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12月, 2019の投稿を表示しています

【過去】師事できる人がいると良い仕事ができる

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私が社会人になり、初めて会社に入ったとき、上司とは違い師事した先輩がいました。 次の会社でも同じように、師事できる先輩がいたことによって諸々の教育を受けられ、良い仕事ができたと思いますし、成果、評価ともにそれなりに良いものがあったと思います。 時は流れ、年齢も重ねての転職となると、周囲には逆に若手が増えて、能力も即戦力的なものが求められます。 しかし、こうなってくると私は違和感を感じてくることが多くなってきました。 確かに中途採用となると、新卒者より手厚い教育というのはなくなるかと思いますが、即戦力で仕事をするというのと、無教育で誰も師事できない職場に投げ出されるのは、全く異なる状況です。 そのくせ、自分のやり方で仕事をしようとするとそれを否定される始末…このような負のサイクルで精神疾患になる方も多いようです。 上記のような流れになるならば、企業は即戦力としての中途採用をすべきではありません。 最低限の教育やOJTを経て、中途採用者はその発想力や着眼点を発揮できるのですから。 ましてや仕事のやり方まで口を出すのは愚の骨頂です。 中途採用だって会社によって仕事の方法を合わせようと当然ながら努力しているのですから。 そんな考えもあり、サラリーマンからドロップアウトした私ですが、フリーランスとなった今でも、過去の人脈の繋がりから師事をしている方が何人かおります。 人に師事をするって、お互いに良い影響があるような気がするのです。 逆に会社時代の後輩でも数名、繋がりのある者がいますが、このような師事する、師事される関係を築ければと思っています。

【精神疾患】悪夢を見る副作用

精神疾患の治療薬の副作用の中に悪夢を見る副作用のあるものがあります。 文字通り、睡眠中の夢が悪夢となるというものです。 精神疾患の経験者に話を聞くと、この症例を経験した方々が以外と多いことに気づきました。 私自身も少なからず、これは経験のある話です。 既に辞めた会社なのに、その状況で何かに追われるような夢を見たり…というのが私の場合は多かったです。 あとは、なにか重大な時間の遅れが発生したり、重要なものを持ち忘れてしまったり…などの夢を見ることも多かったです。 過去にであった人物が突然のようにフラッシュバックしてくる悪夢もなどもありました。 この夢というのは健常者の方でも睡眠中にたまには見るかと思いますが、薬の副作用による悪夢はなぜか妙に現実味があり、睡眠から覚醒するまでは夢か現実か分からないほどの悪夢が現れるのです。 レム睡眠、ノンレム睡眠とありますが、悪夢が続くというのはこのリズムも崩れるので、当然ながら眠り自体も浅くなりがちとなり、総じて睡眠時間が長くなってしまう方もいらっしゃるそうです。 以上、ワークショップなどで聞いたお話と、私の経験からですが、この悪夢というのは必要悪なのか、また睡眠中に夢を見るというのはなぜなのかを考えさせられる一年、年末となりましたので、書き記しておきたいと思いこの度に至りました。

【精神疾患】何でもない日に何をする?

今年ももう仕事終わりで年末年始の休みに入っている方も多いのではないでしょうか。 私も多分に漏れず、取引先にが休みに入ってきているため、年末モードになってきております。 こういうときに思うのですが、突然何日かの休みモードとなると手持ち無沙汰になり、何をするべきか迷うことがあります。 精神疾患の罹患時には、逆に私は休んでいいのかと自問自答して、全く気持ちが休まらないまま年末年始を過ごしたこともありました。 ですが、このようなときから続けていることで、自信にとって何もない日には極力、散歩をすることを心掛けていたりします。 本当に自宅の近辺から、最寄り駅からひとつ先の駅くらいまで、音楽でも聞きながら、ただただ歩く、それだけで一定ではありますが、体を動かせます。 体を動かすと、当然ながら少なからず疲れも出るもので、夜の寝付きもよくなり、睡眠に良い影響があるかと思っています。 よく一日中寝ていたい、と社会人の中にもそのような人がたまにいいますが、正直よほど体調が悪いとき以外はコレは止めた方がいいです。 何もない日の時間を無駄に消費してしまうことはもちろんのこと、気分も鬱ぎ込んで負のサイクルに陥る可能性があるからです。 私自身も社会人になりたてのときは、何もやることがない日は寝てばかりいた時がありましたが、やはり自宅に隠っていると、よくない考えばかりが浮かび、寝ようと思っても浅い眠りが続くだけで良い思いがありませんでした。 逆に例えば友人と出掛けたときなど、考え込まず友人との話に花を咲かせ、変に集中することがないのでストレスもありません。 今の散歩も同じで、私の場合は音楽を聞くのも集中していますが、頭の中を空にして、ただただ周りの景色を見ながら歩くだけで、何もない日をただの時間の消費から、日を過ごすということに繋がっているのではないか、と思ったりしています。

【日常】オチのある映画とオチのない映画

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私の趣味の範疇で、たまに映画を見ることがあります。 幼少期からの両親の影響もあり、かなりの数の映画を見てきてはいると思っているのですが、昨今はいわゆる明確なオチのない映画が散見されます。  昔の、私が子供の頃や学生時代には明確な起承転結のストーリーがある、普通にオチのある映画の方が圧倒的多数でした。 例えシリーズものだとしても、明確に内容を引っ張るようなものは少なく、必ずその作品内で必ず結びを得て一端の完結をするという作品が普通の流れかと思っていましたし、今でも一定はその流れが正しいと思っています。 しかしながら、明らかに続編を匂わせる終わり方の作品や、これならまだしも結末の意味を観覧者に考察させるような投げ方で終わる、いわゆる結末のオチがない作品が増えてきている気がするのです。 先に述べたように、起承転結の鑑賞に慣れている私からすると、このような閉め方をする作品は何だか歯がゆいというか、もどかしさが残ってしまい、映画好きでも作品を見きった、という感情に至りにくいような気もしています。  作品の作り手側からすれば、かつてないような展開や手法を用いた画期的な作品を作りたいという思いも分からないわけではありません。 私も同じクリエイター魂として、そういった部分は必要かと思いますが、解釈や結末を観客に丸投げするような手法は作品として本当に成り立つものなのかという疑問は残ります。 私は映画というのは作品の伝えたいことやその意味を個々が考えるエンターテイメントであって、結末や展開はある程度は作品内で示さねば意味のないものだと思っています。 結末や展開をみる人個々に任せてしまうと、逆に伝えたい意味が人によって大きく違う作品になってしまうからです。 映画の様々な手法や見せ方の新しいものが出てくることは、一ファンとしては大歓迎です。 要はこれらをうまく表現してほしいと願うばかりなのです。

【日常】クレーンゲームは賽銭箱(闇)

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私はごくたまにゲームセンターやアミューズメント施設に立ち寄り、時間潰しにクレーンゲームをプレイすることがあります。 また、最近ではオンラインのクレーンゲームもあり、そちらも何度かプレイした経験があります。 戦績でいうと、数回で景品をとれる場合もあれば、数千円かかってしまっている場合もありますし…しかし運が良ければ1回で獲得できた時もあります。 私の場合、菓子類や時にはフィギュア等を主にプレイすることがあります多いのですが…ではなぜプレイしてしまうのか、を考えてみると、結構単純でゲームセンターやアミューズメント施設の入り口付近がクレーンゲームで固められていることが多いからです。 ちょっとした待ち合わせ場所にここを選んだ場合、少なからず意識がクレーンゲームに行ってしまい、ついついプレイしてしまう…何てこともあるくらいです。 私の学生時代はゲームセンターというと、その名のとおり、当時はアーケード素体の対戦ゲームなどが花形でした。 当時はクレーンゲームはというと、メダルゲーム等と同様にゲームセンターの奥まったところにあるか、入り口に1台有るくらいでした。 それがいつしか、クレーンゲーム専用のフロアが確立され、最近の1階の入り口に陣取るようになってきたような気がします。 また、今ではクレーンゲーム専門の店舗もあるくらいです。 で、その稼働率と売上について調べてみると、大手のアミューズメント施設では売上の8割超はクレーンゲームという話もあるくらいです。 クレーンゲームの景品は原価が数百円までと決まっているそうです。 アミューズメント施設側は、クレーンゲームに景品の取れやすさ、取れにくさを設定して、人気の景品には厳しい設定を加えていることもあります。 普通の景品にしても、◯◯円くらいで取れるだろう的な設定をしているわけです。 ですので私個人的にはギャンブル的な側面があると言っても過言ではないのかもしれないとも思っています。 ギャンブルと決定的に違うのは、あくまで遊戯という点と、景品表示法の守られた範疇でのものだからです。 ただ人間、どうしてもほしい景品があれば、ついついお金をつぎ込んでしまうもの…だからクレーンゲームは賽銭箱と揶揄されてしまうこともあるわけですが…あくまでクレーンゲームはゲームであって遊び、景品が取れたらラッキーくらいの気...

【精神疾患】カフェインは摂取してもよいらしい

精神疾患の治療においては、睡眠のリズムを正すために、睡眠導入剤や睡眠補助薬が用いられることがあります。 私自身も経験がありますが、休職中ならばまだしも、恐らくこれらの薬は働きながらの摂取となると、慣れないうちは眠気と戦うことになってしまうからです。 これらの睡眠薬に頼った生活はいかがなものかと思いますが、正しく睡眠をとれる環境を作る上で、補助となってくれるのは確かです。 上で説明した通り、このリズムが時には狂い、日中に眠気が襲うようであれば、カフェインなどでしのぐと言うのもひとつの手段と医師から聞いたことがあります。 ここの体調や好き嫌いもあるかと思いますが、コーヒーやコーラ、緑茶なども意識的に飲むことにより、一時しのぎにはなります。 私の場合は、コーヒーが苦手でしたので、主に緑茶、ごくたまにコーラを飲んでいた気がします。 睡眠薬を常用している状態が続くと、体内時計のタイミング次第ではありますが、時には薬の作用時間が変わったり、作用が残ったりすることもあるようです。 このようなときに、睡眠作用の物質が体内で増えるように、また覚醒作用の物質を抑えるような作用が起きてきます。 ここにカフェインを服用することで、一時的に睡眠作用の物質をブロックして、覚醒作用の状態を保つ…のようなことをイメージとしての状態ができるようです。 ここで一番注意したのは、睡眠薬を服用しないにもかかわらず、大量のカフェイン飲料を飲まないということです。 このような状態になってしまうと、体内時計のサイクルが再び狂い、睡眠のサイクルも同時に狂い始めてしまうからです。 ですので、今では睡眠のサイクルを崩さず、どうしても起きていなければならないときや、早起きで眠気がとれないとき、また日中にどうしても眠いとき以外は極力カフェイン飲料を飲まないようにもしています。 良い睡眠サイクルは、良い生活サイクルにも直結しますので、少し意識して気を使ってみるのも良いのかもしれません。

【過去】ヨーロッパとのクリスマスの違い

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私の人生を通して、なかなかこの時期に国外にいることがないので、幼少気での話になりますが、ヨーロッパでのクリスマス風景をいくつかご紹介しようかと思います。 まず、欧米での意味合いですが、これはあくまでキリストの生誕祭です。 ですので、教会へ礼拝にいく方も少なからずいます。 もちろん、サンタクロースやプレゼントの風習もありますが、これらは各家庭によるところも大きいです。 よく、自宅を電飾で大々的に飾る人もいれば、質素に家族間でのプレゼント交換だけで済ませる人もいます。 次に食について。 チキンというイメージが日本人の方々にあるかもしれませんが、確かにチキンや七面鳥を各家庭でグリルなどの調理をする方は多いのですが、いわゆるケンタッキーフライドチキンで、という方はかなりの少数派です。 ケンタッキーフライドチキンはファーストフードのひとつという認識ですから。 また、ケーキも大々的なものは少ないと思います。 洋菓子という観点では、クリスマス用の焼き菓子などの菓子類を用意する方は多いのですが、いわゆるクリームたっぷりのケーキは少数派かもしれません。 これらクリスマスの飾りや一部プレゼントの購入手段として、ヨーロッパにはクリスマスマーケットというものがあります。 一部の町や、商店の集まりを挙げてクリスマスの品々を大々的に売り出すマーケットがあるということです。 このクリスマスマーケットでは、逆にクリスマス用品しか売られていないような光景と言っても過言ではないかも知れません。 また、日本ではこのあとにすぐ元旦がやって来ますが、欧米では日本ほどの厳かさがないので、クリスマスの方が大々的です。 (というか、比較すると欧米では正月は平日的な流れかもしれないです) 日本は正月があるので、よくよく考えると、どうしてもクリスマスは商業的な側面が多いような気がします。 元旦の歴史と比べても、日本のクリスマスを歴史的に考えると、某大手の広告代理店がそのように仕掛けているのかもしれませんが… と、言っていますが、今日はイヴなので、上記のようなことを色々と考察する良い機会となりました。

【日常】「運動をしなさい」ということ

私は人よりも少し血圧が高めなので、健康診断や内科での検診時によく「運動」を勧められることがあります。 しかし恥ずかしながら私、中学校の時に当時の顧問教師と喧嘩して以来、部活動も含め、あまり運動全般というかスポーツに縁がないのです。 幼少期には水泳やサッカーをしていたこともあるのですが… で、この医師の言う運動が正直どの程度のものか、いつも???なのです。 例えば家の近所をマラソン的に走ってみる?…または自宅で筋トレしてみる?…これが本当に運動になるのかと思ってしまうときがあります。 以前はスポーツジムでランニングマシンなどをしていたこともあるのですが、これも根本的には???でした。 単純に汗をかくだけなら、個人的にはサウナが好きなので良く行くのですが、医師はこれはあまり効果がないと。 もともと運動神経があまりある方ではない私なのですが、フリーランスとなった今では、余計にインドアな生活になってきているのも確かです。 このように色々と試してはみてみるものの、どうにもしっくりくる「運動」というのが見出だせない今日です。

【精神疾患】働きたくない状態から

精神疾患となると、当然ながら働けない状態になるのですが、回復してきて寛解の状態になり、いざ仕事をと思ってもなかなか動けない状態に陥ることがあるようです。 実のところ、私自身も過去に少し似た状態に陥りました。 今のフリーランスとなるにあたり、数年前から色々と考えていましたが、休職~退職に至っていざ動けるチャンスがあってもなかなか前進できない…時にはネガティブな考えで、前に進めない状態が少しばかりの間、続きました。 当時は傷病手当の受給が終わり、雇用保険の受給を受けようかという瀬戸際のところで、まず私は今のように案件ベースで仕事を取りに行こうとせず、雇用保険の受給と平行して、Web記事の作成やデータ入力などのクラウドソーシング、いわゆるノマドワーカーとして少しずつ動き始めることから始めようと思いました。 まず、これであれば労働意欲がなくとも、隙間の時間でできるということ、そして何より今のフリーランサーとして動くトレーニングになると思ったからです。 しかしながら初めのノマドワーカーとしての収入は数百円から…当然、経済的には貯金の切り崩しと雇用保険で少し厳しい状態が数ヶ月間は続きましたが、次第に労働意欲も回復してきて、継続できる仕事の中から、今のフリーランスへの道が少しずつ見えてくるようになりました。 よく、精神疾患の回復期には規則正しい時間で起床、就寝をして毎日決まった時間に出歩くなどの回復訓練があるようでしたが、私の場合はフリーランサーを見据えていたので、これらをあまり意識せずにいたことが結果として少しはよかったのかな、と今では少しは思っています。

【日常】遠出して出会ったストリートピアノ(動画のみ)

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神奈川県の新百合ヶ丘駅にて出会ったストリートピアノの演奏がカッコよかったので、録画してみました。 ※音量を上げて聞いてください #ストリートピアノ #クリスマス #ワンピース #新百合ヶ丘

【精神疾患】どうしても朝起きれない症状

私は学生時代から朝がどうしても苦手な方です。 よく、年齢を重ねると朝型になり、早起きする傾向が出てくるとも言われていますが、現在の私にはその兆しがありません。 精神疾患に罹患するとよく昼夜逆転の症状が出てくると言いますが、私の場合、上記の理由もあり、そこまで崩れた睡眠サイクルにはなりませんでした。 ただ、少なからず薬を服用していた時期は、どうしても過眠気味になり、半日くらい寝続けていることもしばしば。 幼少期から、実家では休日は比較的ゆっくりと寝ている家庭で、早起きするのは祖父母の家に行ったときくらい…そんな環境で育ったからかもしてません。 会社員時代は何とか目覚ましで朝起きていた状態でしたが、フリーランスとなった今では、特に決まった時間では起床せず…というか、このような生活になれてしまっているので、どうしても所用などで決まった時間に起きなければならないときが苦痛なくらいです。 よく、早く寝れば早く起きれるとも聞きますが、一時期試した私の所感としては、睡眠時間が延びてしまうだけで、特に効果はありませんでした。 睡眠時間が長いことで、時間を有効に使えていないというか勿体なさは頭にはあるんです。 でも、例えばこの時期は特に冬場の寒さも合間って、布団から出るまでに余計に時間を費やしますし、ましてやもはや定時での通勤サイクルなど考えられない状態です。 これらを考えると、気分が落ち込むこともあるのですが、今はこれで生きていくしかないのだとも思っています。

【日常】同一労働同一賃金って本当に実現できるの?

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昨今、同一労働同一賃金が叫ばれていますが、これは本当に実現できる話なのでしょうか。 今の社会の仕組み、段階から考えると、私は遠い未来の話になるような気がしてなりません。 会社では同じ企業内で正社員、契約社員、派遣社員…など、様々な働き方をしている方々がいます。 要はこれらで同一の仕事、ポジションの賃金を是正しようとしてることなのですが…私の経験上、例えば部署内ミーティングなど、正社員は全員参加するが、情報漏洩防止のため、契約社員と派遣社員は参加させないなど、ここで持つべき業務の情報がまず変わってきます。 また、この構図があると、業務指示は正社員から受ける形となるので、ポジションが同じ仕事と見なされていても、自然と差が生まれてしまいます。 更に壁となっているのが、役職による差です。 課長や部長などの肩書きがある社員でも、忙しくて本来の業務である管理マネージメントに手が回らず、現場の平社員にリーダー的立場の人間を置き、回しているような部署を考えてみましょう。 この場合、実質的に部署を管理しているのはリーダーに指名された人間で、部課長の管理職ではありません。 更にこのリーダーは他の平社員と同一の仕事も受け持っているポジションです。 この場合、どのようにして同一労働同一賃金を考えるのでしょうか。 少し極端な例かもしれませんが、私には全く考える基準が分かりません。 このように、他に是正すべき点が多々あるにもかかわらず、同一労働同一賃金の言葉だけが今は先行している印象です。 もちろん、同じ業務をしているのに、差があるのを是正することは必要だとも思っています。 これら、企業によって異なる事情のあるなかで、国策として進めていくのであれば、同時に厳格な方の整備も合わせて考えるべき局面があるのかと、私は切に思いました。

【日常】大掃除とは断捨離から

年末といえば大掃除に着手する人も少なくないのではないでしょうか。 でも大掃除って具体的には???と思う人も多いのではないでしょうか。 拭き掃除や掃き掃除ももちろんですが、これらを始める前に、身の回りで邪魔なもの、不要なものはありませんか。 例えば洋服を趣味とする人であれば、数年前に買って、今は着ていない服など…、読書が趣味の人であれば、もう読まない本があったり… これらを片付けるだけでも、掃除がやりやすくなることがあります。 また、不用品を売れば、二束三文かもしれませんが多少の返りがあるかもしれません。 よほどのコレクターでなければこれは年末に限らずとも、思い立ったらすぐにできるかもしれません。 その後、ようやく年末は掃除をするということに集中できれば、精神衛生的にも良いのではないのでしょうか。 しかしながら、次から次にものを買う、という人はこれもなかなか難しいと思います。 私も少なからずそのような部分があるので、偉そうなことは言えないのですが、そこで効くのが断捨離です。 新しいものを買えば、必ず古いものは手元に残ります。 でもなるべく古いものであっても、手元に残しておきたい、と思ったときには、使用の頻度や、キズイタミなどを勘案して取捨を分類していきます。 すると、自然と絶対に残すもの、絶対的に不要なものが出てきて、後者のものは断捨離することができるのではないでしょうか。 また、どちらにも該当しないものもあえて分類しておくことによって、後々の同じような機会で取捨選択がしやすくなるメリットもあります。 私も現に実行できている部分と、できていない部分があり、耳が痛い話ですが、人間年々年を重ねていくので、いつかはやらなければならないことです。 新しい年を迎えるに当たって、よい準備ができる年末になればと、今回は書き記しておきます。

【精神疾患】日本人における差別意識と障害者

今でこそ少なくなってきましたが、外国人の方に聞くと一番嫌いな日本語は「ガイジン」という時代があったそうです。 また、海外の方に聞くと、日本は障害者の方に優しくない、といったイメージを持つ人も多いようです。 ではなぜこのような差別のイメージが少なからず日本にはあるのでしょうか。 第二次大戦中、日本はアジア諸国へ多大な侵略とも言える行為がありました。 また、戦国時代にも各地で領土の征服にともなう争いが激化していた背景があります。 我々のDNAには、弱者にマウントを取ることで安心できるような感情が組み込まれているのかもしれません。 私自身、幼少期に海外にいたことで、現地のいわゆる不良少年みたいな輩から、面白半分に中指を立てられたり…経験があります。 恐らく日本ではそこまでするケースは少ないでしょうが、潜在的に異形の者、マイノリティな者へ対するマイナスイメージはあるのではないでしょうか。 障害者、特に精神障害者が犯罪を犯すとマスコミはこぞって報道しますが、よく考えてみてください。 健常者の起こす犯罪の方が圧倒的に多いということを… 障害者に優しい社会と唱ってはいるものの、実際は明確に仕事上の制限や、受けることができる福祉サービスで線引きされているのが日本です。 この恩恵を受ける障害者の方が多いのも事実ですが、そうではない国もあります。 要は社会が障害やマイノリティの方々をどのように受け入れるかが重要で、そこに介在する差別的な情報とどう向き合うかが本質的な問題なのだと思います。

【日常】お年寄りのパソコン教室

仕事がら、というわけではないのですが、お年寄り向けにパソコンやタブレットの使い方から設定までを教授する機会がままあります。 大体60~80代の方々がお相手として多いのですが、実はこれらの方々に密かに需要があるのも事実です。 逆に、これ以上の年齢の方々となると、連絡やショッピングはリアルな対面を望みますので… これらの方々となると、親戚は遠方なので、テレビ電話やSkypeを使って連絡を取りたいとか、大きな買い物が大変なので、ネットショッピングを活用してみたいなど、潜在的に色々と試しては見たいけど、何から始めればよいかわからないという方々は以外に多いです。 会社員時代にITが入ってきたものの、定年退職期の近くであまりIT機器に触れられず、第2の人生に突入した方々のニーズとしては強いです。 ですので、私も説明させていただくと、すんなりと受け入れて用途を使いこなせる方も多いのです。 私自身も親や祖父母、親戚一同のIT機器回りの頼りとされていますが、他にも恐らくこのような方はいるのではないでしょうか。 ある程度の需要とニーズがあるので、ビジネスチャンスもあるのかもしれませんが、正直、私はこれ一本でビジネスとする気はないです。 何だか簡単なマニュアルを用意すれば終わり…みたいな形になりそうなんですよね。 今後もこういった需要からのお願いは受けることがあるかと思いますが、私としてはお年寄りのパソコン教室を開設するまでには至らないとのことで、今は結論づけておきたいと思います。

【過去】忘年会はハラスメント

会社員の方々はそろそろ忘年会のシーズンなのではないでしょうか。 フリーランスの私には今は無縁ですが、過去には会社の忘年会に参加した経験があります。 まず、海外、特に欧米各国ではこのような風習はありません。 会社の同僚との関係よりも、自身の家族との時間を大切にするためです。 ですので、これの参加を強要するのはハラスメントです。 次に、よく新卒者に研修の一貫として、幹事を任せる場合があります。 先輩や上司が研修として、諸々フォローをしながら幹事として任せるのは、多少アリかもと思いますが、丸投げして相談もできず、本人にも研修の旨を伝えないで幹事をやらせるのは、これまたハラスメントです。 ここだけの話、忘年会の幹事が嫌で退職する新卒社員が増えてきているのだとか… また実際に忘年会の場でも、上司が部下にお酒を注がせれば、これもまたハラスメント。 お酒の勢いで部下や同僚が嫌がるにも関わらず絡んでしまうのも、ハラスメント。 同僚のプライベートなことを根掘り葉掘り聞こうとすると、これもハラスメントです。 では、なぜここまでして会社で忘年会をしようとするのか…一つの可能性としての理由ですが、上司が部下に対してのコミュニケーションが分からないから、こういった場を利用しようとしているからではないでしょうか。 海外企業では、お互いに納得するまで、業務中や会議の場に限らず、日々徹底討論する場合がありますが、基本的に日本企業の会社上司は、業務内での徹底討論をなぜか嫌います。 部下一人に割く時間が取れず忙しいからだとか、多少の問題は先送りにしてもよいかのような振る舞いなどを目の当たりにしたことがあります。 私はこれらに加え、飲み会などをコミュニケーションの場と考える慣習が嫌でサラリーマンから退きました。 話はズレましたが、忘年会も現代では以前とその意義が異なってきていると思いますので、時代と共に形を変えていく必要があるのではないでしょうか。

【精神疾患】どうしてよいかわからないとき…何もしない方が得策

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私も経験したことがあるのですが、精神疾患の症状の中で焦燥感というものがあります。 文字のとおり、とにかく焦りが出てどうしようもなく、時には自分を追い込むようになって、何かをしなければどうにかなってしまいそうになるほどの状態になることもありました。 私の場合、特に休日や休職などで休みに入った頃、普通であれば仕事を離れてオフを満喫やとにかく体を休めることに集中のはずなのですが、このオフのスイッチがうまく切り替わらず、気持ち的に休んでいる場合ではない、とか休んでいる間にどうにかなったら自分のせいだと考えてしまって、結局何もできない状況にも関わらず、自身を責めてしまう状況に陥ることがあるのです。 このような場合、個々人にもよりますが、まず考え方を割りきるまで、いくらかの時間が必要です。 それで、本当に休んで良いんだと思えるようになってから、心身ともに本当に休める状態が初めて作れます。 精神疾患の場合、まずとにかく休ませると言いますが、上記のようなプロセスで休息に向かう場合が多々あるためです。 ここで休める状態が作れるようになったら、本当に何もしないということに心掛けた方が良いと思います。 人間にはいい意味でも悪い意味でもルーティーン化している行動というものがあって、休める状態となって初めてルーティーンの部分から外れることができます。 起きる時間や寝る時間、通勤の時間などがないある意味、非日常がそこに訪れるわけです。 で、これらの時間を何か他に割り当てるのではなく、まず何もしない時間に割り当てるのが重要なのです。 何もしないと人は自然と休む方向へと持っていく場合が多いと思いますので、まずは何もしない。 何かする時間に割り当てるのは、回復期へ入ってから、そこで初めて考えるくらいで良いと思います。 この焦燥感による何とも言いがたい状態は、最初は本当に辛いと思いますが、何とか乗り切り、何もしないで休めるまで、主治医や家族でも良いと思うので、話してその方向へ向けるよう、協力して進んでみてください。

【日常】福袋は特か損か

年末になると、年始の初売りに合わせて売り出される福袋の情報が出てきます。 福袋とは元来その名のとおり、福を呼ぶ袋売りにちなんでのものですが、現在ではお得なセット売り的な販売手法のひとつとして浸透しています。 しかしながら先に述べたとおり、福を呼ぶ意味合いとして年始の販売が多いと聞いたことがあります。 私自身も年始に限らず、通年である福袋など、いくつか購入した経験はあるのですが、この福袋を買うということ…ズバリ得なのか損なのか、人によるかと思いますが、私は得する場合が多い、とだけ言っておきます。 そもそもの話、店側からすればこの販売手法は在庫整理の一環になっている場合が多いと思います。 新商品の福袋ってほとんど聞いた経験がないですし。 中身の分かる福袋は別として、片落ち品でもある程度まとまった状態で安価であれば、人はお得感を感じるかと思います。 でも、それだけの理由で買うなら、安物買いの銭失いになる可能性もあります。 そこで一考したいのが、必要なものが買う福袋に含まれているかです。 多少方の古いモデルでも、その人に必要なものが含まれているのであれば、買うという選択肢を考えてもよいでしょう。 しかし福袋にはアタリハズレの要素も少なからず介在しています。 ◯◯が入っている可能性のある福袋…というのは私は避けるべきだとも思っています。 確かにまとめて買うお得感はあったとしても、結局のところ欲しいものが手に入らないのであれば、福も何もあったものではありません。 別途、年始の正月セールなどで買った方が、割安感があるかもしれないからです。 福袋というのはギャンブルなどではないので、景品表示法などあまり気にせず売買できる反面、本当にお得感のあるものから、裏返しで、大したことのない在庫整理品までと幅があるのが現実だと思います。 本文が福袋の購入を考える一助になれば幸いですが、必要なものは必要なときに必要なだけ買うのが人間の本望だと思いますので、福袋も本心から楽しんで買えるものということを願うばかりです。

【日常】渋谷パルコ 6F (画像のみ)

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渋谷パルコに行ってみたので、いくつか写真をアップします。 ・Nintendo TOKYO ・ポケモンセンター シブヤ ・JUMP SHOP ・TOKYO PARADE goods&cafe (U-FES. FOOD PARADE)

【精神疾患】結果的に逃げるが勝ち

仕事やプライベート、日々の生活で追い込まれることって誰でもあるかと思います。 そんなとき、とことん向き合って戦っていく手もありますが、割りきって逃げ、撤退するっていうのも選択肢の一つです。 「逃げるは恥」って言葉もあるくらい、日本人は美徳として物事から逃げ出さないって遺伝的に植え付けられている部分もあるかと思いますが、精神疾患の経験者の方に聞くと、これが当てはまる人が多いと聞きます。 要はうまい具合に物事から逃げ出す、または撤退するタイミングを逸したために精神的に追い詰められる日本人が多いと言うことかと思います。 例えば仕事でどうしてもうまくいかない…これは本人のせいではなく回りの環境のせいなもしれません。 であれば、直ぐに転職するなど行動をとるべきなのですが…今のタイミングで辞めるのは忍びない、など変なプライドというなの美学(?)が邪魔して行動を起こさない、現状維持で甘んじる人って、以外と多い気がします。 でも、それって本当に精神衛生上悪く、健康を害してまで続けることなのでしょうか? 今でこそ咎められる場合は少ないですが、一昔前はひとつの会社で長く勤めあげるのが美学で、転職回数が多いと不利益な場合がありました。 しかしそのようなビジネスライフは崩壊したといってよい時代ですし、企業もそのような人材を求めるのは希でしょう。 ですから環境が会わなければ辞める、だけで十分な理由となり、決してマイナスな逃げではなく、むしろ勇気のある撤退と言えます。 人生、自分のチャンスとなるものがあれば立ち向かうべきときが必要ですが、自身にマイナスとなるもの…ましてや精神疾患の引き金となりそうであれば、徹底的に避けて逃げてください。 自身の恥や他人の恨み言は一時的なことですが、失った時間は二度と戻ってこないので…

【日常】仕事は大きな評価よりも小さな結果

私に限らず、会社員やフリーランスの立場で仕事を受ける場合に、以下のようなオファーで選択を迫られる場面が時々あると思います。 ・A:非常に大きな案件だが、寝る間を惜しんでも6~7割りくらいしか達成できそうにない…しかしながらこの仕事が終われば、業界で大きな評価も得られる可能性があり、報酬も高額 ・B:小さな案件だが、スケジュールを立ててこなすことができ、頑張れば求められている以上の結果が出せる可能性がある…この種の仕事や人脈は継続的に続けられそうだが、評価は限定的で、報酬はあまり高くない 私であれば迷わず「B」の仕事を選択します。 私の考える前提としてまず100%の完遂をできないような仕事は受けません。 また、金銭的に高い見返りを求めていたなら、今でもサラリーマンを続けていたでしょうし…そのくらいの覚悟をもって今のフリーランスの立場に臨んでいるのが現実です。 しかしながら、「A」の場合も大きなチャンスを得られると言う点では魅力的なオファーではありますが、求められるに満たないという点では受けられない仕事ですし、高額な報酬であっても、やはり私としては受けづらい仕事だと思っています。 無論、一時的にでも経済的な潤いがあるには越したことはない点も否定はしませんが… これら、私の考え方を綺麗事と思う方もいると思います。 私だって正直、綺麗事だと思う部分もあります。 でも、目の前に完璧に片付けられる仕事があるのに、飛躍できるチャンスだけで完遂できない仕事を受けることがどうしてもできない、ある意味ダメな性分なのです。 これは恐らく、今の社会的には向いてない性分なのでしょう。 「A」のようなオファーを受けて、チャンスを得た人が今の社会を動かしている側面もあると思われますから。

【日常】油そば好き

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私は、もともとラーメン好きではあったのですが、ここ数年、油そばをこよなく食するようになっています。 正直な話、毎日食べても飽きないものに出会ってしまった感があります。 ラーメンの場合、スープが多種多様にあり、それが面と合間って味の大部分を占めるものかと思います。 また、台湾まぜそばに代表される、具材や辛味をまぜる、まぜそばと呼ばれるものも昨今では多くありますが、これはまた別物だと思います。 私の言う油そばは、単純に麺を鳥油や葱油などとタレで合わせたものを、ただただかき込み食する、それだけのものです。 お好みでネギやラー油、お酢といった味付けで調整することもありますが、基本的には麺そのものを味わうもので、麺の風味や食感が全ての一杯だと思っています。 最近では専門店も少なからず見られるようになってきましたが、基本は上記のようなものが多いかと思います。 自分でも、なぜこれほど好きになったのか、振り返ってみると…スープの塩分を気にすることなく、かつ麺を食べきれば器が空になるので、食べきったと言う満足感が半端なく得られるからです。 私自身、血圧も高い方なので、この油そばを初めて食べたときは画期的だと衝撃を受けました。 ただ、量的なことを言うと、ラーメン一杯の麺量より、明らかに一杯の麺量は多いと思うので、この食べ過ぎには注意していますが… この、油そばもそろそろ市民権を得てきた食べ物だと思いますので、もし油そば協会などがあれば是非とも普及に協力させていただきたいと思っていますので、情報をお持ちの方がいれば、ご一報いただければ幸いです。

【精神疾患】ゴッホの人生

恐らく多くの方がご存じの有名画家フィンセント・ファン・ゴッホ。 代表作に「ひまわり」などがありますが、これら彼の作品は、ゴッホ自身の死後に評価された作品と、ご存じの方も多いのではないでしょうか。 また彼は精神疾患を抱えており、自身の耳を切り落とした逸話や、37歳という若さでこの世を去った人生というのも有名な話です。 私が初めてゴッホの作品に触れたのは、小学校の頃、当時の修学旅行でオランダへ行き、ゴッホ美術館で実際の作品を目の当たりにしたときからでした。 それ以来、ゴッホの作品のにわかファンというか…日本国内でもたまにゴッホ展などが開催されますが、度々足を運ぶこともあります。 ゴッホが精神疾患を抱えていたとか、死後に評価された画家だとか、これらは私が成人して知ったこともありますが、それからゴッホの作品の力強さをより感じるようになった気がします。 あの力強い表現こそが、彼の精神面の体現だったのかもしれませんし、ゴッホ自身のコントロールできない感情をぶつけたのが、あれら力強いタッチの作品たちなのかもしれません。 話しは変わりますが、よく、絵心のある精神疾患の方が絵を描くと、時にものすごい表現が現れることがあるそうです。 もしかしたら、人の精神面と芸術や感性を司る部分は密接な関わりがあるのかもしれません。 ゴッホも生前こそ精神疾患で評価されづらかった時代背景があったのかもしれませんが、私は単純にあの力強い画力が素晴らしいと素直に思える、ゴッホの作品を好きになったんだと思います。

【精神疾患】建前と他人の声

精神疾患の経験のある方のお話を聞くと、音に敏感になったという方が多くいます。 中でも、他人の声や話し方に敏感になったという人が多くいました。 このお陰というか、せいもあり、要らない詮索をしてしまう場面も増えたと言います。 人間、会話の中で建前で話す場面があると思います。 これは社会に出ればよりこのような場面もあり、物事を説得する材料とする場面で使われたり、マイナスな本音の角が立たないように包み込んで話す場合に用いることが多いと思います。 しかし、私の場合もそうでしたが、精神疾患にある状態のとき、これらの建前で話すということが通じないケースがありました。 何というか、まさに相手の話し方や声の抑揚で、本音で話しているのか、建前で話しているのかが何となく分かってしまうのです。 で、建前で話す相手に対して、こちらが本音で話すと当然ながら会話のズレが生じ、何故か大抵の場合、相手は怒ります。 …気を使って話しているのに…と。 しかし精神疾患の状態にあった立場から言えば、建前での会話は必要ないのです。 最初に話した通り、精神状態で相手の声や話し方の方が気になってしまい、話している内容から情報を得ようとするよりも、その話し方から情報を得ることが多いのです。 だから、わざとらしいリアクションや、必要悪でも嘘の会話はやめてください。 たとえビジネスシーンで上記のようなことが必要だと思っても、それでもやめてください。 私は他人の声に敏感になるのは、あくまで精神的な一部が鈍くなっているのと、また裏返しである感覚の一部分が鋭くなりすぎているからだと、経験上ながら思っています。 今回は精神疾患を受け入れる側からの疑問の声もあったため、本稿のようなことを書き記させていただきました。

【日常】ステマは違法ですよ~

コンサルティングやブランディングのフリーランサーを生業とする私にとって、マーケティングの手法は最も重要な要素の一つです。 しかしながら、広告代理店の中には、未だにステルスマーケティングの手法を用いようとする企業があるので、今回は注意喚起も含めて筆を執らせていただきました。 この場でハッキリと申し上げますが、今ではステルスマーケティング(ステマ)はグレーゾーンではなくて、私は違法行為と思っています。 バレなければいいや…ではなくて、ステマと認識して行った時点で、信用棄損罪や偽計業務妨害罪の対象となる可能性があります。 それだけではなく、いわゆる炎上などしてしまえば、祖の商品や作品だけでなく、企業ブランドのイメージを大きく損なうことになると思います。 この損失の大きさはもはや天井知らずとなることでしょう。 これらは一企業のことだけならまだしも、時にステルスマーケティングは社会全体を誤った方向へ動かす可能性さえも秘めていると、私は個人的ながら考えてしまいます。 気づいたときには、自身は既に誤った潮流の構成員として動いている…何てことも起こり得てしまいそうです。 少々話が飛躍してしまいましたが、もう一度だけ言うと、PR活動としてのマーケティングは重要ですが、消費者に誤った理解や、間違った方向を指し示してしまう可能性を大いに孕むステマを手法のひとつとして使用するのは、絶対に避けるべきです。 合わせて、私たちユーザーも正しい情報を享受して、必要の取捨選択をする必要がありそうです。

【過去】パソコンを買い換えようと思ったが…

最近、パソコンを買い換えようと思って、結局のところ、中身だけパーツの交換をして済ませてしまった話です。 このパソコンはデスクトップで6~7年前に某BTOにて購入したものです。 さすがにこの年数を使用していると多少の不具合が出てくるもので、一新しようと当初は買い換えを検討していたのですが、やはり価格がネックになったので、パーツ交換による改修に踏み切ることにしました。 まずは昨今で比較的安くなってきているCPUから決めて、さすがに今の世代だと、6~7年前のマザーボードでは合わず、マザーボードの買い換えも決めます。 すると今度はメモリーの規格がDDR3からDDR4への変更が必要になり、こちらも用意。 電源とPCケース、ストレージ類(HDDとSSD)、グラフィックスカードはなんとか流用できたので、買い換えよりは安上がりでしたが、数万円の出費と…あとはパソコンを一旦バラすための労力と時間が、久々の自作パソコン的にかかりました。 今回のパソコンは比較的もった方ですが、これだけの年数が経つと、諸々の規格が変わっており、逆に古い規格のものは入手困難なものもあったので、結局のところ現行と思われる規格のものに統一しましたが、やはりそれでも10年くらいはパソコンの耐年数があってもよいのでは?…と思います。 もちろん、それ以上の年数をもたせる方々もいると思いますし、工夫次第ではお金や規格を気にせず、いわゆるジャンク品などを使用してパソコンを仕上げる方もいるかと思います。 でも、やはり家電、されど家電なのでしょうか、昔のもののように長持ちはせず、ある程度は買い換えのサイクルが考えられている家電のひとつなのだと思います。

【日常】食べログ…ってそんなに気になります?

私の仕事上の機会で、外食産業やレストランのブランディング、コンサルティングに関わることがあります。 その中で特に若手のオーナー様などに多いのですが、食べログなどのインターネットの批評や評価を気にする方がいます。 これについて、私の見解ではありますが、特に期期する必要はない、と言わせていただいています。 正直、ネット上でアクセスデータを取ってみると、これら評価サイトからの流入はほんの一部の層からの流入にすぎず、その店舗の公式ページがある程度しっかりと予約などで作り込まれていれば、そこからの顧客獲得の方が圧倒的に見込めるからです。 私自身、これらの批評サイトの評価を否定する気はありませんが、特に気にして入店を選択すると言うこともさほどありません。 活用している世代の方々には一部、指標となってささる部分もあるかと思いますが、親の世代、祖父母の世代ではまず気にしない指標と言ってもよいでしょう。 この世代になると、行きつけの外食店舗も増え、他の批評や評価を外食に限っては気にする必要がない、といった背景もあります。 逆に言えば、外食店の事前情報や評判といった部分を数値化して、特定のこれを必要とする層にささるように仕掛けた、食べログなどは、もともとのニッチな潜在層からのうまく社会に溶け込めたサービスのひとつの事例ではないでしょうか。 食の好みは一人一人違ってよいものでもあります。 行きつけの懇意になれば自然と好みの味に合わせてくれるレストランなども私自身、いくつか知っています。 批評サイトの数値もあくまでその人の好みであって、好きな味は自分で探求する…そのくらいの意識は誰しもが持ってもよいものなのではないでしょうか。

【過去】ドイツのグルメ

ドイツ料理と聞いて、思い浮かぶものがいくつかはあるかと思います。 これまで私が食してきた中で、日常的によく食していたものや、リピートで食べていたものをいかにお伝えしたいと思います。 ・ウィンナーブルスト 日本で言えばフランクフルトソーセージに当たるものでしょうか。 本場では大きく直火で焼いているものもあり、個人的にはミュンヘン風の白ソーセージや、カレーケチャップで食すカリーブルストなんかがオススメです。 ・シュニッツェル 豚肉または仔牛肉を使ったカツレツのことです。 レストランによっては中にハムやチーズを挟んだものもあり、ボリュームのあるひと味を楽しめます。 非常に一般的な料理ですので多くのレストランで楽しめる一品です。 ・ポテトとミートソースのココット 日本ではじゃがバターがありますが、ドイツではバターの代わりにまるごとのジャガイモにミートソースを合わせて食す料理があります。 こちらも一般的かつ日本人の口にも合う一品かと思います。 ・フィッシュ&チップス 多くはイギリス料理をイメージするかもしれませんが、ドイツでも白身魚のフライやフレンチフライポテトは一般的で、様々な場所で楽しむことができます。 特にレモンバターと合わせた白身魚のフライは、パンなどともに一般的な昼食で食す人も多いです。 ・黒パン 日本で言う黒糖の甘いパンではなく、黒いライ麦を使用して発酵させて焼いたパンのことで、固めの歯応えと酸味が特徴のパンです。 パン単体では酸味が気になる方もいるようですが、塩気のあるハムなどと合わせて食すと、なぜか癖になるサンドイッチのような味があり、夕食の場面で食す機会の多いパンの一つです。 今回は簡単ながら、いくつかのドイツ料理を紹介させていただきました。 日本ではまだまだドイツ料理の専門店は少ない方かもしれませんが、機会があれば多くの日本の方にも知っていただきたい料理ばかりです。