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【日常】遠方の地方で親や祖父母を持つ心配

例えばですが、高校や大学を卒業して、いざ上京して数年。 最低でも年に一度くらいは帰省していたものの、昨今のようなコロナ禍のような状況になるなど、ほんの一年前とか、誰が予想していたでしょう。 特に持病をお持ちのご両親や、介護が必要な祖父母をお持ちの方であれば、なおさら帰郷できない方も多いのではないのでしょうか。 実際に都市部から帰省できても、帰省先の家族の通院やリハビリが濃厚接触者となってしまうためできなくなったり、その反面お願いしている実家近隣の親戚や介護ヘルパーさんへの負担も限界に来ていて、その狭間でお悩みの方も現実に多いと聞きます。 また雇用の状況も悪化して、なかなか再就職も難しい中で、上記のようなお悩みを抱える方もいるでしょう。 自身の人生が大変なのに、親や祖父母も大変な状況…でも、絶対に自身を追い詰めるようなことは止めて下さい。 今は下を向いて考えなければならないようなことでも、何か些細なきっかけで光がさすことがあります。 人間に解決できないことはない…とまでは言いませんが、明けない夜は決してないのですから。 今は人に迷惑をかけていても、目先で仕事が難しい状況でも、時間は動き続け、いつかきっと自身の納得できる状況が来ると思ってみてください。 これは私自身にも言えることですが、追い詰めて精神的に参ってしまっては元も子もありません。 必ず何かしらの手段はあり、それは時間が解決してくれるかもしれません。 待つだけなのは辛い方も中にはいるかもしれませんが、それも人の人生だと考えて、ぜひ何かしらの好転材料としていただける方が一人でもいていただければ幸いです。 #人生 #両親 #祖父母

【精神疾患】予兆を正しく知る

 精神疾患は現代病としても一昔前より多くの人に認知されてきましたが、現状でも多くの方々が休職や精神障害者認定を受けている方々が増えている側面もあります。 では、実際に少しでも精神疾患を防ぐための手だては何かあるのでしょうか。 私の経験からすると、予兆を正しく、そしていち早く知ることなのだと思っています。 私の場合も含めて多くの場合は、体調不良で通勤できない、頭痛や腹痛で動けない…など、これらが心療内科への通院や、病欠や休職のきっかけになると思われます。 ですが同時に、この状態は既に精神疾患に罹患していることも意味します。 既に精神的な疲弊に加え、身体的な症状までも表面化してしまっているからです。 どうすれば自衛できるのか、よく時間外労働などのストレスを避けるなどの一例が言われていますが、残業の少ない職場でも発症する人はいます。 残業なしを唱っている会社でも、明らかに定時内で終わらない業務量だったり、常に緊張を強いられる職場環境で、誰とも話せないような働き方ではこれも大きなストレスとなります。 実はこのような点がまずは知っていただきたい予兆のポイントです。 このような状態が続くと、知らずのうちに苦手意識が生まれ、さらにこれが続くと気力が徐々になくなってきます。 私はこのような状態になったあと、なぜだか日々、焦燥感のような状態が出てきてしまい、不眠へと繋がっていきました。 私はこのようになってからのメンタルクリニックへの通院となってしまいましたが、これからその可能性がありそうな方はぜひ上記のポイントでの気づきを注意していただければと思います。 通院後は色々と対処法も知ることができ、自分でこのように考えていこうと思うことはできますが、私の場合は上司の対人関係もあり、会社へ上司のこういった点を改善していただきたいと訴え、実際に人としての接し方は改善されたものの、仕事に対しての丸投げの姿勢は変わらなかったため、休職 → 退職に至りました。 私は精神疾患への気づきも遅く、自分で環境を変えていこうと動いた部分はありましたが、一番変わらなくてはならないのは、自分ではなく、周りなのだと思います。 周りの環境や接し方が柔軟であれば、気づきも早く、休職してもすぐの復帰ができたのかもしれません。 もしかしたら、身体的な症状が出る前に気づいて、長きに渡る通院も避けられる結果もあったの...

【過去】大きなプロジェクトほど、煙たがられて嫌われる勇気を

 例えばですが、よく企業の勉強会や説明会での場面で、成功したプロジェクトの事例の話などを聞く機会があると思います。 あくまで私見ですが、私はこれを鵜呑みには聞かないことが多いです。 ひねくれていると言えばそれまでですが、プロジェクトの成功の裏では、同時に煙たがられるような人が寄与している場合が多いからです。 当然ながらこのような人は話す場に登壇することは、あまりありません。 話は変わりますが、私もかつて会社人時代にその企業の一大プロジェクトといわれるようなものに末端ながら関わった経験があります。 当初は社内会議などで楽観的な見通しのよい意見しか出ず、外部パートナーとの打合せなどでもよい雰囲気で明るい兆しのあるプロジェクトでした。 いわゆる最初の仕様やスケジュール感が出てくる最初のフェーズで中心メンバーにとある中途の新入社員がプロジェクトに加わりました。 まず彼はこのままの仕様では無謀だとダメ出しを、そしてスケジュールもデバッグや検証の時間が甘すぎるとして、社内からプロジェクトの立て直しを図りました。 聞けば、当然すぎる見落としや、計画性の甘さがあったのは事実ですが、プロジェクトの雰囲気は一変、時には彼と上司や同僚との意見の対立で激しく白熱していたときもありました。 末端の私でも彼の意見は正しいと思ったことも多々ありましたが、企業文化という点では彼は敵を作りかねない状況にもなってきていました。 プロジェクトのフェーズが進むにしたがって、彼と外部パートナーの折衝も、要求を満たす or 満たさない、でかなり厳しい当たりもあったようでした。 結果的にですが、私は彼の指摘や意見なくしてプロジェクトの成功はなかったと思っています。 新たな目線で見ることや、なるほどと思える指摘もたくさんありましたし…でも、社内での対立した遺恨は結果的に最後まで解消されず、彼は引き続き評価されたとは言い難い身の振りで働き続けることになります。 大きいプロジェクトほど、そして大きい企業文化ほど、恐らく彼のような人間像はまだまだ評価されないのが現実なのですかね… 確かに彼はプロジェクト成功のために今まで社内ではなかった目線で粗を探し出し、社内で対立してまで、そして外部パートナーにも厳しい要求を続けてプロジェクトの方針を転換しました。 ある意味プロフェッショナルだと思います。 でも中にはこのケー...