【精神疾患】無力だという思いにさいなまれたとき

 よく、自分は何もできなかった、あの時こうしてればよかった…などの後悔の念は、人間である以上、抱くことは少なからずあると思います。

これは心配性といわれる人ほど多く、後悔の念というものを抱く傾向があるようで、この念が大きく、あまりにも多いと不安障害などの精神疾患となるような場合もあるそうです。


また、これらの方々には多くの共通点もあるようで、自身よりも他人を優先し、細かい気配り、細かく分析して考えを巡らせる…などの性格もあるようです。

しかしながら、これらの性格は決してマイナスではありません。

自分よりも他人を優先するのは自己犠牲の精神のあらわれだと思いますし、細かい気配りができるというのは社会生活の上でも周囲にとってのプラスとなる場面も多く、分析力があれば見落としやミスに人一倍気づきやすく研究などのスキルにも活かせることがあるでしょう。


それでもこれが精神疾患の方向へ進んでしまうと、これが自身を見失うことにもならないのです。

例えば、自分はどうなってもよいが、配偶者や両親や子供、祖父母などの家族が窮地に対面する場面などに遭遇してしまうと、人一倍考え込んでしまい、不安にさいなまれ、結局自分は何もできないと、自己嫌悪のサイクルに落ち入ってしまうこともあるのです。


確かに人を思う心は大切なものだし、なくてはならないものだと思いますが、精神疾患治療の場面ではまずは自分、他人はあくまで二の次くらいに考えないとならないこともあるのです。

あなたの人生はあなただけのもので、他人にとって変わることはできませんが、考えを少し変えて、あくまで自分の人生という一つの念の中に、多くの他人が関わっているのだと、考え方の順番を変えるだけでも少しだけ楽な生き方ができると思いませんか?


もしかしたらあなたの心配は、それ以上に考えている他人もいるかもしれない…それで社会活動は回っていると考えれば、心配や不安の一つ一つがもう少し小さなものに思えるかもしれません。

心配や不安を感じるなとは言いませんが、少しだけ目線を変えてみるのも一つの考え方だと思ってみるのも、これ幸いだと思います。


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