【日常】察知する力と採用基準

よく、感が鋭いとか、空気が読める人と言われる人がいます。
私自身もよく言われることがあるのですが、一般的な人と何が違うのでしょうか?

私はあまり意識していないのですが、話を細かく聞く、物事の記憶がよく忘れない、といった傾向は確かにあるかもしれません。 
無論、人の考えていることを読めるような能力まではないですし、加齢による忘れっぽさも年齢相応にあると思います。
かと言って、場の空気を読んだ行動や発言はそれなりに出来ると思っていますし、「何でそれを忘れるの?」ということはまずありません。

逆にこれらを苦手とする人もいると思います。
これらの察知能力ともいうべきものはなぜ人によって差があるのでしょうか。 

例えば、学力が高い人だとしても、物事を忘れっぽい人に、スケジューリングなどの仕事をあてたとして、その仕事には穴が開くかもしれません。
学力や学歴で培われる能力ではないといえるでしょう。

また、幼少気の記憶を鮮明に覚えているという人がたまにいます。
これらの人は、生まれつきの才能、もしくはそれまで生きてきた環境がこの能力に関係しているのかもしれません。

日本の採用市場はまだまだ学歴を見るところが多いです。
特に新卒採用など、学歴や学力で見て、仕事をあてがい、業務を与えた結果、仕事が合わず…何て言うのは日常茶飯事です。

海外では…自身の場合とくにドイツでの話ですが、仕事において学歴を聞かれることはまずありません。
何ができるか、どのような能力にたけているか、を重要視されます。
また、何十年もの長期雇用が前提でない場合も多いので、会社本意な採用とはまずなりません。

私は以前の転職活動で、最終面接までいき、とある企業の社長と面談する機会がありました。
十年くらい前のことでしたが、当時でもその社長は「可能な限り長く働いてもらいたい」と仰りました。
企業目線であればそういった思いもあるのかもしれませんが、私自身、勤続年数よりも自身としてのステップアップのある働き方を当時から望んでいたので、「御社で成長できれば幸いですが、更に上の段階に進めるなら、数年での転職も考えています」と言い切りました。
結局のところその企業とはご縁がなく…当時としてはかなり過激な意見かとも思いましたが、今思えば、やはり自分の根幹としては偽りのない意見だとも思っています。 

話はそれましたが、要は採用する企業も、学歴や勤続年数などを考えるのではなく、その人の能力やそこから本当に正しい適正を見て判断をしてほしい、ということです。

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