【精神疾患】個の社会から見る精神疾患

現代社会は個の社会と言われています。

かつての日本社会は何でも集団で、型にはめ、個を許さない社会でした。
事実、私の学生時代も、部活動などで上下関係がある程度は厳しく、練習方法も型にはめて行うといった時代でした。

今の社会はというと、個性が大事、重要視される時代へと変わってきています。
一部企業などでは、昔ながらで個性というものをはみ出しもの扱いするようなところもあるようですが、社会に影響をもたらす仕組みやサービスは、今や個から生まれる時代と言っても過言ではないでしょう。

この個の台頭により、変革を続けるなかで、精神疾患というものも増えている現状があります。
医学的な関連性はここでは示せませんが、急に集団的活動がよきとされていた状態から、ある日突然、個性をもって活躍してくださいと言われれば、人間何をしてよいかわからない場合がほとんどでしょう。
社会の潮流が変わるのはわかります。
しかし人間には変化に対応する時間が、人によって様々です。
すぐに対応で来る人間が時代を先取り、適応に時間を要する人間が、悩みに悩んで、鬱や適応障害を発し、精神疾患となってしまう側面が少なからずあると思うのです。

これは私の考えですが、社会の流れに即適応できる人々と、適応に時間のかかる人間にある隔てがあるからだと思います。
極論を言えば、適応できる人間は物事の支配的立場となってしまい、それ以外の人間を従わせようとします。
しかし、被支配的人間は理解に苦しみ、何の説明や助けも受けないまま、時間だけが過ぎていきます。
気づくと、自身はかつてはある集団の一端を担っていたはずなのに、突然孤立無援のはみ出しもの、一匹狼みたいになっているのです。
想像してみてください、もし自身がその立場に置かれたら…
相当にメンタルが強い人は別として、普通の人であれば精神的にある程度のところまで追い詰められてしまうのではないでしょうか。

この事実があることに気づいている人間はどのくらいいるのでしょうか。
恐らく国も気づいていないと思います。
精神障害者の福祉は充実させているのかもしれませんが、正直、精神疾患を出さないための対策は、少なくとも私の目には今は皆無に見えますから。
このような問題に対して、どのような答えが出せるか…
もしかしたらそれこそが、社会での個に求められていることなのかもしれません。

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