【過去】会社に立ち向かった人の話

サラリーマンというのは安定的な生き方と思いきや、結構厄介なはみ出しもの的な生き方をする人も中にはいたりして…今回は過去の私の会社員時代にあったお話をひとつします。

私は以前、とある会社にいたときに一時期だけ出向という形でその会社の子会社で働いていたことがありました。
親会社はいわゆる殺伐とした皆が忙しそうに動いている雰囲気の会社で、会議などでも皆が静か上長の報告を聞いているような感じ…
子会社の方はというと、殺伐で忙しそうと言うよりは、個々に集中して業務に取り組んでおり、会議でも結構フランクな形で議論しているような雰囲気がありました。

私は同僚と3名で2~3年ほど、上記の子会社に出向していたのですが、出向期間を終えて親会社に戻ったとき、ある出来事が起きました。

人間、慣れというものほど怖いものはありません。
共に出向していた同僚は管理職に昇進して、子会社の文化や方法で部署を変えていこうとします。
しかしながら、彼の上司はそのやり方に猛反論で、今までのやり方に合わせろと言わんばかりでした。
同僚の彼いわく、今までのやり方では、会社の歯車にすぎず、創造性や本質的な問題解決の意識が持てないとのこと。
しかし彼の上司は、今までのやり方で大きな問題は起こっておらず、業務に滞りがないので余計なことはしなくて良いとのことです。

私自身は事の顛末を待たずにその会社を退職したため、その後どのような展開をむかえたか、知る由もないのですが、今ではその会社の経営陣も交代しており、同僚の彼も一時期だけ執行役員として名を連ねていたときがありました。

文章の途中にも書きましたが、人間の慣れというものは厄介なものです。
例えば、無事にサラリーマンを数十年勤めあげた…という人がいるとします。
その人は仕事で何をしたかと聞かれれば、声高々にいくつもの実績を述べるでしょう。
しかし、その人は勤めあげた会社にどのような影響を与えたかを聞くと、答えられる方は一気に少数になるかと思います。
そのくらい、組織の中にいると、その環境に馴染んでしまい、客観的に何かを変えるという思いなく、どれだけこの環境で続けるかという方向に考えが向かってしまうことが多いかと思います。

上記のような思考だと、組織の一員のサラリーマンとしては最適な部分があるのかもしれません。
しかし何か新しいことをする人や、自身で会社を興すような人は、今の時代、かつての私の同僚だった彼のような人なのかもと思うのです。


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