不安薬とは別に頓服薬としての抗不安薬も出してもらうこととなり、こちらは計2種類を交互に使用した結果、とある1種類の薬に絞りました。 …ここで服用していた薬は3種類です その次は睡眠中の状態が浅くならないよう、本格的な睡眠薬を処方することになり、これにともない睡眠導入薬も強すぎないものへとあわせて変更しました。 …この時点で4種類を服用することとなります。 また、これらの薬の処方、変更による副作用も少なからず出たため、間々に吐き気止め or 胃腸薬の処方もありました。 結局のところ、半年間くらいは5種類くらいの薬を夕食後や就寝前に分けて服用していたわけです。 で、この中で特に私に効き目があった?と思われるのが、頓服での抗不安薬と、効果が緩やかな睡眠導入薬でした。 ある程度、傷病の症状が治まり、活動ができるようになっても、これらの薬を絶つには数ヶ月かかりました。 以前のブログでも記しましたが、混雑する場所では発作的な症状が出ることもあり、それまで頓服薬に頼っていたためと、睡眠は睡眠導入薬に頼っていたため、いざ薬を止めると寝付きが悪くなって自然な睡眠がとれず、結果として夜型生活に戻ってしまう自体となってしまうから大変でした。 精神疾患への治療薬というのは確かに一つの有効な対処療法だと思います。 しかし、それに依存しすぎてしまうと、薬の服用が当たり前の体となってしまい、そこからの脱却が難しくなるのも事実です。 幸い私の場合、数ヶ月間で精神疾患の服用薬のない生活に戻れましたが、中には数年間服用し続けて脱却できないという方もいるそうです。 意思の問題という人もいるでしょうが、治療するための薬、精神疾患の薬に限らず、ある程度一定の依存度はあるものと思います。 それとどううまく向

【日常】限定品という功罪

私自身、「限定品」という言葉の商品には飛びつきがちですし、実際に購入するものも多いです。 この限定品には大きく分けて3通りのパターンがあると思っています。 一つ目は、単純に販売の絶対的個数が限られているものです。 よくシリアルナンバー付きなどで売られているものなどはこの部類でしょうか。 オーダーメイド品の中にも完全受注生産なるものもあって、これも該当するかと思います。 二つ目は、ある限られた期間中でしか販売されないものです。 季節限定やその年のみの販売、などよく聞くワードではないでしょうか。 三つ目は、特定の場所のみで限定販売されているものだと思います。 これは上記の2パターンと異なり、個数の制限もなければ、販売期間の限定もないので、その場所へ行くことができれば購入できるという、比較的安易に入手できる限定品と言えます。 私が飛びつきがちなのは、やはり一番目と二番目のパターンで、両方とも期を逃せば、入手困難性の出てくるもので、後にほしくなった場合は、中古品や、あるいはプレミア価格へ高額となっての購入となってしまいます。 しかしながら、この場合にも一途の望みがありまして、あまりにも人気が出て、購入かったができなかった人達のために、需要と供給を見て、復刻版としてリリースする商品もあります。 しかしながらここまでくると、元の限定数の絶対個数を上回ってしまうため、限定品としての市場価値が下がる場合も多くなります。 ですので、自身としてはこの復刻版なる商品にはほとんど手を出すことはありません。 限定品に手を出す時点で市場に操作されている感は否めないのですが… これらの限定品、元々がある程度のブランド品となると、十中八九さらに高額な価格帯設定となるので、元々が高額なブランド品となるとなかなか手が出せませんが、それでも一般的な限定品を収集していたとしても、経済的な圧迫はそれなりにインパクトがあります。 物欲のない人ならば全く関係のない話かと思いますが、私自身は一定の物欲はあると思っているので、このお陰で貯金は苦手な部類の人間です。 一度、断捨離でもしてしまえば変わるのかもしれませんが、これもなかなか踏み切れないでいる今日この頃なのです。