【過去】常識とは大多数意見のこと

私は過去に何度か「それは常識」と言われ、堪忍袋の緒が切れたことがありました。

ひとつ目は10年ほど前の転職の際の面接にて、相手は幹部クラスの年配の方と現場クラスの同年代の方でした。
当時の私には2年間ほどのブランクの期間があり、そのわけは、祖母の介護を手伝っていたからでした。
私は生まれたときより、父方の祖父母とともに居住していたため、当初は祖父と父が祖母の介護に携わっていたのですが、祖父が急逝したため、自身が実家に戻り、その手伝いをしていました。
この事実を2年間のブランクの事由として当時の面接に臨むと、常識的には父が介護に携わり、ましてや当時の年齢で実家住まいになると…と、年配の面接官が言っていたので、私の当時の2年間が否定されたと思い、思わず憤慨して、「それはあなたの言う常識であって、私にとっての常識ではありません」と反論すると、バツが悪そうな顔になり、若手の方が「私もそのとおりだと思います」とフォローいただきましたが、もうこれ以上、この会社に選考を進めていただく気がなかったので、その場でこちらからお断りしました。

もうひとつの事案は前職の会社で、同僚と進めていた別部署の顧客案件の処理をその週のうちに終わらせるはずが、同僚のミスで1件だけ漏れがあったようで、その週明け、いの一番に自身が処理し、別部署の幹部へ報告すると、「まずは一言、直接報告するのが常識」と言われたので、「お客様の情報なので、まずはいち早く処理したのち、上長に報告するよう、私の部署では徹底します」と反論すると、その後、その幹部と上司の間でどうやら、ひと悶着あったようです。

両方のケースで私が思うのは、その人の言う「常識」って結局その人がそれまで経験してきた大多数の意見なのでは?と思うのです。
もちろん明らかに世間から見て非常識な行動というものもありますが、その人の尺度に合わないからといって、それを外れたものを全て常識という名の壁で弾いてしまっては、元も子もないと思います。

むしろ、これまでクリエイティブな仕事にも多く関わってきた自身からすれば、一般常識的な行動ばかりをしてるようでは何も良いものは生まれません。

クリエイティブな中で例を見ると、私は否定も肯定もしませんが、「常にアンテナを広げておく」「細部までこだわり抜く」…これらを常識という人がいましたが、私に言わせれば、これらは常識や当たり前といったことでもなく、生み出すものはこれらの先にあるものだよ、とたった一言だけ言ってあげたい気がします。

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